2016年4月10日日曜日

”実践は理論を超える”~浅野仁先生を偲んで~


すごい言葉だと思い、

かっこいいなぁ。って感じ、

在りし日の先生を思い出します。


今日は、昨秋天に召された故浅野仁先生を偲ぶ会が

関西学院大学であり、参列しました。


私と先生の接点は、

神戸市ケアマネジャー連絡会の設立の折

記念講演をしていただき。

そのご縁で、先生が担当されていた高齢福祉の授業で

ゲストスピーカーとして3回か4回ほどお話しする機会をいただきました。


その当時は、まだ高齢者施設の副施設長で

連絡会の代表であり、現役のケアマネジャーでした。

先生は私に、

「現場での実践のお話し、『実際はこういう風な感じで

こんな問題を抱えている』みたいな話を学生にして欲しい。

学者の話より通じると思う。」

というようなことをおっしゃいました。


今日の様々な教え子の皆さんの送る言葉の中にも

「実践を大切にする人」ということばが聞かれました。

常に、より良い実践の先にはクライアントがあることを肝に銘じ、

支援者育成・支援においても、その先にクライアントと向き合う実践があることを

忘れないで歩みを進めたいと思いました。

最期になりましたが、先生のご冥福を心よりお祈りいたします。
浅野先生の記念樹 ヤマモモ

2016年4月9日土曜日

ピッカピカの1年生は自立のチャンス


新入学のシーズン

FB等でも、

子どもさんやお孫さんの入学式の記事が次々アップされます。

どの写真も笑顔の写真です。


新しい環境に歩みを進めていくのですから

期待一杯です。

ということは、不安も抱えているわけです。

ワクワクを後押ししながら、

ドキドキをしっかり受け止めてあげたいものです。


新しい体験をする人に対して、

期待や不安に共感しながら、

しっかりと期待を伝え、

どのように進んで行くか考えるチャンスをあげましょう。

新しい門出は、

自立に向かうチャンスです。


自己決定を積み重ねていくチャンスです。

それを繰り返すと

ピッカピカの1年生は

ピッカピカの6年生に向かっていくし、

その先も輝けるように感じています。

2016年4月8日金曜日

「聴く」のつづき


聴覚だけでなく、それ以外の感覚も総動員される、、、

非言語の部分で相手にどのくらい聴く態度が伝わるかということです。


非言語を意識しづらいレベルですので

援助職者としては、より意識してコントロールする必要があります。


言語の部分は頭で考える部分なので

いわば知識の部分で対応可能な場合もありますが

非言語の部分は、感性の部分が相当影響してくるので

そこの部分を研ぎ澄まさんとダメなのではないかと感じています。


私たちは「聴く」という行為を「理解」するという点につなげすぎているのではないかと感じるのです。

もっと、もっと、「感じる」という部分にもシフトした方が良いと思います。


その意識がないと「共感」とか「意図的な感情表出」とかは困難だと思います。

意識して聴かなければならないし、意識しすぎると感性の部分が弱まってくる。

「聴く」という行為は至難の業だと感じているのです。


よう解らんくなってきました。(笑)

2016年4月7日木曜日

「聴く」


コミュニケーションの研修等をすると

当然、言語コミュニケーション、

準言語コミュニケーション、

非言語コミュニケーションについてお話しすることになります。


メラビアンではないけれど

この3つはそれぞれに重要ですが、

非言語が結構威力を持っているのです。


「聴く」という行為は

聴覚を使って音声言語を捉えるように思うのですが、

実は、視覚を使って相手の非言語を視、観、察する必要があります。


相談面接のとき、カンファレンスに参加するとき

「聴く」という場面で

耳だけではなく、眼も使うことを意識した方が良いと思います。


そして

自分自身が相手の表情に合わせた表情を

返せているかということも意識する必要があります。

続きはまた明日。

2016年4月6日水曜日

NHK朝の連ドラの夫・父親像に思うこと


「あさが来た」が終わって、

「とと姉ちゃん」が始まりました。

連ドラファンにとっては寂しい気持ちとワクワクする期待感が混在する季節です。


新旧の連ドラの中で主人公の夫であったり父親であったりするポジションの男性が、

なかなかのもんやなぁと感じているのです。


「あさが来た」のあさの夫、千代の父親である新次郎さん(玉木さん)の考え方。

「とと姉ちゃん」の竹蔵(西嶋さん)の夫・父としての振る舞い。

共通するところは、自分が一番ではなく利他であることではないでしょうか。


新次郎さんは、あさや千代の幸せを想い、自分の価値観を押し付けず、

完璧なまでの配慮をしながらも、お仕着せをしない。

新次郎さんの「そうだすなぁ~」の台詞に需要の極意を見る。

それから相手の言葉を繰り返すことで共感を感じさせる。


竹蔵は、娘たちの失敗を責めずに、

その後をどのようにフォローしようとしたかの努力を褒める。


この二人に共通するキャラクターが視聴者の共感を呼んでいるのではないでしょうか?

