2016年6月30日木曜日

会話の中で「受容」することがクッション材になる。


本日は、丹波路は篠山市で「傾聴ボランティア養成講座」

1回目です。

全部で4回、今日は「傾聴について」次回は「高齢者について、高齢者施設について」

3回目は特別養護老人ホームにて実践。最後は実践の振り返り。


昨今の色々なボランティア養成講座の中でも

「傾聴」は人気のようです。

ただ、本日の講座には、実践されている方もおられ

養成+ブラッシュアップのようです。


ですから最後の質問で、おそらくご自身の実践の中から、

「話し相手が、世間的な価値観からは外れたような内容を話されたときに、

『なぜ、そのように思われるのか?』訪ねることはダメですか?」

という質問をされました。

そのわけは、私が講義の中で

「受容・共感」についてその受容性を語り、

プラスして「非審判的な態度」について加えたからだと思います。


もちろん「なぜ、そう思うのか」を訪ねることは構いません。

が、その際の非言語表現に留意すること。

どんな表情で、どのような距離感で、どのような口調で、など

意識することは重要です。

そして、「なぜ」と訊くまえに、

一旦は「受容」することはあった方がいいと感じています。

「あなたは〇〇〇という風にお感じなんですね」

それから、

「どうしてそのようにお感じになられるのですか?」

という感じで訊かれる方がソフトに思います。

「受容」がクッション材のようになると感じています。


2016年6月29日水曜日

いいところを見せようと思わない。


今日は晩方から、芦屋の居宅事業所さんでの月1回の事例検討会。

何と遠方(東京・徳島・熊本)から3名のゲスト見学の方が、、、

嬉しい限りです。


だからなのか、張り切りすぎたのか、

質問のテンポが速い。

おそらく

「ゲストの方が折角来られているので、

少しでもイイ事例検討会を見ていただこうと思い」

そのことが影響していたのかもしれません。


そうだとしたら、気をつけた方がよいかもしれません。

「人が見ているから、イイものにしよう」

その思いは、気負いが混じり、純粋ではなくなるからです。

ロジャーズのカウンセリングの3原則でいうところの

「純粋性」にも通じるところかもしれません。


上手なところを見せよう、いい物を見せようと思わずに、

丁寧に行おうということだと思います。

2016年6月28日火曜日

「モニタリング」という「アセスメント」


火曜日は大学の日。

前期15回の「ケアマネジメント論」

本日は12日目、お題は「モニタリング」です。


シラバスの前半は、定義や歴史的なこと、目的や意義、機能、介護保険とのこと、支援の対象等々

に加えて、ざっとプロセスの話もします。

そして後半に、プロセスそれぞれの詳細を説明し、

最終的に事例を見ながら学ぶといった構成です。


「モニタリング」:「監視」と訳せますが、

日本語ではイメージがきついので「確認・評価」といった言葉を使っています。

要するに、計画通りのサービス提供やサポートがされているかの確認作業(監視)

支援の効果の有無に関する確認・評価。

クライアントの生活に変化が生じていないかの確認。

といったことを行う過程です。

そして、その結果、再アセスメントに戻り、プロセスは円環で継続する。

という風に説明されます。


さて「アセスメント」は「インテーク」から始まっていると言われます。

確かにその通りです。

「インテーク面接」を特出しするのは、

契約のための、スクリーニングや援助関係形成(心理的サポートによる)部分が必要だからです。

もちろん援助関係づくりはすべてのプロセスで必要ですが、、、


では「モニタリング」はどうでしょうか?

私は「モニタリング」もまた「アセスメント」に含まれると感じていいます。


なぜなら「モニタリング」とは、開始された支援が一定期間経過したポイントでの

クライアント本人、人的・物的環境等の再評価であるからです。

詳しくいえば「支援を受けたことで、本人の身体的・心理的・社会的要因がどのように変化したのか?

計画通りに好転したのか?または、リスク面が表面化したのか?

環境面はどうなのか? 家族は?」といった情報の評価は、

すなわち支援を掲示区する上でのアセスメントに他ならないと考えるのです。


「モニタリング」で、単に「できたか」「できなかったか」を見るのではなく、

支援の結果、もしくは支援を行ってきた時間の中で、

どのような状況が起こっているのか?

