2016年5月31日火曜日

嫌なことを忘れたい。でも忘れられない。ってこと?!


今日は、朝一で大学の日。

午後からは、4月から新たに委託された新任民生委員さんの研修でした。


それとは全然関係なく、

今夜は最近で火星が地球に近づく日だそうです。

夜暗くなって、南東の空、低めのあたりに赤く輝く星だそうです。

ところが、火星の直ぐ近くにやっぱり赤い星、

蠍座の心臓といわれるアンタレスが輝いているそうです。


このアンタレスの名前の由来は、

「アンチ火星:火星に対抗する星」だそうです。

ちなみにギリシャ語で火星は「アレス」だそうで、

その前に「アンチ」がひっついて「アンタレス」だそうな。。。


そしてこの「アンチ~」という言葉。

私の場合は、「アンチ巨人」という言葉を最も多く使いますが、
(巨人ファンの方にはスンマセン)


ここで、よく考えてみると「アンチ巨人」ということは、

巨人がいなくては成り立たないのです。

巨人に対抗するには、絶対に巨人が必要でしょ!!


ここですよ。

心理学でいう「好き」の反対は「嫌い」ではなく

「無関心」ということ。


今日、FBフレンドが、

辛いことを「忘れたい」けれど

「忘れられない」ということを訴えていました。

辛いことだと思います。


「忘れたい」ということは「覚えておこう」と

さして変わらないのです。

何故かというと、忘れたいことに囚われている次元では一緒だから。

そのことを「忘れたい、忘れたい。」と思っている間は

忘れることはできません。


がっつり向き合って、心の中にちゃんと整理するか、

他の熱中できるよい方法を探して力を注ぐことで昇華するとか、

とチャウかなぁ!

2016年5月30日月曜日

小さな幸せ探しをする


今日は、

特段、予定もなく、

レジュメを作ったり、

自治会のお役目で近所の工場に町の広報を配ったり、

FBでお友達の投稿を読んでみたり、

突っ込んでみたり。

楽しくなったり、かわいらしい写真を見たりすると

「イイネ」というのを押したりする。

最近は「超イイネ」というのもある。


困るのは、「辛かったり、しんどかったり、悲しかったり」系の記事のとき、

「イイネ」が押しづらい。

おそらくそういった配慮からか、

最近は「悲しいね」とか「怒っている」っていう感じのもできていますが、、、

しんどい方の投稿を見ていると、

その出来事に引っ張られて、

その日一日が「悪い日」のように思えてくるようです。

そう、今日の私は、昨日の自治会の一斉清掃での溝掃除で、

若干の全身筋肉痛で、少しブルーではありました。。。



五木寛之さんの著書で「生きるヒント」というのがあります。

その中で「小さな幸せ」・・・「嬉しかったこと」・・・

(記憶がいい加減ですが、、、)

そんなことを書いていらしたのところがあります。

(随分以前にもブログに書いたことがあると思うのですが、、、)

「ネクタイが一回で結べた」とか

「新幹線に乗ったら富士山がきれいに見えた」とか

そんな感じの幸せ探し。


稲松の今日だったら、

朝の散歩のときに、

「葉っぱに付いたしずくがきれいだった」












「ツツジが満開過ぎてラッシュアワーみたい」













「昼ご飯のときに、冷やし素麺のトッピングに玉子を焼いたらきれいにできた」














こんな感じでいいと思うのです。

小さな幸せ探しをして、

楽しく暮らす意識を持ちたいものです。


2016年5月29日日曜日

生(ライブ)の良さ

今日は朝も早く、7時から自治会の春の一斉清掃で溝掃除をしました。

雨に降られず、青空も覗くお天気でした。おまけに蒸し暑くて汗ビッショリになりました。

結局、10時前に帰宅してシャワーを浴びて、、、で「生は良い」っていうタイトル?

それも最高ですが、生は生でも演奏会。

午後から神戸市民交響楽団の定期演奏会に行って来ました。

実はホルストの「惑星」という組曲を最初から最後まで聴いたことがなかったのです。

初体験を、ライブで楽しみました。クラシックとかあまり聴かない方でも、平原綾香さんの「ジュピター」って歌は知ってる方も多いのでは?

この歌のもとは「惑星」の4曲目「木星」の後半のメロディーです。


生の良さは、予想できないところです。

「どんな風に演奏するんだろう?」

「あっ、失敗しはった。」

等々、ワクワク、ドキドキです。

これが演奏する方も、聴く方も味わっているライブ感です。

だから楽しいのです。


クライアントさんとの面接や、事例検討会もライブです。

参加者がお互いに「良いものにしたい」という気持ちでライブにのぞむのが大切ですよね。

そのために専門家は練習するんですよ!

