このままブログを書くことを辞めるのかしらん?
と感じている自分もいました。
愛犬のピースを失ってから、
何となくそれを言い訳にして
ブログのペースが落ちて行きました。
言訳にしてサボっていたのですが、
今思えば、エネルギーが減ってたのかもしれません。
多少なりともグリーフワークに向き合うパワーが必要だったように感じます。
年が明けて、1月17日の晩方、
大震災の20年のその日の晩、
鹿児島から父が亡くなったことの知らせが入りました。
連れ合いの両親併せても、親を亡くすのは初体験でした。
その日の午前中には、
母親を乗せて、自ら運転しスーパーに買い物に行ったそうです。
脳梗塞も経験し、心臓も病んでましたし、大動脈瘤も保存していいました。
それでも、要介護状態というわけではなく。
世間的には、焦がれられる最期だったようです。
俗にいう、ぴんぴんころりです。
鹿児島市の山奥に、母親が一人残りました。
事務的な処理は、私よりも遠方にもかかわらず
浜松の兄が、サクサクと進めてくれています。
このことも随分と感謝です。
父の死後、いろいろと考えるというより、
感じていると。
当たり前のことですが、
生前の思いでしか現れてきません。
色々と私に語りかけ、伝えてきた父の姿が浮かびます。
頭では、看取ることをわかっていた気持ちです。
仕事柄、他者のみ取りに寄り添い“共感”もしていました。
ここにきて、ピースにせよ、もちろん父にせよ、
看取るということを初めて実感しているように感じます。
そしてそれは決してネガティヴなものではありません。
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