2017年4月27日木曜日

「介護嫌がる親を変える魔法の言葉」???


本日は決まった予定はなく自宅でのんびりと過ごしています。

で、朝からテレビを見たり何ですが、

NHK「あさイチ」の特集で、

「親の介護向上作戦」というのをやっていました。


「親の介護が向上する」

素晴らしいことだと思います。


が、何を持って「向上」とするのかはよく考えなければなりません。

介護を行うのは家族だったりするのですが、

介護を受けるのは主体者である本人だからです。

介護を受ける立場、する立場の両方の視点が必要であることが大切です。


その上で、作戦を立てることは大切です。

私にとって「作戦」=「ケアプラン」です。

ですから、

ケアプランを作って行くプロセスには

主役である「利用者」本人や家族も関わるのが原則だと思うのです。


今日の番組に大きな問題は感じなかったのですが、

タイトルに「介護嫌がる親を変えた魔法の言葉」と謳っているところは

要注意と感じてしまいました。

「魔法の言葉」なんていうと、

「介護を嫌がる親には、こういう言葉を使えば必ず上手くいく」

みたいに感じる人が、家族のみならず専門職でも勘違いする人が出てくるからです。


確かに、「個人にとってモチベーションを上げるキーワードが存在する」

ということは、私も経験してきたことですし、否定しません。

ただし、それには個別性があって、

「その人にとって」というところが肝です。

要するに、しっかりアセスメントして、

その人らしさに近づく目標設定がされて初めて「言葉」が生きてくるのです。


番組の中では、渡橋のケアマネジャーMさんが上手に開設されていましたが、

タイトルや新聞のラテ欄だけを見ると誤解されてしまう可能性もあります。


専一も書いたように「唯一の正解」は存在しません。

対人援助の答えは、

一つ一つ考えて、話し合って、作り上げていく事が必要です。

そのしんどい作業を通らなければならないので、

ただでもしんどい目をしている本人や家族の支援者として

毛尼苑ジャーが必要なんです。


2017年4月23日日曜日

地域包括ケアシステムは事例から積み上げる


今日は午前中に面接が一つありました。


ケアマネジャの研修内容が一新されて2年目。

更新研修の中で、個々の事例を振り返る演習が繰り返されます。

そして事例の課題の中から地域課題を探る演習が組まれています。

とても真っ当な地域課題抽出の方法・仕方です。

そこから、個々の事例の課題を解決するための

チームケアの連携が重なってはじめて、

地域課題を解決するためにどのような連携のシステムが必要かが見えてくるのです。


地域包括システムが必要だからと言って、

先に既存の専門職団体で話し合って仕組みを作り上げてはいけないのです。

なぜなら、そうやってシステムを作ると

そのシステムに個々のケースを当てはめようとしちゃいますから。


それってサービスオリエンテッドの発想でしょ!!

ソーシャルワークの基本はニーズオリエンテッドなんです。


今後、ますます地域におけるケアシステム等が創られていくのでしょうが、

地域のニーズに即したもの、

もとを正せば、個々のニーズにつながったものになるよう

常に意識して欲しいものだと感じています。

2017年4月20日木曜日

面接での質問には根拠が求められる


今日は午前午後と、

兵庫県主任介護支援専門員更新研修Aコースの演習指導でした。

昨日からスタートして、演習は本日が初日です。


主任更新研修では全員がケアマネジャーを指導というか、

相談を受けた事例をまとめてくる宿題が出されていて、

基本はその事例を用いて支援者支援を振り返ります。

その演習を通じて日頃の実践からの個々の学びを行うと共に、

個別事案からケアマネジメント全般に見られる課題であるとか

最終的には、地域における課題にまで視野を広げる狙いがあります。


本日は、カテゴリーにマッチした提出事例が少ないことと

演習の流れを理解していただくためにという理由もあり、

模擬事例を用いて演習をしました。


事例をひもとくためには、

再アセスメントによって人物像を広げたり、深めたりします。

そのためには質問を考えるプロセスの演習を組むのですが、

実際に質問を考えても模擬事例ですから答えは返ってきません。


なのに何故この演習に取組みグループで考え方を共有するのか?


