2015年2月3日火曜日

看取りの経験


随分、長い間更新していませんでした。

このままブログを書くことを辞めるのかしらん?

と感じている自分もいました。


愛犬のピースを失ってから、

何となくそれを言い訳にして

ブログのペースが落ちて行きました。

言訳にしてサボっていたのですが、

今思えば、エネルギーが減ってたのかもしれません。

多少なりともグリーフワークに向き合うパワーが必要だったように感じます。


年が明けて、1月17日の晩方、

大震災の20年のその日の晩、

鹿児島から父が亡くなったことの知らせが入りました。

連れ合いの両親併せても、親を亡くすのは初体験でした。


その日の午前中には、

母親を乗せて、自ら運転しスーパーに買い物に行ったそうです。

脳梗塞も経験し、心臓も病んでましたし、大動脈瘤も保存していいました。

それでも、要介護状態というわけではなく。

世間的には、焦がれられる最期だったようです。

俗にいう、ぴんぴんころりです。


鹿児島市の山奥に、母親が一人残りました。

事務的な処理は、私よりも遠方にもかかわらず

浜松の兄が、サクサクと進めてくれています。

このことも随分と感謝です。


父の死後、いろいろと考えるというより、

感じていると。

当たり前のことですが、

生前の思いでしか現れてきません。

色々と私に語りかけ、伝えてきた父の姿が浮かびます。


頭では、看取ることをわかっていた気持ちです。

仕事柄、他者のみ取りに寄り添い“共感”もしていました。


ここにきて、ピースにせよ、もちろん父にせよ、

看取るということを初めて実感しているように感じます。

そしてそれは決してネガティヴなものではありません。

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