2016年5月28日土曜日

可視化のすすめ


今日は、

午前中にSV面接があり、

午後から、主任ケアマネジャー研修の事例選定作業。

事例検討作業と並行して、主任演習をしていて、

講師仲間が担当していました。


SV面接では、

基本的にバイジーさんの事例を振り返ります。

私は、当然のようにホワイトボードを使って

ジェノグラムやエコマップを書いて、

事例の登場人物や、その関係性を可視化します。

そうすることで、バイジーさんとも

情報や、見立てなどの考え方を共有しやすくなりますし。

そこから前に考えを進めるのもイメージしやすくなります。


午後から久しぶりに逢った講師仲間が、

「マインドマップを勉強して、使ってみてるねん」とのこと。

やはり思考の可視化をするやり方です。


アローチャートでも、

ホワイトボードミーティングでも、

何でもいいので、

物事を整理して考えるとき、

特に複数で作業するときには、

是非、可視化する方法を実践してみてください。

2016年5月27日金曜日

お互い様の心


昨今、

地域包括ケアシステムの話をするときなど、

「自助・互助・共助・公助」とよくいわれます。

私自身も、講演等で使用するフレーズです。

私のイメージとして、

国や行政は、自助や互助について熱く語りますが、

共助・公助についてはあまり語りません。

まっ、財源のこともおありでしょうから、

致し方ないことではありますが。


自助の部分は、

「できる限り、自分でできる部分は頑張ってください」ということで

至極当たり前のところなんですが、

なかなか難しいのは「互助」の部分です。

要は「お互い様」という関係性ですよね。


世間を見渡してみて、

お互い様がどのくらい通じるのかです。

先日テレビで、熊本の避難所からのレポートがありました。

「ここの避難所は、皆さんがお互い様の精神で助け合っているのでよかったです」

というような発言が聞かれ、素直に「よかったなぁ」と感じていたのですが、

一方では、

上階の子どもの足音が気に障るので、母親と祖母を刺殺したとか、

近隣の保育所の「子どもの声がやかましい」と怒鳴り込んでみたり。


もちろん、嫌なことを何でも我慢しなさいというのではありませんが、

「お互い様」の気持ちを実践するということは、

最初に、違うということを認めるところが必要だと思います。


「お互い様」は、それぞれ同じようなものだから、

助け合いましょうではなくて、

「お互い、違う部分もありましょうが、力を合わせましょう」

だと思うのです。


「お互い様の心」とは、

実は、もっとスケールの大きな話だと感じるのです。

ボランティア活動の根底にある

「大きな命のつながりのために活動する」といった考え方。

福祉行政だけではなく、

学校教育・家庭教育・社会教育の場面で

そういった考え方を育まない限り、

「地域包括ケアシステムの構築は、

絵に描いた餅のようになるんじゃないかなぁ」

って思います。

2016年5月26日木曜日

愚痴だって、役に立つこともある。


新年度になって

2ヶ月が過ぎようとしています。

フリーランス講師(私だけかもしれませんが)は、

この2ヶ月間は、比較的緩いスケジュールです。

お世話になる多くのクライアントが、

新年度早々に研修事業を組みにくいからです。


組織に属していた頃は、

年度をまたいで、予算決済の時期ですし、

新たに動き出した新年度の一つのポイントです。

新しい環境になじめない人が出てくるのも

この時期が最初です。(5月10日の木の芽時です)

精神的に病まないまでも、

様々な、不平不満が出てきます。

ここで、それらの愚痴をどのように聞くかは、

その後の実践に大きな影響があります。


愚痴は、非建設的で、取るに足らない戯言。

そう思ってませんでしょうか?

確かに、ただただはき出したいという理由で

文句を言っている人も居るかもしれません。

しかし、傾聴してみると

発言される文句の中には根拠があって、

客観的に分析すると、

組織の課題や目標、対応方法に対する示唆を含んだものもあります。


愚痴が出てきたときにも、

基本は、まず傾聴です。

それも「言い返してやろう」と聴くのではなく、
(そもそも、それは傾聴とはいえないけれど、,,)

しっかり聴いた上で、傾聴するだけでどうすることもできない内容か、

現状を分析して、今後の運営や活動実践につなげるのか、

整理することが必要です。


利用者の苦情が、サービス向上の種になるように、

スタッフの愚痴が、業務改善の種になることもあると思います。




2016年5月25日水曜日

ボランティアも専門性が必要


今日は自宅でゴソゴソ仕事でしたが、

午後、ちょこっと横になったつもりが爆睡してしまいました。(苦笑)