それは質問の根拠を確認するためです。

つまり、どのような理由で、何が知りたくて、この質問するのか。

といったことをしっかりと押さえておきたいからです。


支援者支援における面接も、

ただ漫然と相談の話しを聴き、質問するわけではありません。

個々の事例を理解するためには、

どのような情報がわかっていて、

どのような情報がまだ確かではないのか、

今の情報から考えれば、この事例はこのようになっているのではないか?

等々、常に頭はフル回転で働き、そこから質問が生まれるはずです。


模擬事例であっても、

質問の根拠はトレーニングできるのです。

残りの演習も、心して取り組んでください。

そして、気づきと学びを持ち帰ってください。



2017年4月17日月曜日

自らのジャッジを求めない姿勢


昨晩、テレビを見ていて

北野武さん(漫才師ツービート・映画監督)が

ピカソの絵画を見ながらお話しをされていた。


その中で、晩年のピカソが

「やっと子どもの絵が描けるようになった」

と発言したことに触れて、

「自分で気にいったとか、気に入らないとか関係なくなったんじゃないかなぁ」

みたいなことをいわれていたと思う。

言い換えると

「自分で自身の絵をジャッジしなくてよくなった」

ということだろうか。


「自分の感じているモノを、

 思いのまま描いて、

 そこに善し悪しはなく、 

 そのままである」

ということなんだろうか。


私などは、

自分で何か行うたびに

出来栄えを自己評価(多くは上手くいかなかったいいわけ)して、

他の人には「このように理解してください」注釈をつける。


ピカソは自信の作品について

「見る人の目で捉えて、理解してもらえばよい」

みたいなことを言うのだ。

なんて格好いいんだろう!


人はジャッジされることを恐れ、嫌い、拒む

が、ジャッジがないとそれはそれで不安になるもの。

そういう部分に囚われない域にまで到達した人なんだろう、ピカソは。

明恵上人がいう

「阿留辺幾夜宇和」というのも

こういうところを目指しているようにも感じる番組だった。

2017年4月15日土曜日


今朝、テレビ「にじいろジーン」を見ていて、

変身のコーナーで、

「ある女性が父親の板金工場を継いで社長に。

工場の職人の方々とコミュケーションをとることに努力する。

と、息子や娘とのコミュニケーションが希薄になる」

という話しがあった。

これは物語のほんの一部分で、

その後、子どもたちも協力して成功するお話しだが、、、


テレビ見ながら、

福祉の仕事している人や

ボランティア活動している人で

熱心に活動することに目がいって

家族の方にエネルギーが回らない人を時折見ます。


もしかしたら、サラリーマン福祉職員時代の自分もそうだったのかも。。。


これって、しんどいですよね。

自分の持っているエネルギーは

分散しておいた方が楽ですよ。


心という器の中にエネルギーが入っていて、

エネルギーを一つの方向にだけ向けるとバランスが崩れるから。

集中して物事に取り組むときは仕方がありませんが、

一区切りつけて違う方向にもエネルギーを使って

バランスをとるように心がけた方がよいですよ!!


これは、初期のストレスマネジメントになります。

かなり散ってしまいましたが

桜を見てぼうっとするのだって大切なんです。

2017年4月12日水曜日

新しい道に踏み出す時には、自分を褒めてあげてね!


昨日は大学が新年度が始まった記事でした。

新年度、SNSやメールなどで、

近況報告をくださる方もいまして、

異動のお知らせを 抱負も合わせてくださいます。


新しい部署に変られて前向きに捉えて歩みを進める方の中に

「稲松さんが背中を押してくださったので・・・」

とおっしゃるのですが、

こちらとしたら、「顔晴って欲しい」とエールを送る意味で、

「どのような場所でも、自分らしくあれるようにしたいね」

などと言葉をかけているだけで、

結局のところ決定しているののはご本人なのです。


そう、自己決定されているのですが、

承認が欲しいんだと思っています。

私は、決定された事に関して、いくらでも承認しますよ!!