という視点が求められると感じています。


2016年6月27日月曜日

「朝イチ」での延命治療をみて感じたこと


今日は決まった予定がなく、

午前中は自治会の用事で担当班内をウロウロしたものの、

のんびりと過ごせました。で、「とと姉ちゃん」からの続きで

NHK「朝イチ」を見ました。

テーマは「延命治療」

政見放送のため9時までの短縮バージョンでしたが、

内容としては非常に濃いものでした。

内容から感じたことを2つ。


まず、胃瘻造設=延命治療ではないことを押さえる。

ご高齢で、寝たきり、これ以上治療を施しても解放の見立てが難しい、

このようなケースで本人の意に反して胃瘻を増設した場合は延命かもしれません。

しかし、病状から一時的に経口摂取が難しく、

その間、栄養を確保するために胃瘻を増設することは、

治療の一環であり、延命治療とは根本的に違います。


もう一つは、

人生の物語の最終場面は、

やはり主役である本人がシナリオを決定するのがいいということです。

「自分の最期をどのように迎えるか?」

このことを自分で決めるのは非常にしんどい作業です。

しかし、残される家族が決定するのも、

もしかしたら本人以上にしんどい作業かもしれません。

ビデオで出演されていた樋口恵子先生が、

あらゆるところに「痛みの緩和以外の医療行(延命治療)は行わない」

ということを文字にして伝えることをされていました。


社会福祉援助の大切な原則でもある「自己決定」は、

最後の最期まで、実践する努力が必要だと感じました。

テレビを見ながら、2月の研修の折に聴いた

東近江診療所の花戸先生の言葉

「悩みながら考える。それがお別れの時間」

「病気と元気の大きさは相対的」

が、私の中にスーッとよみがえってきました。



2016年6月26日日曜日

「どうするか?」の前に、「どうなっているのか?」を探ること


今日は午前中に一つ、午後から一つ面接でした。

利用者さんとご家族の考えが違うときにどのように支援するか?

難しい問題です。

俗に言う「こちらを立てれば、あちらが立たず」です。


一瞬、「どうすればいいんだ???」

「何ともできないぞ」

と感じます。


こういうときに人は「どうすればいいか」と考えます。

そして、自分が「どうすればいいか」を考えます。

でも、その前にもう一度考える必要があります。


「どうすればいいか」よりも先に、

「どうなっているのか」を丁寧に明らかにすることです。

事態がどのようになっているのか分らないのに、

いくら解決策を考えても出ては来ません。

奇跡的に、思いついた行動が解決に結びつくことはあっても、

奇跡、まぐれ、超ラッキー、、、、でしょう?!


そう、もう一度ちゃんとアセスメントすることです。

その際に、もう一つ気をつけるのは、

今までのかかわりで基本的なことができていたかです。

例えば、ケースを一般化していなかったか?

解決を思うあまりに時期尚早に策を押しつけようとしなかったか?

安易に相手の意見を承認しなかったか?

等々です。


そのあたりも含めて、

ケースがどのようになっているのかを丁寧にチェックすることです。

それが、まずやることになると思います。

2016年6月25日土曜日

相手と、思いや考えが異なることを恐れない


昨日の夕方と今日の午前中、

兵庫県北部、但馬地方の養父市大屋にある

障害者支援施設「琴弾の丘」さんで研修でした。

テーマは「対人援助の基本的な部分」で、

目標やポジショニング、価値・倫理、原則についてのお話しです。


稲松の研修を受けたご経験のある方は、

「受講生を次々に当てて、質問するスタイル」

と想像されるでしょう。

今回もその通り、当たりです。


今回も「正解はありませんので、稲松の質問に対して、

ご自身で考えて言語化された物はすべて回答ですよ、それでいいですよ」

と伝えるのですが、

皆さん真面目に「稲松の求めている答えをいわなければ」と思われているようです。

「相手の求めていることに答える」ことは、

対人援助職者にとって重要な資質かもしれません。

が、

「質問された内容について、自分がどのように思うのか」ということは、

もっと重要です。

そして、その内容を自身の言葉で言語化することもとても大切です。

もしそれが、稲松が求めていた物と異なっていても構わないのです。

そこからコミュニケーションをとって、

お互いの考えを理解し合えばいいのですから。


考えや、思いが異なることを恐れない。

これって、人間関係を築いて居行くときに結構大切なことですよ。

2016年6月23日木曜日

事例検討会はグループワーク、みんなの力で!