そんな中、ボランティア養成講座のレジュメを作成していたのですが、、、


最近の高齢者福祉でも、障害者福祉でも

「地域」「互助」というキーワードで、

様々なボランティアの養成講座が開催されています。

そこで感じるのは、ボランティアをしようと思う方の意識です。

ボランティアという言葉は広く知られるようになって、

実際に行いたいという人も増えていますが、

活動するからには基本的な考え方が必要だと思います。


昔から言われる、
・自発性
・無償性
・福祉性
に加えて、
・継続性
・地域性
などです。特に、福祉性の部分。

最近、稲松がかかわる講座では、

「傾聴」であるとか「地域支援」等々の即実践のようなものが多いのですが、

社会福祉の基本的な考え方は学んで欲しいと思います。

「自立」「自己決定」の考え方や

「利用者本位」「秘密保持」とうのモラル(もはやルール)、

は押さえて欲しいと感じています。


「地域包括システム」の確立には、

ボランティア、地域住民活力といった

インフォーマルな支援は不可欠ですし、

個別支援でも、地域活動支援でも、

バラバラな活動ではなく、

チームを形成して活動することが必要です。

そうなれば、守秘義務等の倫理の学びは絶対に必要です。


熊本と大分の震災支援ボランティアも、

何も学ばずに、それぞれが勝手に現地で活動すれば、

結果は芳しいものにならないはずです。

経験から学ぶ実践を積み重ねるタイプの人は、

本当に謙虚さが必要ですし、

活動の振り返りによる学びも必要でしょう。


各種団体、社協等での

各種ボランティア養成講座で、

社会福祉のベースの部分もしっかり伝えていただきたいと思います。

2016年5月24日火曜日

一つ完成

今日のブログはお知らせ。

ケアマネジャーの専門研修カリキュラムが新しくなります。

兵庫県社会福祉協議会では、新カリキュラムに合わせた演習ワークブックを作成しました。

とりあえずの本資料です。

もう直ぐ、アセスメントのプロセスやケアプランをご案内する別冊ができます。

チョコっと執筆しました。
手前味噌ですが、なかなかイイ出来ですよ。


2016年5月23日月曜日

“アセスメント”とは根拠です。


今日は午前中、

有料老人ホームを経営する大阪の会社に、

ケアマネジャーさんたちの研修打ち合わせに行きました。


有料といえども施設ケアマネジャーは一人職場です。

ただ、「この会社すごいなぁ」って感じたのは、

いくつかあるホームのケアマネジャーさんが

定期的に集まって事例検討会等を実施していること。

素晴らしい取り組みを既にされています。


が、

なんかすっきりしない。

不安が軽減されない。


こういうことは時々聴きます。

事例を振り返るときに、

支援の方法や結果だけを振り返っても

なかなかスッキリしません。


ではどうするのかというと、

「どのようなアセスメントをしたのか?」から振り返ることです。

なぜなら、支援の方法や、その結果は

アセスメントに基づいているはずだからです。


アセスメントとは「査定」という意味です。


例えば、ご自身の車を査定してもらったとして、

思ったよりかなり低い査定額が提示されたとすれば、

査定内容を尋ねるでしょう。

ボディの傷や内装の汚れ、エンジンの傷み等々について

査定結果を聞かされれば、しぶしぶでも納得するんですよね。


クライアントさんやご家族でも同じです。

なぜ、この支援計画なのか?

その根拠が分りたいはずです。

その部分を共有せずに支援するということは、

結局、一方的な支援といわざるをえないと感じています。


アセスメントとは、根拠ですから、

困難だと感じる事例を振り返るときにも、

大本になる根拠の部分から振り返る必要があるのです。



2016年5月22日日曜日

「裟婆」について

今日は、
神戸まつりの協賛企画、垂水  "区民の音楽の広場"に西神戸混声合唱団で出演。
"涙をこえて"という曲を演奏しました。
そのサビのところで、
🎶涙をこえて行こう、輝く明日みつめて🎶
という歌詞があります。

その後、大阪の親類のとこに会食に行ったのですが、そもそもの集まりは18年前に高校1年で他界した従兄弟を偲ぶ会です。

今、帰りの電車の中で、歌詞の意味と従兄弟のことを思い生きるということを考えてしまいます。

「生きる」ということは「裟婆」にいるということですよね。
「裟婆」とはもともと「忍耐」という意味で、「生きるということは、自分の思い通りにはならない」ということだそうです。

ということは、「耐え忍ぶ努力」無しに「輝く明日」は来ないということです。

う〜ん、生きるということは修行なんだ。やっぱり❗️

2016年5月21日土曜日

そら「なんか、おかしい」って現場は思うよ!


本日は、

理事・評議員をさせていただいている社会福祉法人の決算理事会。


一昨年度より稼働率が上がっている。

しかし、収入は減っている。


すなわち、報酬が減っているから。


国民総活躍時代を作るために

介護離職を0にするらしい。

そのために施設を作り、

マンパワーを確保するために

介護職員の給料を上げる。そうです。


努力して、たくさんケアしても

報酬は下がります。


現場の人間は「なんか、おかしい」って感じています。


なかなか、研修にも参加する機会はありません。

たまに行けても、ビジネスクラスも乗れません、

でもホテルはビジネスホテルです。


やっぱ、政治家とは違うのですね!!!


ごめんなさい。愚痴っちゃいました。

2016年5月20日金曜日

難しいって、思い込まないでね!


