昨日は午後から、
西脇市の傾聴ボランティア養成講座の後、
晩方は、月1回の芦屋にある居宅介護支援事業所のGSV、
グループスーパビジョンでした。
帰りが遅かったため昨日のブログを書けずにいました。
今朝方には個人スーパービジョンが一つありました。
昨日のGSVは先月に行った事例検討会の振り返り。
事例検討会のやりとりを逐語録で丁寧に思い返します。
昨晩のGSVと今朝方のSVの共通点が二つ。
ターミナルケースという点と、
事例提供者の引っかかりが、
「クライアントやクライアントシステムにどのように向き合い、寄り添うのか?」
という点です。
「向き合う」と言うことはどういうことなのでしょう?
通常、「クライアント等の言動を受け止め、それに対してどのように反応していくのか」
ということでしょうか。
もう一歩踏み込んで考えて見ると、
「相手の言動を受け止めて、どのようにかにているのか」ということになり、
「自分自身は、どのように感じ、考えていて、どういう風に相手を理解するのか」
ということになるではないかと考えます。
要は、「向き合う」対象は「自分自身」ではないかと思うのです。
特にターミナルのようなケースでは、
自身の死生観が問われるために、
支援者としての引っかかりは深く重たいものであるように感じます。
では「寄り添う」とは、どのように捉えれば良いのでしょうか?
ただ単に、「そばに居る」と言うことではないようです。
このことについては、
月刊の「ケアマネジャー」中央法規の2016年の12月号(最新刊)で、
連載中の「事例で考える 相談援助のキーワード17『傾聴』」の中で
八木亜紀子さんが、
「(前略)『寄り添うの』の語源は、at their own pace、
彼ら自身のペースで、という言い回しだと思われます。
利用者のペースを尊重して、支援者はそのペースに合わせるという意味です」
(「ケアマネジャ-」vol.18_no.12 P.63より)
と書かれています。
なるほどと思いました。
と、同時に「実践は、よほどの意識がないと難しいぞ」
と思いました。
「向き合う」とは、自分自身と向き合う。
「寄り添う」とは、相手自身のペースの沿う。
これらの言い回しは、我々が通常考えているほど
簡単なものではなく、対人援助という人間関係の根幹につながっているものなのだ。
ということを、昨日今日の事例から再度学ばせていただいたように感じました。