今日は主任介護支援専門員研修の演習指導でした。

事例検討会を実際に行ってもらいました。


初めて経験する方も居られる上に、

観察者が付くのですから

「緊張しないでね」っていっても無理なことですよね。


本日のグループに参加された方は、

「気づきの事例検討会」のルールを守り、

再アセスメントを意識して、

事例提供者も司会、検討者も丁寧に取り組んで居られました。


事例提供者が、自身の事例を説明し終わった後に

ペットボトルのお茶を口にされました。

緊張もするし、ずっとお話しされていたので当然です。

そこで司会の方が、提供者に向かって

「大丈夫ですか?」と優しく言葉をかけられました。

司会の方も初めての経験だそうです。が、

個々までの配慮ができるのは素晴らしい物です。


ただ、検討会が終了してからのコメントで、

「司会だから、皆さんに迷惑をかけないように、ちゃんとしなければ」

と、かなりのプレッシャーを感じておられたようでした。

このことも、当たり前のことですし、

端から、「適当にやっちゃえ」と思われたら困ります。


でも、司会一人で背負い込むことはありません。

事例検討会は、いわばグループワークですから、

グループの力を信じることも必要です。

提供者も、検討者も、司会者も、

みんなで力を合わせて進めていく意識は大切です。


そして、

地域で展開していく場合には、

そういった関係性を作り上げていくことも

意識していただければと感じました。

「気づきの事例検討会」では、実践力の向上を目指すのですが、

それだけではなく多くの期待できる要素を含んでいます。

その一つに、信頼でき、前向きな仲間作りもその要素の一つだと考えています。


2016年6月22日水曜日

法令や制度を学ぶ意味


今日は、兵庫県介護福祉士会の上級研修でした。

マネジメントに関することで、

特に、根拠法令や制度の理解と

コンプライアンスと組織運営についての講義と演習でした。


受講生の方々に、

「関係法令を読んだことがありますか?」

と、おたずねすると、

手を上げられたのは2~3人くらいでした。


そうですよね、現場で介護の仕事をしている方は

例えば、介護保険法や運営基準とかを目にしないですよね。


でも、それでいいのでしょうか?

老人福祉法や障害者総合支援法、介護保険法等々は

私たちの仕事の根拠法令ですから、

この中に示されていることを実践するわけです。


条文等の内容を見ると、

現場の視点で眺めると「おかしいぞっ!」と思うこともありますが、

だから、破っていいわけはなく、

おかしいと感じる法律や制度に対しては、

声を届けて改正しなければならないはず。


法令や制度を学ぶのは、

遵守するためだけではなくて、

変えなければならないことに気づくためでもあると思います。


いずれにしても、自身の実践を振り返ること必要ですが、、、

2016年6月21日火曜日

“ケアマネですけどなにか”


「ゆとりですがなにか」というドラマ。

日本テレビ系の日曜の夜のやつです。


うちの子どもたちが、

いわゆる「ゆとり世代」であり、

等の本人たちが共感できる部分があったり、

連合いも面白いといったり、

で、私も看ることになっている。

結構、面白い。


「ゆとりですけどなにか」

世間的には、「ゆとり世代」とは、

のびのび教育時代で、

自分のペースを大切にし、協調性に欠けるようにいわれているようですが、

果たしてそうなんでしょうか?


そういう一面はあるにしろ、

彼らが悪者ではなくて、

そういう育て方をした、その頃の大人の問題なんではないでしょうか?


