2015年2月28日土曜日

ダメなところは残念がる


昨日は、大阪市生野区の主任ケアマネジャーさんの研修でした。

事例検討会の必要性や、

なぜ、兵庫県では“気づきの事例検討会”を推奨するのか

というお話し。


事例を振り返るということは、

自分の行ってきた支援の振り返り作業です。

そのことによって自分の癖や考え方が見えてきます。

自己覚知ができるのですが、

結構しんどい作業です。

なぜなら、自分の出来ていたところだけではなくて

できていなかった、ダメな部分も見えてくるからです。


そんな時に、

できている部分は承認する。

ダメな部分は、、、

見逃すことはできませんし、

叱責する。これでは振り返り作業自体にネガティブ感が、、、

そう、そんな時は残念がりましょう。


残念に思うのは、期待していたことに対する思いです。

期待していたのにできなかったね。残念だね。

次はできるかしら、どのようにしますか?

ここですよね、成長のチャンスは!!

2015年2月26日木曜日

ホンマに好きなこと?


テレビを見ていて、

職人とかプロスポーツ選手とか、

専門職人のドキュメンタリーを観ていて感じることは、

「仕事が好き」という感じでは足りない何か、

こんなつらい目に遭うて、

こんな苦労して、

なんぼ好きでも辞めてまうわぁ、、、


でも辞めないのはなんで?

ただの好きやなくて、

ホンマに好きなんや!


聖隷福祉事業団の始め、長谷川保先生は、

「福祉は道楽で」と云うたそうです。(ちゃうかったかな?)

道楽=道を楽しむ。

これはなかなかのもんで、

釣りが好きな人は、どれだけ忙しくても出かけて行く。

しかも、前日は晩の遅くまで道具の手入れして!

これって、ホンマに好きなりゃこそです。


対人援助の仕事、

ホンマに好きですか?

これって、大事な初心の部分と思います。

2015年2月23日月曜日

同じ方向を見るための対話


先日のホテルコンシェルジュのお話しから

「同じ方向を向く」というフレーズが気に入っているのですが、


今朝のNHKあさイチを観ていて、

再婚した方たちの悩みがテーマなんですが、、、


新たに人生を共に歩みたいと思って再婚しても、

新たなパートナーと向き合おうとするのだけれど、

同じ方向を眺めようとしない。ってことだなぁ。。。


二人のうちの一人だけが同じ方向を見ようとしてはダメで

それだと従うだけで、共に歩む感がない。

共に同じ方向を見ようとする姿勢が必要なんですよねぇ。


そこで対話が必要になるんです。

どの方向を眺めたいのか、

例え、結果として片方の人の眺めることになったとしても

そこに対話があるかということはとても重要です。

2015年2月21日土曜日

やはり同じ方向を向く

今、探偵ナイトスクープを見ていて、『30年以上のニートの男性が何とか外に出たい」「散歩に行かず太ってしまった犬」の二つの依頼を合体して解決してました。
そのニートの男性が、わんちゃんに「外の空気は清々しい」って語りかけてました。
このとき、同じ方向を向きたい気持ちが伝わったのではないかと感じました。
その後、そのワンちゃんは、、、散歩に行っただけでなく、屋外を疾走してました。

ここにピアグループの凄さがあると感じました。


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2015年2月18日水曜日

自己決定による自立ということ


基本的な研修で

社会福祉援助のゴールは「自立」であって、

その「自立」とは、単に自分のことが自分でできるといった狭義の「自立」ではなく、

自己決定に基づく、その人自身が生活を決めていくこと。

と説明します。


社会福祉の参考書的なテキストでは

「その人らしい暮らしの実現」といいたりしますが、

このことも同じ意味です。

広義の「自立」を「自律」と説明する方もいますが、

稲松の場合その表記はあまりこだわりがなくて、

社会福祉の世界でいう目標としての「自立」は広義であると解釈します。


自己決定に基づくというと、

「どこに住むか?」とか「どんな仕事をするか?」のように

結構大きな選択(自己決定)を思い浮かべてしまうのですが、

生活支援の場合、もっと日常生活に密着した部分での自己決定を重視してよいと思います。

(もちろん、どこに住むのかといった大きな部分も重要ではありますが)


朝ごはんに何を食べるのか?
コーヒーに砂糖を入れるのか?入れないのか?
ミルクはどうするのか?
今日は何を着ようかしら?
どの道を通って目的地に行こうか?
髪型は?靴は?・・・・

これらの日常茶飯の決め事もすべて自己決定と云えます。

そして、この決定の積み重ねが「その人らしさ」を作っているのです。


私たちがクライアントの自立支援を考えるときに

当たり前に自分たちが行っているチョイスができているのか?