昨日から、

兵庫県宍粟市のケアマネジャー有志の勉強会がスタートしました。

社協の主任ケアマネジャーHさんの呼びかけで9名の方が、

仕事終わりの18:30~、

メンバーのお一人が管理者兼ケアマネをされているグループホームに集まって


内容は、呼びかけ人のHさんの発案で

「『人間行動理解』で磨くケアマネジメントの実践力」渡部律子,中央法規

のⅤ「クライアントとクライアントの課題の理解に役立つ理論」

全体の8章~13章までを1章ずつ、5月~2月まで10回(うち4回事例検討会含む)

参加者が勉強会当日までに読み込んで、レジュメを作り

当日の“あみだくじ”で当たった人が講師役でレクチャーをします。

その後、発表者も含めて疑問点などを話し合います。


昨晩のテーマは、

8章「ロジャーズの来談者中心療法を中心とする人間性心理学」

発表が当たった方は、どきどきのマックス状態でしたが、

読み込んだことを一生懸命に説明されました。

前置きのところで

「こんな難しいことは理解できないと思ったし、

実際読んでも分らないところがいっぱいで、、、」

という感じで、よく聞いてみると

「心理学」=「難しい」「よく分らない」

からスタートされたようでした。


具体的には、、、例えば「パーソナリティ理論」の

「パーソナリティ」が分らない。


レクチャーの後の話し合いの中で

稲松ができる限り解説して

なんとなく落とし込みはされたようでした。


今まで読んだことのない分野の本を読むときに、

最初に「難しい本」と決めつけずに、

とりあえず読んでみて、分るところから押さえていく。

で、いいと思います。

それから、分らないところは調べてみるとか、

分る人に尋ねて見るとか、

何回も繰り返し読んでみるとか、

ようは、あまり構えない方がいいと思いますよ。

2016年5月19日木曜日

他者の視点が入る意味


昨日も話題にしましたが、

ケアマネジャーの専門研修等のカリキュラムが一新されました。

で、兵庫県では専門Ⅰ・Ⅱのテキストに変わるものを作成しようと

兵庫県社会福祉協議会社会福祉研修所で作業しています。

稲松も微力ながら執筆担当に加えていただいておるのですが、

先日来、ゲラの上がってきたものをチェックする作業に入っております。

自分の担当箇所を何回か読み返し、

昨日のワーキング等に持ち寄ります。


他の委員の方が一読しただけで、

「稲松さん、2表の最後のところ誤変換じゃないですか?」

「あっ、ホンマや!」

「個々の箇所も、字抜けてません?」

「あっ、ホンマや!!」


情けない限りです。


稲松の視点だけで見ていたら、

間違いを発見できません、、、発見しにくいのです。


他の方の視点が入ると、

やはり気がつかれるのですねぇ。。。


対人援助の実践の場面でも、

「なんかうまくいかないぞ」

というところは、他者の視点で振り返ることも大切です。

それが、事例検討会だと思います。

2016年5月18日水曜日

困難事例の何処が困難

今日は、

ケアマネジャーの専門研修新カリキュラムのテキスト作りのワーキング。

様々なタイプの事例を扱うのですが、


困難事例だと思うケースとは、どのようなものでしょうか?

複雑なケースの課題とは、どういったことになっているのでしょう?


それには、一つひとつの情報をつなぎ合わせて、どんな問題が起こっているのかを考えてみる事が必要です。

クライアントの身体の問題、気持ちの問題、物理的な環境の問題、家族の状況、家族の思い、家族以外の人的環境の問題、経済的なこと、制度の問題、介入のタイミング、、、勿論  援助職者の力量、等々

これらのことを丁寧に振り返って、何が困難を生み出しているのか?

それをキチンと検証しないで、印象だけで困難と感じていることが結構あるのではないでしょうか?


アセスメントとは、決して単発ではなく、この様な作業の繰り返しでもあると思います。

その先に困難さが浮き彫りになってくる様に感じています。

2016年5月17日火曜日

固定観念に囚われず、自由な発想を鍛える


先日、TVで「劇的ビフォーアフター」を観ていました。

古い建物を、住人の依頼を受けて、

その道の匠がリフォームしていく番組。

生前、野中猛先生が、

ケアマネジャーの仕事を、

この番組の匠の仕事に例えられていたこともあり、

大好きな番組です。

最後の方では、毎回、涙ぐみながら観ています。


野中先生ではありませんが、

クライアントの依頼に基づいて、

それ以上の仕事を成し遂げていくところに、

「匠」というものを感じます。


匠は、セオリーを大切にしながらも、

非常に自由な発想で新しい環境を描き出していきます。

今回の保育園の園庭の仕事も

廃材や不要品を使って、

どんどん新しい遊具を作り出していきました。


対人援助の仕事をしていても、

日常生活を送っていても、

既存の固定観念に囚われていると

できそうなことを諦めてしまわないでしょうか?