「ゆとり」という言葉の本来の意味は、

もっといい意味の言葉ですし、

しっかりと物事を捉え、考えるためには、

時間だけではなく、気持ちにもゆとりが必要なはずです。

だから「ゆとり教育」だったはずです。

要するに、受験地獄と言われた「詰め込み教育」の反省から

子どもたちにじっくりと考えてもらい、

自ら判断し、自ら実践でき、責任をとる。

しっかりと自立した人間になってもらうための物だったはずなのです。


そうならなかったのは、その子たちの責任ではなく、

大人の問題です。


そう考えてみると、

「認知症高齢者の問題」は、首位の人々や環境の問題であることが多いし、

あえて、いわせていただくと、

「ケアマネジャーの問題」といわれている物も、

そもそも公正中立ではない制度設計や、

教育養成過程の問題等に起因している部分もあるよに感じるのです。


なんか「ケアマネジャーですけどなにか」といいたくなる気分ですよね。

そう言うためには、ケアマネジャーとしての努力は必要ですけどね。

2016年6月20日月曜日

父の日に、ふと感じたこと


昨日は「父の日」

私自身の父は、昨年の1月17日に天に召されたので、

直接、「ありがとう」を伝えることはできません。


私の子ども、息子と娘の二人は

関東に住み、今は同居していない。

娘からは「感謝」のメッセージメールが届きました。


そして、

昨晩は連合いが「父の日だから」と、

お寿司屋さんに連れて行ってくれました。

「娘ではないけれど」といいながら、、、

私も素直に「ありがとう」と言ってご馳走になりました。


昨晩から今日のフェイスブックには、

父の日に関する投稿がたくさんあり、

小さい子どもさんの居る友人は、

「かわいらしい手紙の写真」とともに、

色々なプレゼントをもらった記事をあげています。


「ああ、いい家族関係を築いて居るんだなぁ」

私自身も「それなりの関係を築いてきたんだなぁ」と思います。


そう思いながら、

自分が担当してきてケースや、

相談を受けたケースでの「父」と「子」の関係を

思い出すします。


癌をが発見されて、余命3ヶ月。実の娘に連絡を取ると、

「私には父親は居ません」と言い切られたケース。

「実の父親やから、しょうないんです。私が看んと。貧乏くじですわ」と父親の前で吐き捨てる息子。

「何でこないに長生きすんねん!!」と父親に怒鳴る子ども。

・・・虐待のケース。


やはり「人間関係」

現時点までの物語をどのように紡いできたのか。

その答えなんでしょう。


ただ、現時点は、通過点です。

今から先の物語は、今から始まります。

連続ドラマのように、飛ばすことはできないし、

今までの関係性から引き続きの話ですから、

困難はあるかもしれないですが、

変わらないこともあれば、変わることもあるかもしれません。


対人援助者が、一番先に諦めてはいけないような気がするのです。

2016年6月19日日曜日

ワークショップのお誘い


今年も来月に迫って参りました。

東播磨カウンセリング研究会第30回夏季ワークショップ

エンカウンターグループです。

「エンカウンター」とは、

カウンセリングの父、カール・ロジャーズが始めた

「出会い」という意味のセッショングループワークです。

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期  日:平成28年7月16日(土)~18日(月・祝) (2泊3日)

会  場:ペンションみかんの郷 岡山県備前市日生町鹿久居島

参加費用:¥40,000-(生活費¥21,000ー 研修費¥19,000-)

募集人数:15名(全員宿泊、全日程参加を原則とします)