いや待てよ、これって対人援助者に求められている

基本的なところとかぶさるなぁ。

そんなこと感じながら、楽しんでます。


2016年4月5日火曜日

花より団子…何かしなければならない症候群


本日から大学が始まりました。

前期15回:火曜日1限は「ケアマネジメント論」

もうすぐなくなる福祉コース故、

年々、履修する学生が少ない。

でも、昨年より2人多い。素直に嬉しい。


大学の話は関係なく、午後から明石の体育館の所に桜を見に行ってきました。

平日ですが、

家族連れや高齢者施設のお花見で結構な人出でした。

レジャーシートを広げて、お弁当の時間は終わってましたが、

おやつを広げて楽しそうです。

桜の花を見るよりも、

1~2歳児、3歳児くらいまでの子どもがちょこまかと走り回っているのを見る方が幸せなる稲松に対して、

一緒に行っていた連れ合いから「花より子ども」と云われてしまいました。



「花より団子」

そもそも本来の目的ではないことに目的がが移ってしまっていることをのたとえた諺です。

また、本らの花をめでるよりも、そこで食べるだんごが主になっている。

他の言い回しでは、「酒なくて何の己が桜かな」って云うのもあります。


車いすで輪になっている、どこかのデイサービスのお花見。

飲み物を飲みながら、「よう咲いとるねぇ」「ホンマに綺麗やねぇ」と語り合う利用者さん方。

スタッフの一人が「さぁ、歌でも歌いましょか!」といいながら歌詞カードを配り、

いきなり「さんはいっ!」・・・

はーるがきーた、はーるがきーた、どーこーにーきたー、、、、

歌い終わると、カードを回収して、次の歌の歌詞カードを配る。

別に、悪いこともなんともないのですが、

その所作が、事務的な感じがしたのです。

歌っている利用者さんも、それほど楽しいそうでもない感じで、、、

準備した歌詞カードが尽きて、

好きな人が「黒田節」を歌いだしたとき、

自然に手拍子が起こり、聴いている利用者も先程より楽しそうに見えました。


「花より団子」「酒、なくて・・・・」ですが、

団子や酒は楽しいのですよ!

「楽しむことより、プログラム」

プログラムが楽しければいいですが、、、

無理やり、何かをするよりも

ただただ満開の桜を眺める方が楽しいこともある。

何かしなければならない症候群から離れた方がいいなぁと感じたのでした。

「私も、施設に勤めていた時はあんな感じやったやろうか?」



2016年4月4日月曜日

人は変わることができる


「あの人は、ああいう人やから変えることはできない」

これは、ある意味正しいけど、

ある意味正しくないと思います。


正しいと思うのは、「他者を変えることはできない」という視点です。

よくいわれる

「他人と過去は変えられない」

ということです。


正しくないかもしれないと思うのは、

「その人は変わることはできない」という思い込みです。

頑固だと言われる爺さんを見て、

「絶対変わらへんよ!」という思い込み。

そういう風に感じているとしたら正しくないと思います。


逆に、人は変われずにいられるのでしょうか?

色々な環境の変化によって人は変化していかないでしょうか?

新年度に入って、異動等があって周囲の状況(字って気にも物的にも)が変わると

その変化に応じて多少なりとも変わらないでしょうか。

そうです。人間は周囲の変化に順応する力を持っています。


家族、友だち同士、職場内の上司部下、同僚等々、、、

そしてクライアント。

変えることはできないですが、変わる可能性は秘めています。

対人関係において、

相手を変えることはできなくても、

相手にとっての環境である自分は変えることができます。

自分を変えることに成功すれば、

相手はその変化に順応しようとして変化する可能性があります。

「自分と未来は変えられる」というやつです。

そう、人は変わることができます。


対人援助においての大前提は、

「人は変わることができる」ということを信じことだと感じています。