障害のある人の日常生活用具は、

このような自由な発想がないと生まれてこない気がします。

片麻痺の方が包丁を持って調理をしようとするときに、

まな板に3本ほど打って、生け花の剣山のようにすることで

食材を固定できるので、皮もむけるし切ることもできる。

こういう発想、、、工夫が生まれてくる背景は、

いかにものの見方を自由にするかだと感じます。


和歌山のローカル鉄道が廃線の危機からよみがえったのも、

猫を駅長にするという発想です。


「認知症で要介護だから在宅は無理」

「障害があるから、この作業はできない」

という発想も、考えることもせずに

固定観念に囚われているとしたら

もったいないことかもしれません。

2016年5月16日月曜日

新しい挑戦


本当は、

昨年の暮れに2016年の目標に挙げた

「バイステックを原書で読む」

年末にAmazonで注文して、

2月に届いて、、、そのまま時期を逃して、、、


本日より、取りかかりました。


まだ、本文ではなく

カバーに書かれてある、

「重版」についての解説から。


終了するのはいつ頃か?

来年の今頃には第4原則くらいまではいきたいなぁ。。。


ゆっくりと前向きに、顔晴ります!!

2016年5月15日日曜日

「自立」~ストレングスモデル~


対人援助の基本的な研修でおしゃべりするのですが、

私たちが「自立」という言葉を使うときに、

a「自分のことが自分でできる(生活を自前で賄える)」という意味と

b「その人らしく生活できる」という意味があります。

aは、狭義の自立で、bは広義の自立といいます。


世間ではaの意味で用いることがほとんどですが、

社会福祉援助の立場ではbをイメージすることの方が良いと思います。


そしてbの中にaを含んでいるように感じます。


なぜか?

広義でいうところの「自立」とは、

「自己決定された生活の有り様を様々な社会資源を用いて実現する」

ということになります。自分以外の社会資源に依存することも必要になります。

が、様々な社会資源を用いるときに真っ先に考えるのは、

自分自身の力だからです。

他の社会資源と繋ぐことだけが支援ではないことをしっかり押さえておくこと。

それを後進に伝えることは重要です。


自分でできることは自分で行う方がその人らしいでしょう。

できるようになることの方が快適でしょう。

それだけに固執してはなりませんが、

そういうことがストレングスモデルだと思います。

2016年5月14日土曜日

まず、押さえておきたいこと

今日は、

神戸聖隷福祉事業団の新規採用職員研修がありました。


対人援助の肝の部分をお伝えするのですが、


まず、押さえてほしいこと、

常に考えていてほしいこと。


それは

利用者が主体であり、

利用者の福利を優先するということ。


その意味を、

いつもいつも問い続けることだと感じています。

2016年5月13日金曜日

カモの子育て

今朝の散歩のときに、いつもと通る川の中にカモと共にうごめく小さな物体が。

よく見るとホントに小さな雛が8羽、、、8匹と言いたくなる。

鳥のヒナは、生まれて直ぐに見た動くモノを親と定めてついて行くそうです。いわゆるプリンティングというヤツです。

言い方を変えると、思い込みです。

生まれてきて直ぐに、飼育係のお兄さんを見せてしまうと、お兄さんを追いかける。という実験を見たことがありますから。

鳥のヒナは、基本的にはそれで構わないのですが、対人援助職者は要注意です。

相手を第一印象だけで分かってしまっては、真っ当な支援が難しくなってしまいます。

「思い込み」気をつけねばなりません。


新しい命がスクスクと育ちますように❗️
動画が挿入できませんでした。ごめんなさい。

2016年5月12日木曜日

自分を変えることは「周囲も大変」ということは想定内。


今日は午後から自宅で面接。


定期的にお仕事の相談に来られていますが、

お話聴きながら、

私の感じたことをお伝えしてたら、

「そっかぁ、こうやってみたらええかも。。。」

という具合に自分で次のチャレンジの仕方を決めて、

次回また振り返ります。


自分自身で決めたことにチャレンジするということは、

「今までの自分のやり方とは、多少なりとも変えてみる」

ということです。


よく言われることですが、

「他人と過去は変えられない、変えられるのは自分と未来」

ってことで、自分の行動を変えてみるということです。

いうのは簡単ですが、実践は結構大変です。

それでも意識して取り組むということは素晴らしいと思います。


実践での大変さの大きな部分は周囲の反応です。


(実際の相談の中身のことは紹介できませんが)