申込方法:稲松に連絡していただいても構いませんが、詳しくはWEBで

東播磨カウンセリング研究会HP

    
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皆さん、ご参加お待ちしております。

2016年6月18日土曜日

自分の常識は、人とは違うのだ。


土曜日はコーラスの練習日。

本日は、新しい曲の音取りに入りました。

一つは「ひまわりの約束」

映画「ドラえもんSTAND BY ME」の主題歌

もう一つは「手紙~十五の君へ~」

ご存知、アンジェラ・アキさんがNHK合唱コンクールの課題曲に作った曲


知っている人も多いと思います。

私もそう思って一日に二つ行けるかな?って思った練習計画でした。


失敗でした。

みんな案外知らないのね。

アンサンブルで訪ねてみると、

男声は全滅でした。


最近の曲、それもポピュラーな曲は、

リズムが難しくて、

譜面も、16分音符が一杯で年輩の方には取っつきにくい。

通すことも困難でした。


ただ、知らない曲なら、

音源見つけてサラッとでも聴いてきてくれればと思うのですが、、、

期待を外されてしまいました。


そう、「自分が知っている曲だからみんな知っている」

「自分が知らない曲だったら音源を探す」

自分基準の失敗です。


ケースワークの面接では気をつけていたのに、、、

応用力だ足りませんでした。

反省、反省。

2016年6月17日金曜日

研修で求められることとボリューム⁇

今日は、堺市西区でケアマネジャーさんの研修でした。

テーマは「アセスメント」

言わずもがな、ケアマネジメントの肝の部分。


晩方は、ケアマネジャー専門研修Ⅱのテキスト及びシラバスの会議。

持寄り事例を用いての演習プログラムの検討。

一つの単元で4時間。

再アセスメントする時間が充分取れない、、、

しかし、事例を検討して地域課題までつなげるというガイドライン。

どっかこっか削らなければ尺に収まらず苦肉の策で乗り切るしかない。

が、受講生さんが達成感なり、納得感なり持って帰ってもらえるかは、甚だ不安です。


そもそも肝の部分の学びの時間をかけずに演習が成立するのだろうか?


何か研修そのものの肝の部分がずれているように感じるのは私だけなのかしら?
。・°°・(>_<)・°°・。

2016年6月16日木曜日

煩悩のアセスメント


人には108つの煩悩があるそうです。

その煩悩を払うと悟りに近づくのだろうなぁ、、、


朝、散歩に行く頃には「ポツリ、ポツリ」と降り出して、

その後は本格的に降り出して、いかにも梅雨らしいお天気。

ドンヨリとした空を眺めて、

「鬱陶しいなぁ」と思う私に悟りはほど遠いですね。


食べることにも、飲むことにも、着ることにも、囚われているし。


ある意味人間だから仕方ないですよね。

やっぱり美味しいモノ食べたいです。


食べるモノがあって、着る服があって、住む場所があれば、

死にはしないけれど、安全にも暮らしたいし、

愛されたいし、仲間はずれは嫌です。

多少なりとも世間様の役に立っていると思われたいのです。


そう、マズローの欲求の5階層説ってやつですが、

生理的欲求から自尊・承認の欲求まではニーズになり得るのですよ。

生理的欲求と安全の欲求が満たされているところで

アセスメントが終わっていてはなりませんよ。

言い方を変えると、その人の煩悩の部分までアセスメントしなければ!

2016年6月15日水曜日

地域で色々な取り組みをすることが目標じゃない!



色々な地方、地域で総合支援事業の取り組みが具体化しつつあるようです。

そのための仕組み作りや、人材育成もされているようです。

今まででも、地域でのサロンづくりや給食会など色々な取り組みがされてきました。

それは一定の成果を上げていて、重要な取り組みです。

ただ、手っ取り早く、既存の取り組みが新たな施策にスライドするのかは

慎重にする必要を感じています。

既存の活動の中には、どうやって続けるのか。

当初立ち上げたメンバーが高齢化して、維持が困難になってる。、

新たな若いメンバーが育たない。っていうかいない。

というようなことも起こっています。


そういった場合は、やはり初心に戻る、もしくは白紙から考えることが大切だと思います。


まず、「目的」:何のためにこの活動をするのか。

目的が不明瞭だと何をしているか分らなくなります。

具体的には、サロンや給食会を実施することが、

目的や目標にすり替わる恐れがあります。


地域の中で課題を抱えている人が孤立してしまわないために、(目的)

地域の中で互助作用が働くように、(目的)

一週間で一度は他の人と言葉を交わすことができることを目指す(目標)

だからサロンや給食会を開催する。(手段)


この流れを見失わないことが大切です。

そうすれば地域の状況や目的・目標に変化があれば、

手段は変わることがあって当然です。


地域支援総合事業をすることが目的・目標になっては行けないと感じています。

2016年6月14日火曜日

自分の感じたことや考えを言語化することが難しいのかな?


今日は火曜日、大学の日。

「ケアマネジメント論」前期15回の10回目でした。

現在残っている(?)学生は、ほぼ皆勤。

まじめな いい子たちですが、

若干、リアクションが薄い気がします。


私:「今、説明したことは理解できた?」

学:「・・・」

私:「アセスメントって、どういうことやったっけ?」

学:「・・・」

話を前に進めにくいのですよ。

授業が終わってからだと、

会話ができるのですが、
(若干、返答に時間を要する気もしますが)


何なんだろう?

