2014年3月31日月曜日

音楽の意味


昨晩、京都まで出かけ、

ボブ・チルコット氏の合唱講習会に参加しました。

氏は、イギリスの人で、

昔、キングスシンガーズという世界中を演奏旅行し、

CDも何枚も出す、男性コーラスグループの一員。

テノール歌手。

現在は、作曲家で指揮者。


講習会は、すごくわかりやすい英語で、

(もちろん通訳もついていますが)

ユーモアたっぷり、

歌うたびに、必ず褒めてくれます。

そして、歌い方に注文をつけます。

とても楽しいひと時でした。


最期の方に、

彼が、

「音楽は、世界に平和をもたらすためにある。」

といわれました。

全くその通りだと感じ、ほんの少し目頭が熱くなりました。

地域ケアの連携を作る


28日の午後、芦屋で「地域包括ケアフォーラム あしや」に参加しました。

29日は、宝塚市末成小学校地域まちづくり協議会の地域見守り活動学習会でした。


昨今は、地域包括ケアシステムの構築や地域ケア会議の開催と

地域ケアの話題があちこちで聞かれます。

私は講師やコメンテーターで呼んでいただく機会もありますし、

参加者としてお話しを伺う機会もありますが、

いつも思うことは「関わることへのモチベーションとエネルギー」です。


地域に関わるということは、人と関わるということです。


地域にはいろんな人がいます。

一人の人が生きて(生活して)いるということは、

周囲のたくさんの方と関わっているということだし、

関わるということは一方通行ということはなくて

お互いに影響し合っています。

「お互いに」ということは「お互い様」ということなので、

上下関係ではなく、横並びなのです。


芦屋市のフォーラムで地域における見守りケアの寸劇がありました。

とても楽しく、地域で認知症高齢者をいかにサポートするのかを

ニーズの発見から、多職種で共働していく過程をおもしろく、解りやすく見せてくださいました。

寸劇という手法は、地域での取り組みではよくあるのですが、

地域包括支援センターの職員が役者としてかかわるケースが多いように感じます。

今回は、それぞれの役どころをマジその人が演じる。

民生委員役の方は、実際の民生委員。

保健師役は、ホンマモンの保健師。

主任ケアマネジャーも社会福祉士も、

クライアント役とその娘役以外は、全部本物。

歯科医師も、現役バリバリ開業の歯医者さんです。


末成小学校地域の学習会は、

ボランタリーに見守り活動を行っている自治会の方々が運営開催していて、

実践発表の後、講義とワークショップで実践への具体的な学びが目標です。

ここにも地域の様々な方々が参加されていました。


こういった取り組みの積み重ねが地域での連携を育んでいくのだろうと思います。

そこでは当たり前のように色々な方々(多職種・多立場)の方が関わります。

お互いが対等な立ち位置で、関わろうという姿勢が必要です。

その下地作りをせずに、連携するために人を集めても有効な実践には育ちにくいのではないでしょうか?

2014年3月30日日曜日

介護は作業ではありません!