相手にとっては、今までと違った関わり方をしてくるので当然戸惑います。

例えば「今までのあなたの方がいい」という人がいるかもしれません。

でも、直ぐに戻す必要はありません。

「戸惑い」が馴れないためのことによるのであれば、

馴れていただくことは必要です。


一人の人が行動変容するということは、

周囲への影響は避けられません。

長い目で見たときに

周囲にとっても良い変化だと感じたのならば大丈夫です。


成長するということは、行動変容するということ。

そのためには、意識して取り組みを継続することが肝要です。





2016年5月11日水曜日

ペットの介護


今朝のNHK「あさイチ」で

「どうする?ペットの高齢化」「驚きの老犬ケア排せつ介護」

という特集をしていた。

もちろん看取りも取り上げられていました。


人間が高齢化して要介護状態になった場合も

その家族の心身の負担は大変なものです。

このことは、

「家族の構成員それぞれで

家族という社会が担う役割を

分担して対応する」というシステムを考えて見ると、

「構成員の一人が要介護状態になることで、

その人が担ってきた役割を他のメンバーが担い、

プラス介護という新しい役割が求められる」

という構図が見えてくるからです。


どうやらペットの場合も似たようなことが起こるようです。

そもそも、、、例えば「犬は家族か?」という場合、

最近の家族の概念からすれば、多くの場合「家族」になると思います。

「家族同一性(ファミリーアイデンティティ)」について上野は、

「自分を取り巻く人間関係のどこまでを自分の家族と考えるのか、

家族であるか否かの判断は、個々人に備わっている」(上野,1991.1994)

としている。人間関係と書かれているが、

従前からの定義の一つ、

「(前略)成因相互の深い感情的包絡で結ばれた、

第一時的な福祉追求の手段である」(森岡・望月,1983)

と併せて解釈すれば、そう考える方が当然と思えます。


番組の中では、

愛犬の介護のために仕事(教員)を辞めた例もレポートされていました。

こうなってくると、どこかの総理大臣が言っている

「介護離職0」の範疇はさらに広がってきそうです。


ペットがいよいよ弱ってきたときに

点滴をして、少しでも命を永らえるのか、

それとも寿命として受け入れるのか、

このあたりのことも、不謹慎と言われるかもしれませんが、

人の看取りの際に迫られる決断とほぼ変わりないようです。


私のところの愛犬ピースは一昨年の秋に召されました。

最後の約1ヶ月は立つこともままならず、

嫌な、嫌なおむつを当てられて在宅療養でした。

私も連合いも泊まりの仕事があったために

主治医である獣医さんのところに預けて

仕事から戻り、すぐに向かいに行くとかなり弱っていて

見るからに最後が近づいているのが分りました。

家に連れて帰って30分くらいしたとき

呼吸が下顎呼吸となり、

私の腕の中で、すーっと息を引き取りました。

いろいろな思いが今でもよみがえりますが、

これはこれで、良かったのではないかと感じています。


生命が誕生し、老いて、病を煩い、死んでいく。

この必然は、命あるものすべての定めです。

その営みを自然のものとして受け止めていく作業は、

人もペットも何ら変わりないということだと感じました。

2016年5月10日火曜日

木の芽時


ゴールデンウィークも終わって日常が戻ってきました。

私なんぞはフリーランスなので連休なんて関係ないようですが、

世間が連休のときに研修をしようという人は少ないので

必然的にお休みができます。

それから例年 功例になっていて

連合い方の甥っ子を中心に、

親戚が遊びに来てくれるので

出かけたりBBQじゃぁないけど

焼き肉したり、手巻き寿司したり、

GWを楽しみます。


日頃と違うことをすると

そのときは楽しくても

後で疲れが出てきます。


「木の芽時」

この頃(もう少し早い時期から今くらい?)の季節をこう呼んで、

昔から、精神的にも不安定になりやすい季節です。


現代社会において、

日本では新年度と重なり、

今までと違った環境に適応しなければならなかったり、

気温の寒暖の差が激しく身体的にも対応が難しかったり、

心身ともにストレスフルな季節です。


この時期に連休があることは

気分転換ができるために助かるのですが、

日頃と違ったことにエネルギーを使うことで

身体面の消耗があるため体力は落ちてしまいます。


その上、楽しかった非日常から日常に戻ってきますので

精神的なダメージも付加されます。


では、どうしましょう?


日常の中に楽しいこと、

プチ非日常を見つけてリフレッシュすることをおすすめします。

う~ん、散歩がいいですね。

・かわいい花を見つける。

・かわいい犬を見つける。

・きれいな空や海を見つける。

・新緑の笑う山を見つける。

何でもかまいません。

難しい話をすると交感神経や副交感神経のお話になりますが、

そういうことはちょっと横に置いておいて

自然の持っている美しさや生命力を分けてもらいましょう。

そしたら笑顔が戻ってきますよ!!


2016年5月9日月曜日

利用者が主体であるということ


今日は、

神戸市の地域支え合い活動支援者(LSA、SCS、地域支え合い推進員)の

新任研修でした。


これらのワーカーは、

基本CSW(コミュニティソーシャルワーカー)なのですが、

社会福祉援助の専門的なことを学んでいる人は少ないのが現状です。


地域支援を考えようとするときに

そのベースである個人支援(ケースワーク)は必須です。


そこで一番に押さえてほしいなと感じることが

利用者主体ということです。


それは、私たちが支援するのは

利用者の生活であり、

その中の「自己決定」を支えるからです。


新任さんの間に、

はじめの第一歩のところで、

このことをきっちりと伝えないと

「困っている人を助けてあげる」という、

専門職とはかけ離れた人材が育ってしまいます。


私たちが専門職であるためには、

常に、利用者が主体であることの意味を考えていなければならないでしょう。

2016年5月8日日曜日

生ものは新鮮がイイ!