という視点が必要だし、とても大切だと思います。

2015年2月17日火曜日

向き合うのではなく、一緒の方向を向く


昨日、
NHKのプロフェッショナルという番組を見てたら、
ホテルのコンシェルジュの人が出てました。

世界でも通用する方のようで、
後進の育成も担われていました。

いわば、スーパーバイザー。

その人が云っていた言葉、

「お客様に向き合うのではなく、
お客様と一緒の方向を見る」

対人援助者として、
同じような感覚は必要な気がしました。

2015年2月16日月曜日

人生の物語・・・主人公は本人


今日は、

福祉サービス利用援助事業の専門員さん支援員さんの事例検討会。


事例に向き合うとき、

事例を振り返るとき、

その一つの視点として、


「クライアントの人生の物語に

どのように関わったか」ということ。


よく人生を物語にたとえますが、

クライアントの人生の物語で

主人公はやはり本人です。


父親も母親も、家族と云われる人は

強烈に主人公の成長に影響を与えますが、

脇役、そう共演者です。


本人の成長にともなって共演者はどんどん増えていきます。

そして、援助者も共演者として物語に登場します。


援助者という共演者はどのような役どころを求められているのでしょうか?

そして、どのように演じる(関わる)ことができたのでしょうか?


そこでは、主人公を食ってしまうような

無粋なことをしていないかは検証する必要があるでしょう?!

なので、事例検討かを行って振り返り、

無粋な脇役にならないための学びが必要なのです。

生老病死、自然(じねん)ということ


昨日の夕方、介護支援専門員の研究大会から帰ってきました。

新しい出会いと学びを得た時間でした。


前回に続き、初日の基調講演から


人が生まれ、老い、病を得、死ぬ

生老病死と云いますが、

このことは自然の営みの中にあって

生まれることも、死ぬことも

本来は医療のほかにあること

歳を重ねることを止めることはできませんし、

病を治すことも、一定の枠の中でのみの取り組み身です。


人は、自然の一部であって(じねんの中のもの)

人を理解するときに

先ずそこのところから入っていかなければならないと感じました。

2015年2月15日日曜日

赤ちゃんの言葉を聴く

昨日今日と日本介護支援専門員協会全国大会・近畿介護支援専門員研究大会で和歌山県田辺市に来てます。テーマは「支え・支えあう、心通わせるケアマネジメント〜暮らし・いのち・よみがえり〜」です。

昨日のパネルディスカッションで、90歳の産婆(助産師)さん、坂本フジヱさんの言葉

「赤ちゃんが生まれてきたときに抱き上げて『よ〜生まれてきたなぁ、これからも大変やで、色んなことがあるで』っていうと、赤ちゃんが『わかった』って応えてくれる。そうやって赤ちゃんの言葉を聴くことが大切です」

そのお話しを聴きながら、すごく素直に、対人援助者として、至極当たり前のことを忘れてはいないものの、、、薄まっている自分を感じました。


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2015年2月13日金曜日

演奏会のお知らせ&ご報告

先日、2月11日の祝日に三田の"郷の音ホール"で、関西混声合唱フェスティバルが開催されました。西神戸混声合唱団も参加したのですが、翌12日の朝日新聞の播磨版に(神戸版にも同様)写真入りで記事が出てましたが、西神戸の演奏模様が掲載されました。真ん中の黒服の背中が私です。
そして、5月31日の定期演奏会の仮のチラシができました。皆さん是非ご来場くださいませ❗️


