2016年4月7日木曜日

「聴く」


コミュニケーションの研修等をすると

当然、言語コミュニケーション、

準言語コミュニケーション、

非言語コミュニケーションについてお話しすることになります。


メラビアンではないけれど

この3つはそれぞれに重要ですが、

非言語が結構威力を持っているのです。


「聴く」という行為は

聴覚を使って音声言語を捉えるように思うのですが、

実は、視覚を使って相手の非言語を視、観、察する必要があります。


相談面接のとき、カンファレンスに参加するとき

「聴く」という場面で

耳だけではなく、眼も使うことを意識した方が良いと思います。


そして

自分自身が相手の表情に合わせた表情を

返せているかということも意識する必要があります。

続きはまた明日。

2016年4月6日水曜日

NHK朝の連ドラの夫・父親像に思うこと


「あさが来た」が終わって、

「とと姉ちゃん」が始まりました。

連ドラファンにとっては寂しい気持ちとワクワクする期待感が混在する季節です。


新旧の連ドラの中で主人公の夫であったり父親であったりするポジションの男性が、

なかなかのもんやなぁと感じているのです。


「あさが来た」のあさの夫、千代の父親である新次郎さん(玉木さん)の考え方。

「とと姉ちゃん」の竹蔵(西嶋さん)の夫・父としての振る舞い。

共通するところは、自分が一番ではなく利他であることではないでしょうか。


新次郎さんは、あさや千代の幸せを想い、自分の価値観を押し付けず、

完璧なまでの配慮をしながらも、お仕着せをしない。

新次郎さんの「そうだすなぁ~」の台詞に需要の極意を見る。

それから相手の言葉を繰り返すことで共感を感じさせる。


竹蔵は、娘たちの失敗を責めずに、

その後をどのようにフォローしようとしたかの努力を褒める。


この二人に共通するキャラクターが視聴者の共感を呼んでいるのではないでしょうか?

いや待てよ、これって対人援助者に求められている

基本的なところとかぶさるなぁ。

そんなこと感じながら、楽しんでます。


2016年4月5日火曜日

花より団子…何かしなければならない症候群


本日から大学が始まりました。

前期15回:火曜日1限は「ケアマネジメント論」

もうすぐなくなる福祉コース故、

年々、履修する学生が少ない。

でも、昨年より2人多い。素直に嬉しい。


大学の話は関係なく、午後から明石の体育館の所に桜を見に行ってきました。

平日ですが、

家族連れや高齢者施設のお花見で結構な人出でした。

レジャーシートを広げて、お弁当の時間は終わってましたが、

おやつを広げて楽しそうです。

桜の花を見るよりも、

1~2歳児、3歳児くらいまでの子どもがちょこまかと走り回っているのを見る方が幸せなる稲松に対して、

一緒に行っていた連れ合いから「花より子ども」と云われてしまいました。



「花より団子」

そもそも本来の目的ではないことに目的がが移ってしまっていることをのたとえた諺です。

また、本らの花をめでるよりも、そこで食べるだんごが主になっている。

他の言い回しでは、「酒なくて何の己が桜かな」って云うのもあります。


車いすで輪になっている、どこかのデイサービスのお花見。

飲み物を飲みながら、「よう咲いとるねぇ」「ホンマに綺麗やねぇ」と語り合う利用者さん方。

スタッフの一人が「さぁ、歌でも歌いましょか!」といいながら歌詞カードを配り、

いきなり「さんはいっ!」・・・

はーるがきーた、はーるがきーた、どーこーにーきたー、、、、

歌い終わると、カードを回収して、次の歌の歌詞カードを配る。

別に、悪いこともなんともないのですが、

その所作が、事務的な感じがしたのです。

歌っている利用者さんも、それほど楽しいそうでもない感じで、、、

準備した歌詞カードが尽きて、

好きな人が「黒田節」を歌いだしたとき、

自然に手拍子が起こり、聴いている利用者も先程より楽しそうに見えました。


「花より団子」「酒、なくて・・・・」ですが、

団子や酒は楽しいのですよ!

「楽しむことより、プログラム」

プログラムが楽しければいいですが、、、

無理やり、何かをするよりも

ただただ満開の桜を眺める方が楽しいこともある。

何かしなければならない症候群から離れた方がいいなぁと感じたのでした。

「私も、施設に勤めていた時はあんな感じやったやろうか?」



2016年4月4日月曜日

人は変わることができる


「あの人は、ああいう人やから変えることはできない」

これは、ある意味正しいけど、

ある意味正しくないと思います。


正しいと思うのは、「他者を変えることはできない」という視点です。

よくいわれる

「他人と過去は変えられない」

ということです。


正しくないかもしれないと思うのは、

「その人は変わることはできない」という思い込みです。

頑固だと言われる爺さんを見て、

「絶対変わらへんよ!」という思い込み。

そういう風に感じているとしたら正しくないと思います。


逆に、人は変われずにいられるのでしょうか?