この間テレビ見てて言っていた。

多分、食べ物屋さんの大将。

魚かなんか、裁いてて言うてはったと思うのですが、、、


この意味は、

材料の新鮮さのことだと思うのですが、


このことを聴いていて

違う視点で捉えると

「人間関係も同じやなぁ」

と感じました。


人と人との関係って生ものでしょう。

そしたら新鮮な方がイイよね、って。

夫婦でも、親子でも、友人でも、同僚でも、

クライアントと援助者も、


どうやって新鮮さを保つか?

逢ったときには毎回きちんと挨拶して、

相手のすてきなところを探すのがこつかもしれません。

その意識を失うと、

人間関係は腐ってくるんと違いますかねぇ。

2016年5月7日土曜日

時間の長さ


土曜日、

西神戸混声合唱団の練習日です。


今日は、13:00から指揮者とパートリーダーのミーティング。

14:30から引き続いて役員会。

17:00過ぎからベースのパート練習。

18:00から定期練習でした。


いつもなら、18時からのメニューだけですが、、、

13時~20時半まで7時間半は結構疲れます。


自分の担当の楽曲のときは指揮をするのですが、

今日は客演指揮者の先生の練習なので歌い手です。


どちらも楽しいのですが、

歌った方がお腹が減ります。

指揮した方が汗はかきます。


疲れるのですが、楽しいです。

楽しいと時間が早く過ぎます。

つらい時間は長く感じるように思います。


皆さんは、

何をしているときに時間が早く過ぎるように感じますか?

そういう早く過ぎる時間がたくさん作れるといいですね!!

2016年5月6日金曜日

ゆっくりと育つ方がいい


昨晩、撮りためていたテレビを見ていて

「なんでも鑑定団」ですが、、、


屋久杉の茶箪笥が出てきました。

本物で、しかもかなりの上物だったようです。


それは、樹齢が古く

気候の関係でゆっくりと育つために

年輪が詰まっていて

樹脂もしっかりしていて強いのだそうです。


慌てて育つと、

年輪が粗く、いいものにはならないそうです。


もしかしたら、

人も、

慌てて育てようとすると

荒く、いいものには育たないかもしれませんねぇ。

2016年5月5日木曜日

当てが外れたときには、、、


今日はGW最終日。

昨日は、甥っ子向けに動物王国に、

でも、ラーメンをご馳走する約束が果たせなかったので、

本日リベンジ。

ただし、今日の夕方には帰るので遠出は無理。


車で10分くらいのところのお寺、薬師院へ。

別名ボタン寺。ちょうどこの時期ならと思いきや。。。



今年は、4月の後半には見頃を終えて散ってしまったそうな。

残念、ですが天気もいいことだし。


境内をウロウロしたり、

隣の神社を覗いてみたり、

していると、、、

門前の池にきれいな蓮の花が咲いていました。


生活していて、

当てにしていたことが外れてしまいガッカリ。(´д`)

でも まっ、あることです。

そんなときのために、

別の候補や方法を考えておくのが賢明ですが、

そうそう段取りよく準備していないことも多いです。

そんなときには、違う楽しみを探す。

現地調達です。

これが臨機応変というものです。

2016年5月4日水曜日

GW、想定内


今日は、

連休を利用して一昨日から遊びに来ている

甥っ子たちとGW(だいご語ではないがゴールデンウィーク)しました。


私の大好きな神戸動物王国に、、、

まずは駐車場、

それも第2駐車場に入るのに行列。

まっ、想定内。

入場券を購入するのに20分くらい行列。

まっ、想定内。

場内は、人、人、人、

人間、人間、人間、、、

動物とふれあうことは困難。

まっ、想定内。

何故、想定内か?

GWだから。

2時前に、さすがにお腹減ったので、

腹ごしらえ仕様ということになり、

王国内のレストランやスナックコーナーは長蛇の列。

余裕の想定内。

動物王国を後に神戸空港マリンエアへ。

レストラン街のとある店の順番待ちの表に名前と人数を書く。

もちろん想定内。

店の前で待つこと40分。

少し想定外、なぜなら25分くらいたったときに

席が空いたのが見えたから、、、

すごく措定が出でなかったのは、

それま店員さんの動きを観察してかなり緩慢・・・

はっきり言うてトロこかったから。


それでも、色々な人間観られて面白かったです。


「恐いよう~!」と泣き叫ぶ子どもを

ナマケモノの近くに抱き上げて

「ナマケモノさんだよ。」とや優しく語りかける父親。


お土産を買ってもらいたくてぐずっている子どもに

絶対にしないし、できもしないくせに

「置いていくよ!!」と偉そうに大声で怒鳴っている母親。


想定内にしておけば、

疲れはするけれど

そこそこ楽しめますよ。

2016年5月3日火曜日

MCって?