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2015年2月12日木曜日

研修を受けても、受けてもできるようにならん理由


今日は、

芦屋市での対人援助職対象基礎研修

5回シリーズの最終回。


過去4回で

対人援助における目標と自らのポジショニング

援助関係形成と自己覚知

多面的で統合的なアセスメント理解

相談援助面接

について学んできました。

本日は、その振返りです。


バズセッションを繰り返して、

4回の学びの思い出しとその内容についての自己評価、

そこからの課題設定と

明日からの具体的な取り組みについての決意表明。


熱心な受講生の皆さんですから、

これまでもいろいろと研修を受けておられます。

知識は増えてきているし定着もしているのですが、

実践につながらないとお嘆きの方が多いのです。


日本の学校教育は試験重視ですので

知識を頭に入れて試験で回答できればそれでOKになります。

そういった意味では社会福祉士さんも介護福祉士さんもケアマネジャーさんも

試験勉強をして、その結果合格して資格を取ります。

そこで終わってしまうので、覚えた知識は薄れていきますし、

実践にはつながらないのです。


知識を実践につなげてこそ実力がつくのですし、

知っていて、解っていても、できなければ何にもならないのです。

プロ野球の選手が内閣の変化球の打ち方を知っていたとしても

実際にできて、打てなければ何の成果も上がらないのと一緒です。


そう、

意識して行うこと、

上手くできなければ、できるようにトレーニングすること。

実践でのトレーニングとは、

基本的なことを徹底して丁寧に行うことです。

2015年2月11日水曜日

相手が居るということ


今日は、

関西混声合唱フェスティバルでした。

全部で36団体が出演、

我が西神戸混声合唱団も5番目に出演しました。


会場の三田「郷の音ホール」は響きも良い素敵なホールですが、

お客さんが少なかったのは少し残念でした。

それでも、お客さんお入ったホールで歌うということは、

日頃の練習で歌うのとは全く違います。

なんせ聴いてくれる相手が居るのですから。


その相手に、私たちの歌で何を伝えたいかですから、

練習の時とは気持ちも違ってきて当たり前です。



クライアントさんのところに訪問に行ったりすると、

喋り続けていつになったら帰れるのか

ということがあります。

やっぱり、聴いてくれる相手が居るということなんだと思います。

よい聴き手とは、相手が気持ちを込めて話したくなるような相手だと思います。


良い話し手を作り出すのは、ある意味よい聴き手が要ることだと感じています。

2015年2月10日火曜日

自分自身の表情をチェックする


今日は、

大阪市社会福祉研修情報センターで

「障がいのある人と支援者のためのコミュニケーション講座」といタイトルで

障がい者関係施設職員さんの研修でした。

50名弱の参加者の方々は、

身体障がい関係、知的障がい関係、精神障がい関係...

それもデイサービス、生活支援、就労支援、訪問介護、就労移行支援、施設入所支援、etc...

「障がいのある人と、、、」って具合にまとめることはできません。

で、結局、対人援助とコミュニケーションの基本的なお話し+ちょこっとロールプレイ


コミュニケーションを学んだ経験がある方なら、

言語レベルや非言語レベルのコミュニケーションという言葉を聞いたことがおありだと思います。

そして、言葉ではなく視線や表情、身振りや態度といった非言語表現が

とても重要ということはご存知だと思います。


しかし、自分自身の非言語表現を意識している人はあまりいません。

そもそも、非言語表現自体、意識しづらいという特徴があるので当たり前なんですが、、、


でも、利用者さんと信頼関係を作りながら利用者さんにお話ししていただいて、

利用者さんのことを理解しながら支援しようとすものにとっては、

自らの非言語表現に意識を持たなければなりません。


先ずは、表情。

自分の笑顔をチェックしましょう。

怒っている顔をチェックしましょう。

鏡でチェックしましょう。

今すぐに!


その顔を相手の人は見ているのですよ!

2015年2月9日月曜日

イメージを言語化して伝える困難さ


今日は、

指揮者をしている合唱団のピアニストの先生と

5月31日にある定期演奏会の曲目の

演奏についての打合せ練習をしました。


私の場合、詩の持つイメージが映像となっている場合が多く

それをお伝えして、演奏してもらいながら

「もっとこんな感じ!」とかって具合に

注文をして稲松の思うイメージの演奏に近づけていきます。


かなりイキイキとした映像イメージで感じているのに

ことばにして説明すると、イキイキ感が伝わらなかったり、

違うように伝わったりするので、

結構エネルギーを使います。


合唱団の歌い手さんは歌詞を歌いますので

ことばのイメージを感じて演奏するのはストレートですが、

ピアノはことばを奏でられませんので、

映像のイメージを言葉として感じて音にしていただくのは

これまたかなりのエネルギーを使う作業です。


いかに、イキイキしたイメージを

再現できるように言語化するかが肝となります。


ケアマネジャーも

クライアントの思いを客観的な情報でなく

そのままの思いとしてチーム間に伝えるには

同じような感性が求められるように感じます。

2015年2月8日日曜日

この人は誰でしょう?



このごろ、研修の時にお遊びで

「この人は誰でしょう?」ってクイズします。


笑える回答

「昔の映画の『さいなら、さいなら、さいなら』って人」・・・淀川長治さん?

「カーネル サンダース」

「う~ん、稲松さんのお父さん」

「どこかの神父さん」












答は、

Felix P.Biestek

そう、この人が「ケースワークの原則」のバイステックさんです。

「ケースワークの原則」F.P.バイステック 著、尾崎・福田・原田 訳、誠信書房

ケアマネジャーさん、社会福祉士さんはもちろん、

絶対読んでね!!!