色々な環境の変化によって人は変化していかないでしょうか?

新年度に入って、異動等があって周囲の状況(字って気にも物的にも)が変わると

その変化に応じて多少なりとも変わらないでしょうか。

そうです。人間は周囲の変化に順応する力を持っています。


家族、友だち同士、職場内の上司部下、同僚等々、、、

そしてクライアント。

変えることはできないですが、変わる可能性は秘めています。

対人関係において、

相手を変えることはできなくても、

相手にとっての環境である自分は変えることができます。

自分を変えることに成功すれば、

相手はその変化に順応しようとして変化する可能性があります。

「自分と未来は変えられる」というやつです。

そう、人は変わることができます。


対人援助においての大前提は、

「人は変わることができる」ということを信じることだと感じています。

2016年4月3日日曜日

「伝える」よりも、まず「聴く」


ケアマネジャーさんとの学びの機会に

事例を一緒に振り返る作業を行っていて、

「なかなか思いが伝わらない」

という台詞を耳にします。


ケアマネジャーとしてクライアントさんに

「こういう風にすれば転倒が減りますよ」

「デイサービスに行けば安心して入浴できますよ」

って、正直に、素直に、クライアントさんのことを想って

提案(アドヴァイス)するのですが、

「いやぁ、もうちょっと考えてみますわ、、、」

「今は何とかなってるさかいに、、、」

という具合に二の足を踏むんです。。。


この時に、ふと思うことは、

「自分は『相手の伝えたいこと』に耳を傾けようとしているのか」

ということ。

「なかなか話してくれないんです」とあきらめてないだろうか?

「なぜはなしてくれないんだろう?」{どうしたら話してくれるんだろう?」

という視点を持たずに、あきらめていないだろうか?

クライアントと関係性を作ろうとしているのだろうか?


実は、関係性は双方向なので、

「伝わらない」ということも双方向なんです。

「自分の思いが伝わらない」の反対側に

「相手からの思いが伝わらない」が存在します。

そう、相手からしてみれば、

「自分の思いが伝わっていない」が起こっています。


まずは「聴く」という体制を整えて、

相手の伝えたいこと、

具体的に何が起こったかだけではなく、

どのような気持ち(どのように感じているか)も

聴こうとする姿勢があるかを検証することが必要だと思います。

「伝える」よりもまず「聴く」ことを意識してみてはいかがでしょうか?

2016年4月2日土曜日

受容と共感の心


NHKの朝の連続ドラマ「朝が来た」が本日おわりました。

少し、“朝が来たロス”です。


最終回の中で、主人公の 白岡あさ が

人差し指で自分のおつむ(頭)を指さし、

次に胸に手を当て、

「大事なんは、こことここだす」

「人の気持ちを慮る頭脳と、柔らかい心」


と云ってました。


私は、涙を流しながらその台詞を聴いていて

「『人を理解する』という試みは

こういうことなんや」と思いました。

相手の気持ちをおもんばかって、

受け入れる柔らかい心を持つ。

これこそ「受容」と「共感」に通じる。


私たち対人援助職者は、

常にこのことを胸に泊めて

クライアントに向き合うのだと思った瞬間でした。

2016年4月1日金曜日

ご無沙汰しております。m(_ _)m 


ほぼ1年間、ブログをお休みしておりました。

特に、これといった理由はないのですが、

一昨年の秋に愛犬ピースを亡くし、

昨年の1月に父が逝って、

何となく、疎遠になっていった感じです。

それから、

フェイスブックに毎日の動向と麺類をアップするようになったことも関係あるのかなぁ?

また、ボチボチ書けるときにアップします。

リスタート?かな。。


3月29日から今朝方まで鹿児島に行っておりました。

特段用事があるわけでなく、

父がなくなって一人住まいとなった母の顔を見に。


「腰が痛い」と云いながら

天気が良いときは、午前午後と庭の草引きをし、

「テレビの晩をしている」というが、

月に一度は、自治会費を集金に回る。

「最近、ボケてきた」と云いながら、

父がいなくなってから1年と少し、

コープさんで宅配をし、

日記をつけ、

困ったときには連絡をくれる。


母親なりに自立しているように思う。


ただ、クライアントではないので

ついつい口を出さないように、

努力したいと意識している自分がいます。


腰が曲がって小さくなった母を見て、

「感謝」と思う弾丸帰省でした。