2015年2月9日月曜日

イメージを言語化して伝える困難さ


今日は、

指揮者をしている合唱団のピアニストの先生と

5月31日にある定期演奏会の曲目の

演奏についての打合せ練習をしました。


私の場合、詩の持つイメージが映像となっている場合が多く

それをお伝えして、演奏してもらいながら

「もっとこんな感じ!」とかって具合に

注文をして稲松の思うイメージの演奏に近づけていきます。


かなりイキイキとした映像イメージで感じているのに

ことばにして説明すると、イキイキ感が伝わらなかったり、

違うように伝わったりするので、

結構エネルギーを使います。


合唱団の歌い手さんは歌詞を歌いますので

ことばのイメージを感じて演奏するのはストレートですが、

ピアノはことばを奏でられませんので、

映像のイメージを言葉として感じて音にしていただくのは

これまたかなりのエネルギーを使う作業です。


いかに、イキイキしたイメージを

再現できるように言語化するかが肝となります。


ケアマネジャーも

クライアントの思いを客観的な情報でなく

そのままの思いとしてチーム間に伝えるには

同じような感性が求められるように感じます。

2015年2月8日日曜日

この人は誰でしょう?



このごろ、研修の時にお遊びで

「この人は誰でしょう?」ってクイズします。


笑える回答

「昔の映画の『さいなら、さいなら、さいなら』って人」・・・淀川長治さん?

「カーネル サンダース」

「う~ん、稲松さんのお父さん」

「どこかの神父さん」












答は、

Felix P.Biestek

そう、この人が「ケースワークの原則」のバイステックさんです。

「ケースワークの原則」F.P.バイステック 著、尾崎・福田・原田 訳、誠信書房

ケアマネジャーさん、社会福祉士さんはもちろん、

絶対読んでね!!!

これだけは譲れません


先日のケアマネジャーの基礎研修で、


「総合的な援助の方針を書いてから、2票を書いた方がいいですか?」

の質問に、

「稲松的には総合的な援助の方針を書いて、それに沿った形で2票を作成しますが、

やりやすい方でいいですよ。内容がずれていなければ!」


「どっちでもいいんですね」とモヤモヤ感がある感じの受講生に、

稲松が

「2票書くときに、ニーズかく前にサービスを書く、

それ見つけたら、結構機嫌悪くなるけどね。

利用者の思い、そこからの課題(ニーズ)があって、

それを解決するためのサービスがある。

この順番だけは譲られへんのよ!」

と云ったら

受講生も、腑に落ちた顔でした。

2015年2月6日金曜日

自分からの意思で行動する


今日は、高砂市社会福祉協議会

ボランティアセンターの企画「熟年ボランティア入門教室」1回目でした。


ボランティア(ホンマはヴォランティアやねんけど、、、)の語源は、

ギリシャ語の「ヴォランタス」、自発的にという意味。

英語の「ボ(ヴォ)ランティア」という言葉の意味には「志願兵」というのもあります。


要するに、ボランティア活動の重要なところは、

活動する人の「想い」や「意思」が重要なんです。

当たり前ですが、強制的にさせられるのでも、

まして、嫌々やるもんでもないんです。

自らの意思を持って、金もうけが目的じゃあなく、社会の中の大きなつながりのために活動する。

これがボランティア活動です。


でも、ボランティア活動だけにかぎったことではなく、

人間、生きるときの姿勢として大切なことのように感じます。

他者をホンマに理解しようとするとき、こちら側の感情も揺れる


昨日も、介護支援専門員基礎研修でした。


あるグループの事例検討で、事例提供者の人に

「提供者さんは、このA(利用者)さんの、Aさんらしさってどういうものだと思われますか?」

と質問したところ、その受講生は、深く沈黙し、一つ一つの言葉を選ぶようにして

「趣味の〇〇をして、、、どこそこに出かけて、、、」と話しながら、

涙が込み上げてくるのを抑えきれなくなりました。


利用者の方とのかかわりを振り返りながら、

仮説の中で、利用者を理解し、受容しようとしたときに

深井教官が起こって、自らの感情を揺さぶられた感じでした。


私は、この受講生の感受性に感動しながら、

この、純粋にクライアントに寄り添い、理解しようとする姿勢を失ってほしくないなぁ。

って感じました。

2015年2月4日水曜日

人の発言の背景に思いをはせる


今日は、介護支援専門員実務者基礎研修の演習でした。

受講生の皆さんは、けマネジャーの実務について概ね1年未満の方々です。


個人演習やグループ演習後の発表で、

ケアプラン作成時に意識したことやポイントをの発表の中で、

「本人が、『歩きたい。自分でできることは自分でしたい』と発言する背景には

『これ以上長男の妻に、迷惑(負担)をかけたくはない』という思いがあるからではないか」

というものがありました。


実務について1年未満でこの視点を語ってくれることに

嬉しさを感じました。


これからも、

この発想を大切に歩みを進めてほしいなと感じました。
 

2015年2月3日火曜日

看取りの経験


随分、長い間更新していませんでした。

このままブログを書くことを辞めるのかしらん?

と感じている自分もいました。


愛犬のピースを失ってから、

何となくそれを言い訳にして

ブログのペースが落ちて行きました。

言訳にしてサボっていたのですが、

今思えば、エネルギーが減ってたのかもしれません。

多少なりともグリーフワークに向き合うパワーが必要だったように感じます。


年が明けて、1月17日の晩方、

大震災の20年のその日の晩、

鹿児島から父が亡くなったことの知らせが入りました。

連れ合いの両親併せても、親を亡くすのは初体験でした。


その日の午前中には、

母親を乗せて、自ら運転しスーパーに買い物に行ったそうです。

脳梗塞も経験し、心臓も病んでましたし、大動脈瘤も保存していいました。

それでも、要介護状態というわけではなく。

世間的には、焦がれられる最期だったようです。

俗にいう、ぴんぴんころりです。


鹿児島市の山奥に、母親が一人残りました。

事務的な処理は、私よりも遠方にもかかわらず

浜松の兄が、サクサクと進めてくれています。

このことも随分と感謝です。


父の死後、いろいろと考えるというより、

感じていると。

当たり前のことですが、

生前の思いでしか現れてきません。

色々と私に語りかけ、伝えてきた父の姿が浮かびます。


頭では、看取ることをわかっていた気持ちです。

仕事柄、他者のみ取りに寄り添い“共感”もしていました。


ここにきて、ピースにせよ、もちろん父にせよ、

看取るということを初めて実感しているように感じます。

そしてそれは決してネガティヴなものではありません。