これだけは譲れません


先日のケアマネジャーの基礎研修で、


「総合的な援助の方針を書いてから、2票を書いた方がいいですか?」

の質問に、

「稲松的には総合的な援助の方針を書いて、それに沿った形で2票を作成しますが、

やりやすい方でいいですよ。内容がずれていなければ!」


「どっちでもいいんですね」とモヤモヤ感がある感じの受講生に、

稲松が

「2票書くときに、ニーズかく前にサービスを書く、

それ見つけたら、結構機嫌悪くなるけどね。

利用者の思い、そこからの課題(ニーズ)があって、

それを解決するためのサービスがある。

この順番だけは譲られへんのよ!」

と云ったら

受講生も、腑に落ちた顔でした。

2015年2月6日金曜日

自分からの意思で行動する


今日は、高砂市社会福祉協議会

ボランティアセンターの企画「熟年ボランティア入門教室」1回目でした。


ボランティア(ホンマはヴォランティアやねんけど、、、)の語源は、

ギリシャ語の「ヴォランタス」、自発的にという意味。

英語の「ボ(ヴォ)ランティア」という言葉の意味には「志願兵」というのもあります。


要するに、ボランティア活動の重要なところは、

活動する人の「想い」や「意思」が重要なんです。

当たり前ですが、強制的にさせられるのでも、

まして、嫌々やるもんでもないんです。

自らの意思を持って、金もうけが目的じゃあなく、社会の中の大きなつながりのために活動する。

これがボランティア活動です。


でも、ボランティア活動だけにかぎったことではなく、

人間、生きるときの姿勢として大切なことのように感じます。

他者をホンマに理解しようとするとき、こちら側の感情も揺れる


昨日も、介護支援専門員基礎研修でした。


あるグループの事例検討で、事例提供者の人に

「提供者さんは、このA(利用者)さんの、Aさんらしさってどういうものだと思われますか?」

と質問したところ、その受講生は、深く沈黙し、一つ一つの言葉を選ぶようにして

「趣味の〇〇をして、、、どこそこに出かけて、、、」と話しながら、

涙が込み上げてくるのを抑えきれなくなりました。


利用者の方とのかかわりを振り返りながら、

仮説の中で、利用者を理解し、受容しようとしたときに

深井教官が起こって、自らの感情を揺さぶられた感じでした。


私は、この受講生の感受性に感動しながら、

この、純粋にクライアントに寄り添い、理解しようとする姿勢を失ってほしくないなぁ。

って感じました。

2015年2月4日水曜日

人の発言の背景に思いをはせる


今日は、介護支援専門員実務者基礎研修の演習でした。

受講生の皆さんは、けマネジャーの実務について概ね1年未満の方々です。


個人演習やグループ演習後の発表で、

ケアプラン作成時に意識したことやポイントをの発表の中で、

「本人が、『歩きたい。自分でできることは自分でしたい』と発言する背景には

『これ以上長男の妻に、迷惑(負担)をかけたくはない』という思いがあるからではないか」

というものがありました。


実務について1年未満でこの視点を語ってくれることに

嬉しさを感じました。


これからも、

この発想を大切に歩みを進めてほしいなと感じました。
 

2015年2月3日火曜日

看取りの経験


随分、長い間更新していませんでした。

このままブログを書くことを辞めるのかしらん?

と感じている自分もいました。


愛犬のピースを失ってから、

何となくそれを言い訳にして

ブログのペースが落ちて行きました。

言訳にしてサボっていたのですが、

今思えば、エネルギーが減ってたのかもしれません。

多少なりともグリーフワークに向き合うパワーが必要だったように感じます。


年が明けて、1月17日の晩方、

大震災の20年のその日の晩、

鹿児島から父が亡くなったことの知らせが入りました。

連れ合いの両親併せても、親を亡くすのは初体験でした。


その日の午前中には、

母親を乗せて、自ら運転しスーパーに買い物に行ったそうです。

脳梗塞も経験し、心臓も病んでましたし、大動脈瘤も保存していいました。

それでも、要介護状態というわけではなく。

世間的には、焦がれられる最期だったようです。

俗にいう、ぴんぴんころりです。


鹿児島市の山奥に、母親が一人残りました。

事務的な処理は、私よりも遠方にもかかわらず

浜松の兄が、サクサクと進めてくれています。

このことも随分と感謝です。


父の死後、いろいろと考えるというより、

感じていると。

当たり前のことですが、

生前の思いでしか現れてきません。

色々と私に語りかけ、伝えてきた父の姿が浮かびます。


頭では、看取ることをわかっていた気持ちです。

仕事柄、他者のみ取りに寄り添い“共感”もしていました。


ここにきて、ピースにせよ、もちろん父にせよ、

看取るということを初めて実感しているように感じます。

そしてそれは決してネガティヴなものではありません。