28日の夜、芦屋の介護事業者協議会の研修でした。

参加者のほとんどがヘルパーさん、訪問入浴の方

一部、デイサービスの方やケアマネジャーさんがおられました。


オーダーは、対人援助の基本的なお話し+元気がでる感じ。


基本的なお話しで、元気が出るのかはわかりませんが、

要は、介護職は専門家なんです。


専門家は相手のことをちゃんとアセスメントして

相手のことを理解しようと努め、

相手にマッチした形で介護を提供する。

だから専門家なのです。

ただ入浴を介助する。着脱衣を行う。っていうんじゃないんです。


調理の専門家って、

食べる人のことを考えて

食材を選び、食材のことを考えて調理方法や味付け、

そして食器から盛り付け方に至るまで気を配るから専門家なわけですよね。

食べられるものを扱うわけだから、

適当にしても、食物には違いありません。

でも、それは専門家とは言わない。

だから、調理の専門家は

食材のことや調理方法の基本的な知識を学び

技術を磨くのですよ。


介護の専門家だって、

人に関する知識や、人と環境に関することを学び、

関わり方の知識を学び、技術を磨く。

そして相手の望むケアを提供する。

だから介護なわけで、

何も考えずにオムツ交換するのは、単なる作業です。

そこに思いがあり、専門性が加わるから介護といわれるのです。

そこんとこに近づいてくると介護って結構おもろいんです。

2014年3月27日木曜日

寝る・メシ・風呂は大切・・・面接力はもっと大事


今朝、NHKの「あさいち」で、

緩和ケア医療をテーマに

看取りに取り組む有床診療所や訪問診療を特集してました。

昨日のブログで在宅での看取りケアのこと書いたところだったので少し驚きました。

その中で、山梨県の有床診療所の看護師長さんが

レポーターの嵐:桜井翔さんに

「うちでは寝る・メシ・風呂を重視して力を入れています。」

と云いながら、源泉かけ流しのお風呂(露天風呂まである)を見せてくださったり、

郷土料理でもある「ほうとう」を食事に出されていた。

そのこと自体、その通りと感じていたのですが、


もっとすごいなぁと感じたことは、

その看護師長さんがベッドサイドでの面接の場面で

クライアントの話を聴きながら、受容し共感している様。

とても自然で、クライアントの施行や感情に寄り添いながら

結構シビアな話題も展開している。

“気づきの事例検討会”でも養うような基本的なこと

それをごく自然に。当たり前に行えている。


ケアするときのハード面はとても大切です。が、

その生きた人と向き合う人(ソフト面)はさらに重要だと感じました。

2014年3月26日水曜日

在宅での看取りケア


先日参加してきた近畿介護支援専門員研究大会、

第2日目の第6分科会で「在宅での看取りケアを考える」での発表を

ずっと聴かせていただきました。


クライアント本人の意向を聴きとる家族と専門職の間で調整役としての役割を担いつで受けたケース。

在宅で最期を希望する本人と主介護者で精神疾患を持つ息子と在宅をあきらめている他の家族の間の調整を行うケース。

老健施設から在宅に戻り最期を迎えるために、チームで家族支援体制を構築したケース。

血縁の家族は居なかったが、元職場の後輩や近隣住民、家主等々の協力のもと最期の直前まで自宅で過ごせたケース。

ガン末期のクライアントの思いを汲み、リハビリメニューを軸にチーム形成し、在宅での看取りをあきらめなかったケース。


以上が非常に荒っぽいが、発表されたケース概要です。

全ての発表に共通するものは、

自宅で過ごしたいというクライアント本人の思いを実現させたい。

という目標の共有、もしくはその方向へ向かっていこうとする合意があること。

その方針を専門的に承認し支える専門職のかかわりがあること。

ある程度の証人と支援が得られれば

家族(たとえ精神疾患を持っていたとしても)や近隣といった

専門的な知識や技術を持っていない人の力が発揮されるということ。

これらのことは大きな学びとなりました。


地域包括ケアシステムとは、こういったことではないのだろうか。

と感じさえしました。

「在宅での看取りケア」を考える場合、

地域における支援の輪とでもいうような

ケアのシステム構築が必要です。

このことは、認知症ケアであったり

一人住まいの高齢者や障がい者の支援でも

同じことがいえるのだと改めて思うことができた分科会でした。


また、そのシステム構築のための

多職種連携について

できる限り楽しい交わり(ただ単に遊びに中ではなく、遊び心のあるサポーティブナ学びの共有)の中で