話も聴きますし、応援もします。

でも、決めたのご自身です。


ご自身で考えて、決めて、実践しようとされているのです。

ご自身でも、そうすることができた自分自身を褒めてあげてくださいね。

こう言ってあげてください。

「おいっ自分、よう決めたなぁ。偉いっ! ようやった!! 乾杯!!!」

ってね。

2017年4月11日火曜日

大学での授業が始まりました。


今年も本日から大学が始まりました。

2011年度からお受けした非常勤講師も7年目です。

「ケアマネジメント論」前期15回です。


お受けした頃はサービス産業学部に社会福祉を学ぶ学科があり、

多くの学生が社会福祉士を受験ていたのですが、

途中から学部の再編等があって

今年度の4回生が最後の学生です。

年々、理由する学生が減っていたのですが、

今年度は、履修登録4名です。

うち本日 授業に出席した学生は2名でした。


「ケアマネジメント論」自体が選択科目で、

国家資格取得の必須ではないこともあり、

また、社会福祉を志す学生が減少する中で、

しかも、火曜日の1限という出にくい時間、

学生は少ないですわ。


でも、そんな状況の中、履修して、授業に出てくる学生ですから

精鋭に違いないと確信しつつ授業に臨みました。


通常の大きさの教室(50名くらい入るのかな)に

私と学生2名の3人です。

正直「さみしいかさみしくないか?」と問われれば、

まぁ、さみしいです。


しっかりアイコンタクトをとりながら、

問いかけにもしっかりと応えてくれて、

内1名は福祉職を目指しており、

もう1人も、営業職につきたいといいつつ興味があると

積極的に質問に答えてくれる。


そうです。

クライアントがいないと対人援助職が成り立たないように、

学生街内と教員はつとまらないのです。

ぜひ、この優秀な2名の学生が、

願わくば、後残りの2名も

出席くださることを祈りつつ、

どうせのことなら一般人や現役のケアマネジャーや対人援助職者に

オープンにしてくださればと思う稲松でした。




2017年4月10日月曜日

「忙」と「暇」


新年度になって10日目。

私の方はといえば、年度初めは暇なんです。

年度の初めに研修会するところ少ないですから、、、

神戸聖隷福祉事業団の新規採用職員の研修は、

私が法人の評議員をしているからで、

他の法人も新人研修は身内の人が講師を務めるでしょうから、、、

暇なんです。

随分以前に、カウンセリングの師匠が

「『忙しい』という言葉は、使わん方がよろしい」

といっておられた。

「心を失う」と書くからだそうな。



では、「暇」という言葉はどうなんだろうか?

漢和辞典には、

お日様を表す「日」に「叚」(カ)という音の字を合わせていて

「何もすることがない(できない)時間」から「ひま」となるようです。

他にも意味はあるのでしょうが。


を失うほどやることがあるのも大変ですが、

ずーっとやることがないのも、それはそれで大変そうですよね。


ふと考えるに、

「やることがない」は「やりたいことがない」につながっているのかも、、、


新年度は、入学式の季節でもあります。

買い物の途中で、

まっさらのランドセルを背負った

ピッカピカの一年生が

親御さんと手を繋いで歩いていた。

あの子たちは、小学校に行って「やりたいこと」がいっぱいあるに違いない。

と、勝手に想像するのですが、、、



「やりたいこと」・・・「目標」があって、そこに至るためにやること

「目的行為」とでもいうのだろうか。

がある人は、おそらく「暇」ではないのだろう。

ただ、時々「やらない」時間を作って心身を休めないと

「多忙」になって多くの心を失っていくのでしょう。

その辺りを「適当」にしなければアカンのでしょうなぁ。


2017年4月9日日曜日

関係性は丁寧な「挨拶」から


一昨日は午前午後とケアマネジャー研修講師の説明会。

そのまま、三木の協同学苑にお泊まりして、

昨日の午前中は神戸聖隷福祉事業団新人研修。

午後からは西神戸混声合唱団の練習等々でした。

昨晩遅く帰宅して、本日は午前中に面接が一つありました。



新人研修では対人援助の基本的なお話しをさせていただくのですが、

今後の実践にむけてまとめのお話しで「挨拶をしてください」とお願いします。


対人援助というお仕事は、

当たり前のことですが「よりよい人間関係」がベースになります。

援助関係というものが創られないと

支援そのものは動き出さないでしょう。

という意味で、バイステックの原則等を学んで欲しいのです。


ただ、原則を学んだとしても

その原則を具体的に実践できなければ、

それこそ絵に描いた餅になってしまいます。


援助関係に至るまでに、お互いの人間関係が始まる必要があります。


そのためには、それぞれがお互いの存在に気づき、

その存在を認めることが必要です。

いいかえれば、相手の存在を無視しないことが必要なのです。


「挨拶」は、自らの存在を相手に知らせるとと同時に、

相手の存在に気づいていることを伝えることです。


そう考えると「挨拶」をしないといことは、

(そもそも、相手の存在を本当に気づいていない場合は別として)