自己表現そのものが苦手?

稲松の反応を恐れている?

それこそ「・・・」


なんとなく感じているのは、

「正解」を答えなければというオーラ。

アセスメントの意味を問われると正解を答えたいのも理解できるのですが、

「今の、利用者さんとワーカーさんのやりとり聞いて、どう感じた?」

これって、感じたことを聴かれているので、

自分の感じたことが正解なんだけど、

やはり「・・・」

時々、授業をやめて面接したくなる衝動に駆られるのですが、、、

よっぽど「ひどい目に遭った?」って!


自分の感じたことを言語化するトレーニングを積まないければ、

対人援助職者以外でも、就職してどうするんだろう?

陶芸作家とかなら、言語化しなくても、作品に表現できるのでよいのかな?

と、色々考え、素直に心配する稲松なのです。

2016年6月13日月曜日

モチベーションのサポート


本日は朝方に歯医者さんに行ってきました。

といっても、虫歯ができたわけでも、詰め物が取れたわけでもなく、

ここ2年くらいは原則3ヶ月に一度ずつメンテナンスに通っています。


毎回、ブラッシングの不十分な箇所、

歯周ポケットの深い箇所等を解説されるのですが、

歯科技工士のお姉さんによって

その伝え方が違うのです。


前々回

歯科技工士のお姉さん(以下「歯」):「歯周ポケットの深さは改善されてますね」

私:「定期的にメンテに来るようになって、やっっぱり今までよりは意識して磨いてると思います」

歯:「すごいですね。いいことです!でも、頑張ってる割に歯の汚れがあまり落ちてないですね? 歯磨き粉とかつけてますか?」

私:「液体の物でうがいをした後ブラッシングしてます」

歯:「そうですか、それもいいんですが歯磨き粉には研磨剤が入ってるので併用される方がいいですよ」

私:「わかりました」

歯:「ブラッシングは強くする必要はないですよ。しっかりと当たっていれば、強さより細かく磨いて当たっていれば!」

私:「はい、ありがとうございます」


前回

歯:「随分白くなったように思いますが、歯磨きのやり方、変えました?」

私:「はい、歯磨き粉使うようになったのと、自分で磨くと力入れすぎるので電動歯ブラシでくまなく当てるようにしてみました」

歯:「いいですねぇ。効果が出てると思います。頑張ったんですねぇ、その調子でいきましょう」

私:「はいっ、ありがとうございました」


今回(前回までのお姉さんと違って、たぶん新しい人)

歯:「『歯磨き使うようになって、白くなった』と書いてますが、どうやって磨いてるのですか?・・・ここの隙間とか、まだ黄色いですねぇ」(いきなりダメだし?)あっ、電動ブラシで云々って書いてあったわ(つぶやくように)」


そうか、ちゃんと前回の申し送りも見ないで、いきなりダメ出ししたら、モチベーション下がるんや。

気をつけよ!


僕って、褒められて育つんです!

リカバリーについて(再投稿、昨晩の書き直し)


昨日は、兵庫県合唱祭でした。

の後、何人かのメンバーと打ち上げ反省会に繰り出し、

変えるのが深夜に及んだことと、正直、気持ちよくよっていたので、

携帯からのブログアップが頓挫してしまいました。

訳の分らないモノを読んでくださった方にはお詫び申し上げます。


さて、昨日の演奏ですが、、、

来年の定期演奏会にのせる曲で、

最近練習に取り組んでいる曲を演奏しました。

の割には形にはなっていましたが、

1カ所、サラッと聴いていても気づくような大失敗があり、

演奏している方もオンタイムで「あちゃ~!」って感じでした。

今朝になって録音を聴くと、

やはり細かいところで多数の不具合は生じていました。


音楽というのは絵画と違って、形としては残りません。

その瞬間、瞬間、消えていってしまいます。

すなわち、作品としてはリカバリー不能なんです。

終わってしまった演奏はどうしようもありません。

できるのは、次の演奏でどのように改善するかです。


面接はどうでしょうか?