そうごに弦り上げていく努力が必要であることの示唆を座長のコメントから得たことも収穫でした。


来年は2月に和歌山の田辺です。

2014年3月25日火曜日

ケアマネジャーの研修内容の見直しについて


再来年度から、

ケアマネジャーの実務研修はじめ

更新研修や主任研修の内容が見直されます。


例えば、

実務研修は、今まで任意で自由裁量だった基礎研修と抱き合わせのかたちになり

44時間だったものが、87時間になります。

新しく加わった内容には「ケアマネジメントの展開」と称して

「脳血管障害に関する事例」「認知症に関するj事例」

「筋骨格系疾患と生活不活発病に関する事例」

内臓の機能不全(糖尿病。高血圧、脂質異常症、心疾患、呼吸器疾患、腎臓病、肝臓病)に関する事例」

「看取りに関する事例」にそれぞれ5時間の計25時間が増えている。

他にも色々と増えているのだが、

気になることが2点。


一つは、「相談援助職としての基本姿勢と相談援助技術の基礎」講義・演習込みで4時間しかないのです。

ケアマネジャーとしての専門性は何なのでしょうか?

いろいろな所で相談援助技術に関する講師もさせていただきますが、

ロールプレイ含めて、なかなか真っ当な面接ができないのが現状です。

ここの事例に向き合うときも基本となる技術は面接です。

それが4時間って、、、あんまりでしょう。

「アセスメント」や「人権や倫理」「プロセス」について学んだとしても

面接ができなければ、実践としては何もできないことになるのです。

ちゃんとした面接を実践できる理論・知識・技術があってこそのケアマネジャーです。

そこのところバランスが悪すぎます。


二つ目は、「脳血管障害」について学ぶことはアセスメントするうえで重要ですし、

その他の「疾患や障がい」について学ぶことは有効だと思います。

(学んでも面接ができなければ支援はできませんけどね)

ただし、治療を行うのではなく、生活支援を行う場合、マニュアルはそのまま使えません。

ここに事例は異なるのですから、

例えば、脳血管パスのような隊員支援の流れができたとしても

個別事例では、そこには当てはまらないことが多いのです。

なぜなら、同じ疾患、同じ障がいがあったとしても、

抱えるニーズは別物だからです。

ケアマネジメントは、ニーズがあってこその社会資源です。

クライアントを社会資源に当てはまることは本来の視点と逆方向です。

先にマニュアルあり気にならないかが心配です。


以上2点、どな思わはりますか?

2014年3月24日月曜日

やむを得ず使わざるを得ない社会資源


先日、ベビーシッターを利用して

子どもを亡くした事件が大きく取り上げられていました。

テレビで色々な方々がコメントされていたが、

「どうして怪しげなベビーシッターを使うのか」とか

「違う方法を考えた方が・・・」とか

と云っているコメンテーターがいました。


正規のきちんとしたベビーシッターはそれなりの料金が必要です。

その料金を払っていたら、

正規雇用でない低賃金で働く女性にとっては

何のために働いているのか、

ベビーシッターの費用を作るために働いているようなことになってしまう。


近くに身内がいるわけでもない。

保育所だってそんなに簡単に利用できない。

保育費用も決して安いわけではない。

苦心して働けば働くほど貧しくなる、

いわゆるワーキングプア―の状況に入ってしまうと、

社会資源を選ぶゆとりはないのです。

そういった社会が出来上がっているのです。


高齢者や障がい者の介護の問題だって同様ではないでしょうか?

その人らしい暮らしのためにと云いながら、

個別に動ける社会資源は減少傾向です。

地域包括ケアシステムのプランを見ても

ある程度高齢者が固まって住み、

見守りやケアの効率化を図ろうという図式、

社会資源のシステムを作って

そのシステムにクライアントを当てはめていく。

これは、サービスシステムに利用者を当てはめる形なので

サービスオリエンテッドです。


そういう傾向に社会の援助システムが向かっています。

やむを得ず、貧困ビジネスのような施設を使わざるを得ない状況だって生まれてくるわけです。

そういった貧困ビジネスを取り締まれば

居り場をなくす人が出かねないのです。


そういう部分を見落とさないような見守り基盤をNPOやボランティーアに託そうとしています。

互助という言葉は綺麗のですが、憲法13条で謳われている国の責任はどこに行ってしまうのでしょうか?

その辺りの視点をもって、今後、国政を監視しなければ、

消費税の上乗せ分も、最初の方針と違うことになりかねないと感じています。