相手を無視していることになるわけですから、

「あなたの存在を認めていない」という表現になりますよね。


よりよい人間関係を築こうとするならば、

その入り口は「挨拶」ということです。

しかも「丁寧な挨拶」です。

2017年4月6日木曜日

「一期一会」とは、日頃の積み重ね。


昨日は、ほぼ終日部屋の片付けをしておりました。

今日は午前中に面接が一つ、午後からは昨日の続きをと思いましたが、、、

買い物から帰宅して、ちょっと横になっていたつもりが

予想以上に時が経っておりました(苦笑)。


フリーランスになって6年半、

もともと片付けが得意ではないのですが、

捨てることが下手な人なので、

A4の封筒に書類等を入れたまま山積みにしていたのですが、

その山が、部屋中の其処此処に乱立し、

部屋としての機能を果たしづらくなってきており、

連合いのプッシュもあり、手を着けたわけです。


もう一つのきっかけとなったのは、

昨晩、参列したお通夜です。

カウンセリングの研究会でのお知り合いだったのですが、

ガンが発見されたのがつい最近でした。

「余命、6ヶ月ほど」とは聞かされていたのですが、

それから1ヶ月は経っていません。

先日、連合いが見舞いに行った折にも、

「夏のワークショップには杖をついてでも参加する」

といっておられたそうで、

「思ったより元気そうだった」と、聞かされていたものですから

本当にに急なことでした。


急遽、通夜に参列することになって、

自分の計画と、神様の計画は

一致しないこともあると思い、

日頃からできることをしておく体制を整えねばと考えたわけです。


もしかしたら、

年末年始に自分自身が体調を崩したことも影響しているかもわかりません。


本日の面接もそうですが、

人と面接しているときには「一期一会」のようなことを意識しているのですが、

自身の暮らしぶりを振り返ると、、、

と思いからの片付けです。

昨日の続きは、日曜日以降に取りかかります。

ホンマに取りかかります。(笑)

2017年4月4日火曜日

関係性を創りたいという思いが通じる


本日は、決まった仕事の予定等はなかったのですが

朝一でレジュメを一つ送りまして、

その後、「神戸どうぶつ王国」へ!!


年間パスポートの有効期限が過ぎてしまったので、

再度Getするために。kann


私は無類の動物好きなのです。


どうぶつ王国で仲良しなのはフタコブラクダのジェシーちゃん

前回も、前々回も、よってきて顔を合わせてくれます。

今日も、久しぶりですがきちんと挨拶してくれました。


何か、関係性ができているようで嬉しいですね。


目が合うと、こちらにやって来て、

顔を近づけてくれ、頬ずりしてくれる。
(挨拶してくれる)


柵のところには、「つばを吐くことがあります」と書いてあるのですが、

吐かれたことはありません。
(アルパカのリク君には前回吐かれましたが、、、)


ラクダとのコミュニケーションですから

残念ながら、言語レベルは難しいです。

非言語でしか無理です。


アイコンタクト、言葉がけ、タッチ(触れること・撫でること)等

言葉がけは、言葉の意味が通じているかは不明ですが、

言霊としての関わりだと信じて。


話(言葉)が通じない相手とは関係性は結べないと思っているあなた、

そんなことはありません。

もし、そう言うのなら色々と努力してみてもできなかった場合に、

きわめて難しいということです。



要は、「関係性を持ちたい」という思いを伝えているか

ということです。

その働きかけもせずに、

「認知症が進んでいるから」とか

「知的障害があるから」とか

理由をつけているのはあなた自身です。

って事になりますよね。

(認知症の方や知的障がいの方をラクダと並べているという意味合いでとらないでくださいね)