音楽と同じように瞬間、瞬間、過ぎ去っていきます。

そう、ライブです。

ただ、楽譜があってそれをなぞるのではないので、

すべてが、いわばアドリブです。

面接の組み立ての中ではリカバリー可能な場合もあります。


そのためには面接中に、

その面接を少し客観的に観る視点がいるということです。

そのためのトレーニングが、

先週、兵庫県介護福祉士会や和歌山の認知症介護実践者研修で行ったロールプレイなんです。


この投稿は、リカバリー・・・いやいや、やり直しですかね。

2016年6月11日土曜日

人材育成は難しい!


本日、

稲松が応援している

阪神タイガースが、連敗を脱出しました。


プロ野球がお好きな方でしたら、

今年の阪神は、

監督、若手の新人監督、しかも熱血:金本氏。

「超変革!」を旗印に、

若手というより、

超新人をばんばん起用して楽しませてくれます。


監督自身も今シーズンで優勝とは言っておられません。

数年先の、結果を見て欲しいと。


それまでは人を育てる期間。


でも、周囲で見ておるファンの人は、

日々の勝敗で右往左往してしましてます。


だからといって、そこで選手を動かしていたら

おそらく選手は育たないでしょう。?


育成・・・育・・・「育てる」のではなくて、

「育つ」のを支援する。

ということなんでしょうね!

言葉の意味に引っかかること

昨日は午前午後と和歌山で認知症介護実践者研修。その後、川西市で事例検討会があり、帰宅したのが23時頃だったので、、、ブログが今に、、、はい、言い訳です。

事例検討会等で「質問が難しい」ということをよく聞きます。

解決のヒントを一つ。

使われている「言葉の意味に引っかかること」です。


どういうことかというと、

例えば、「普通の生活がしたい」という場合の「普通」は具体的にはどういったものなのでしょう?

ここに引っかかることが大切です。

そうすれば「利用者さんの言う『普通の生活』とは、具体的にはどういった生活なのでしょうか?」と確認できるはずです。

是非、普通に使っている言葉に引っかかる意識も持って見てください❗️

2016年6月9日木曜日

「互近助」という関係づくりのために、やはり「挨拶」


今日は、

東灘区の社会福祉協議会の主催

「アシスト(よりそい)ボランティア養成講座」でした。

4回シリーズの3回目で「住民視点の支援」がテーマでした。


いつも通り、「自立」「QOLの向上」から、

利用者主体や自己決定のお話しを

できる限り噛み砕いてお話しさせていただいた後に、

「自助・互助・共助・公助」のお話しをさせていただきました。


その中で「互近助」の関係性を作るお話をしました。

これは小地域における互助機能を表す稲松の造語です。

昔の田舎では当たり前にあった関係性を、

コミュニティができていない現状において、

再構築するときのキーワードだと思っています。


ここで大切なのは、昔と同じものを作るのではなく、

「ボランタリーな意識で作れないか」ということです。

強制やお仕着せではなく。


そのためには、

やはり関係性を作ることから丁寧にやらねばなりません。

耕す作業です。

人間関係が希薄になっている現代社会においては、

耕す作業は想像以上に大変かもしれません。

だからといって重機を使って一気にということができないのが、

人間関係なんです。


「挨拶」という鍬で、

一鍬、一鍬耕していくことなしに

種をまく土壌はできないと思っています。

2016年6月8日水曜日

ロールプレイはマジでやろう!


今日は、

兵庫県介護福祉士会ファーストステップ研修。

テーマは「コミュニケーション技術の応用展開」


基本的なお話しの振り返りと

援助面接のスキルを学び、

仕上げは、介護現場でありそうなロールプレイを通して

日頃の実践を振り返りました。


ロールプレイは初めてという方も結構いて、

最初のうちは照れてしまって

あちらこちらで、笑い声が聞こえてきたりしましたが、

だんだんロールに入って"やりとり”ができていたように感じました。


ロールプレイで一番学びが期待できるのは、

普通に(構えずに)援助者役を行ってみて、

後で利用者役や観察者からフィードバックをもらえるときだと思います。

もちろん他の参加者は学びがないわけではもちろんなくて、

利用者役の人は、利用者の立ち位置を疑似体験できるわけですし、

観察者は、客観的な立場で援助現場を見ることができます。


ただ、ここで重要なことは、

どれだけマジで演じきれるかということです。

ロールプレイは、いわば即興芝居なので、

まじめに演じ(芝居をし)ないと、

効果は半減、いやもっと少ないかもしれません。

それプラス、

まじめにやれば振り返りが濃くなるので、

より面白さも増えるのです。


そう、「ロールプレイはマジでやらなければ意味がない!」です。はい!!

