北野武さん(漫才師ツービート・映画監督)が
ピカソの絵画を見ながらお話しをされていた。
その中で、晩年のピカソが
「やっと子どもの絵が描けるようになった」
と発言したことに触れて、
「自分で気にいったとか、気に入らないとか関係なくなったんじゃないかなぁ」
みたいなことをいわれていたと思う。
言い換えると
「自分で自身の絵をジャッジしなくてよくなった」
ということだろうか。
「自分の感じているモノを、
思いのまま描いて、
そこに善し悪しはなく、
そのままである」
ということなんだろうか。
私などは、
自分で何か行うたびに
出来栄えを自己評価(多くは上手くいかなかったいいわけ)して、
他の人には「このように理解してください」注釈をつける。
ピカソは自信の作品について
「見る人の目で捉えて、理解してもらえばよい」
みたいなことを言うのだ。
なんて格好いいんだろう!
人はジャッジされることを恐れ、嫌い、拒む
が、ジャッジがないとそれはそれで不安になるもの。
そういう部分に囚われない域にまで到達した人なんだろう、ピカソは。
明恵上人がいう
「阿留辺幾夜宇和」というのも
こういうところを目指しているようにも感じる番組だった。
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