コミュニケーションがとりづらいことを理由に

関係性を作れないことを正当化しないで欲しい、

相手のせいにしないでね。ってことが言いたいのです。


2017年4月3日月曜日

明るい実践の具体的な第一歩、「笑顔」


本日は面接のお仕事が二つで、比較的のんびり過ごしております。


昨晩は自治会の平成29年度の総会がございまして、

一昨年度から務めて参りました役員を無事終えることができました。

総会の帰り道、同じく任期を終えられた副会長さんから

「お疲れさまでした」とねぎらっていただき、

「始めの時に、あんたが『どうせ やるんやったら、笑顔でした法が楽しい』て

 言うてくれたんで、肩の力抜けてできた」と、おっしゃいました。


そういえば、そんなこと話してたなぁ。


うちの自治会の役員は、選挙で決まります。

選ばれると、よほどのことがないと断れません。

色々と用事もあり、正直言って面倒くさいし、

あまり嬉しいとは感じません。

(正直すぎてごめんなさい)

かといって、自治会活動のために誰かが担わねばならないのですから、

選ばれた以上は、前向きに取り組んだ方が楽しいと思いますし、

ブツブツ言いながらするよりは、笑顔でやった方が

周りの人も気持ちええやろう。と思うのです。


言うときますけど、やりたいのではありません。

やらなければならないのなら、笑顔で前向きにやった方が

得るものも多いと思うし、周囲も幸せやと感じるのです。


昨日書いた「明るい実践」です。

「暗い実践」ではなく、「明るい実践」をした方がいいでしょう?!

それを具体的に形にするには、

「笑顔」だと思っているのです。

苦手な方は、鏡を見てトレーニングしてくださいませ!!!



2017年4月2日日曜日

明るい実践を心がけてください!!


昨日から平成29年度に入りました。

社会福祉法人神戸聖隷福祉事業団との関わりも、

「理事・評議員」から「評議員」となります。

社会福祉法が変ったことによりますが、、、

新規採用職員と昇任人事の辞令交付式に出席してきました。


今年度は、25名の方々が新規採用となりました。

介護人材が集まらない昨今、

とても嬉しいことです。

その席上、(一応)来賓の祝辞コメントということで

少しだけお話しさせて頂きました。



「明るい実践を心がけてください」

これは、社会福祉学会名誉会員の秋山智久先生から

40年以上前に、

まだ先生が四国学院大学におられた頃に聴いたお話しです。


神戸聖隷福祉事業団の第1号施設の恵生園は

42年前に兵庫県の北部、和田山町に開園しました。

私の父親は設立当時のメンバーであり、

恵生園が開設したときに神戸から和田山に移り住んだ関係で

私も中学3年の時に但馬に住みました。

新しくオープンした障がい者施設に

社会福祉系の大学からワークキャンプということで

ボランティア実習の学生さんたちが来られていました。

秋山先生もゼミ生を連れられてこられていました。


中3の私も、ボランティアのような形で施設の裏山の整備や、

椎茸の菌打ちなどを手伝っていた関係で、

ボランティアの大学生の方々に可愛がっていただきました。

その時に、秋山先生が学生さんたちにお話しされていたのを

生意気に聴かせていただいた時のことと記憶しています。

(記憶がいい加減で、語句等は違うと思うのですが、、、)


「福祉の現状は暗いんです。

障害を持たれた方が就労したくても非常にむつかしいし、

結婚だってそう。

高齢者の方が在宅に居たいと思っても叶わない。

そういう風に利用者の方々の状況は決して明るいものではありません。

で、そこに関わる私たちの実践が暗かったら

利用者の生活は決して明るくならないでしょう。

だから皆さんは明るい実践を心がけてください。」

というような内容であったと思います。

(少なくとも、そう記憶していて、私の福祉実践の動機付けの一つです)


新たに福祉実践・対人援助の世界に来られる皆さん、

「明るい実践を心がけてください」

そのために、学び、努力してください。

そして、昇任されて新人の方を指導する方々は、

「より一層、明るい実践を心がけてください」

でないと、明るい実践ができる人が育たないからです。


昨日、フレッシュな方たちに、

そんなことをお話ししたのでした。