今日は、

紀伊国は有田の湯浅で主に主任ケアマネジャーさんたちの研修でした。

テーマは、司会進行やファシリテーションについて。


司会者のことをMCといったりします。

Master of ceremonies

の略なんですが、


マスターは、主(あるじ)、師匠といった意味合い

セレモニーは、式、行事といった感じでしょうか。


ある催し物の主が気をつけなければならないのは、

参加者が不安になったり、不愉快な気持ちになったりしないようにすること。

そのために何をするのかです。


まず、何のために参加してもらったのかをお伝えすること。

会議であれば、その「目的」です。


次には、その会議でどこまで行くのか。

到達点、「目標」です。


そして、どのような参加者がいるのかをお互いが知っていること。

メンバーの紹介です。「自己紹介」もありです。


それから、会議のルールがあるのであれば説明が必要でしょう。

「意見の出し方」「人を非難・批判しない」とか、、、


話し合われた内容の確認作業。

会議の途中であれば「要約」、最後であれば「結果の確認」

そして「謝辞」


それらはコミュニケーションを通じて行われますので、

「言語」のみならず「準言語」「非言語」のレベルにも留意が必要です。


このあたりが、基本的なラインだと思います。

まずは、これらのことを意識して押さえておくことが必須ですよね!

2016年5月2日月曜日

「愛おしい」ということ


ニュースを見ていて、

3歳の子どもが、祖母の口まねをしていたことに腹を立て

23歳の母親が20数発殴ったという記事を見つけました。

実にいたわしい事件です。

その子どもは、どんなに恐ろしかったのでしょう。


私は子どもが好きで、

スーパーなどに出かけたときに

チョコチョコ歩いている子どもを見つけると

ついついニコニコしてしまい。

連合いからは「とろけてる」といわれる。


動物を見ても、ほぼ同じような状況になる。

生きているものを見て愛おしくなるのです。


今日のニュースのような事件を聞くと

胸がキューッとし苦しくなります。


そもそも「愛おしい」の語源の一つに

「厭わしい」というのがあって、

「かわいそう」的な意味合いが含まれているそうです。

兵庫県北部の但馬地方南部の一部では

「かわいそう」なことを「かわいい」と表現するので、

言葉としては近いものなのかもしれません。


「厭」という字は「いとう」と読みますが、

「いや」とも読みます。

子どもがおばあさんの真似をすることが厭だったのでしょう。

その状況を見ていたわけではないので分かりませんが、

3歳の子どもがおばあちゃんの口まねをする。

私にとってはかわいらしい光景と取ってしまうのですが、

その母親にとって「厭」なものだったのでしょう。


「かわいさ余って憎さ百倍」ということもありますから

「愛おしい」のと「厭」ということも案外、近しいのかもしれません。

それで「厭わしい」事件が起こるとしたら、

「人間って、そんな簡単に分らない」ということを

肝に銘じておくことが大事ですね。


そうそう、人間だけやなくて、

生きているものは、すべからくそんな簡単やないのかもしれません。


う~ん、見たままで愛おしいと思いたいものです。

2016年5月1日日曜日

学ぶを楽しむ


今日は午前中、

芦屋市民センターで「考えを見える化する勉強会」に参加してきました。

アローチャートという方法の入り口を学んできました。


人がものを考えるときの思考の流れを可視化して整理する手法で

山口県の梅光学院大学の吉島先生が考えはったものです。

以前から、聞きかじる程度、、、

耳にしていたもののなんとなく勝手に知っていた程度だったので、

考え方のエッセンスが学べたのは感謝でした。


アセスメント等で集められた情報を

因果関係(N構造と呼んでいる)の考え方で

丸(客観的事実)や四角(主観的事実)と矢印(関係性)を用いて

可視化しようとした感じでした。

非常に、明快で根拠を考えられ、しかも家庭を押さえられるので

一つ引き出しを増やせた思いです。


勉強会でも、実際に図・・・絵・・・を描いて行くのですが、

受講生はすぐに正解を描こうとする。

思考のプロセスを表すのだから

正解も間違いもないのですが、

そのあたりが臆病な感じで講師を困らせていました。

実は、この関わりが学びを楽しくさせないのです。


テストではないので、

自分が考えついたものを図式化するのですから、

例え、結果的に違ったものに仕上がったとしても

その時点では、それが正解というか、、、それしかないのです。


自己表現をする。

もし、自分とは違った表現をする人が居れば、

リスペクトする。

「なるほど」って!

そういう考え方の仲間ができれば

学ぶことは楽しいものに変化します。