2017年4月17日月曜日

自らのジャッジを求めない姿勢


昨晩、テレビを見ていて

北野武さん(漫才師ツービート・映画監督)が

ピカソの絵画を見ながらお話しをされていた。


その中で、晩年のピカソが

「やっと子どもの絵が描けるようになった」

と発言したことに触れて、

「自分で気にいったとか、気に入らないとか関係なくなったんじゃないかなぁ」

みたいなことをいわれていたと思う。

言い換えると

「自分で自身の絵をジャッジしなくてよくなった」

ということだろうか。


「自分の感じているモノを、

 思いのまま描いて、

 そこに善し悪しはなく、 

 そのままである」

ということなんだろうか。


私などは、

自分で何か行うたびに

出来栄えを自己評価(多くは上手くいかなかったいいわけ)して、

他の人には「このように理解してください」注釈をつける。


ピカソは自信の作品について

「見る人の目で捉えて、理解してもらえばよい」

みたいなことを言うのだ。

なんて格好いいんだろう!


人はジャッジされることを恐れ、嫌い、拒む

が、ジャッジがないとそれはそれで不安になるもの。

そういう部分に囚われない域にまで到達した人なんだろう、ピカソは。

明恵上人がいう

「阿留辺幾夜宇和」というのも

こういうところを目指しているようにも感じる番組だった。

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