2016年6月7日火曜日

総合支援事業も地域ケア会議もケアマネジャーの必須事項ですよ!!


今日は、

兵庫県介護支援専門員協会南播磨支部の28年度総会でした。

5年間支部長として南播磨が合併後の支部を牽引した

Y本さん本当にお疲れ様でした。

新支部長のN村さん、よろしくお願いします。応援してます。


総会後の記念講演会というか、その部分に当たる

加古川市、高砂市、播磨町、稲美町。

南播磨支部の2市2町の担当者による、

「平成29年度総合支援事業に向けて」

地いうテーマのお話し。

私自身、このテーマに関しては詳しくはなく、

厚労省のガイドラインのダイジェスト版を読んだくらいだったので、

その後の地域の進捗状況が知りたくて

直に担当者からのお話しがうかがえると楽しみに、期待してました。


が、

決まっていることは平成29年度4月より実施するということ。

新サービスの基準も、利用の具体的なフローも、マネジメントの仕組みも、、、

ガイドラインで示された部分と変わりなく、新たな説明もほとんどなく、

「詳細は、今後決められていきます」とのこと。

「えっ、詳細に関しては、ほぼ決まっていないの!」

おおよそのスケジュールもお話しがないんです。


来年の4月からということは、

今年中にほぼ固まっていないと、

多少の混乱ではなく、ものすごく混乱することになります。

また、一番困惑するのは利用者や市民ということになりかねません。


そして、それよりもショックだったのは、

出席しているケアマネジャーさんでそのあたしのことを質問される方もいなかったこと。

担当している利用者さん方の、

4月以降の利用サービスについて詳細が決まっていないこと。

危惧はないのかしら?

総合支援事業も、地域ケア会議も

地域包括のお仕事と思っているのかしらん。

今後、ケアマネジャーは積極的に、きっちりと、

関わっていかないと

本当に仕事なくするよ!




2016年6月6日月曜日

欲張って、色々やっても身につかないよね!


今日は午後から、

ケアマネジャーの更新・再研修の講師説明会。

そのご、ケアマネジャーの専門研修Ⅱ、

新カリキュラムの資料・シラバス作りのワーキング。


更新・再研修の方は旧カリキュラム。

これで最後のカリキュラム。

新カリキュラムの方は、

当然、今回が初回です。


両方の研修カリキュラムを眺めてみて、

時間尺が全く足りない。

実にたくさんの研修課題を、短時間の間にこなさなければならない。

介護保険制度が始まって直後くらいから講師としてかかわってきて、

このことは、ずーっと変わらぬ思い。


確かに、ケアマネジメント実践には相当量の知識とトレーニングが必要だし、

かといって、ただでも義務づけられている研修がたくさんある中で、

これ以上、時間増やしてくれというのは、講師のわがままです。

もちろん、一講師として、

精一杯、実践できる知識や技術を伝えたいと思っていますし、

トレーニングにお付き合いする所存です。


その気持ちは、十分ありながら、、、やはり、、

「あれやこれやと詰め込んで」消化不良の研修を繰り返すよりは、

テーマを絞って、納得できる研修をする方が身になるのではないだろうか?

と感じてしまうのです。

10個のことを伝えても、1しかできないよりは、

3伝えて、3できる方がいいのでは?って思うのです。

人が育つのは、そんな簡単ではないということですよね。

2016年6月5日日曜日

単なるステップアップではなく、ポジションが変わるのよ!


今日は、主任ケアマネジャー研修。

で、いいたいことをとっても短く、、、


この研修は、ケアマネジャーが5年以上の実務を経て

次のステップアップのために受ける研修ではありません。


「地域のケアマネジャーの支援・育成を担う」

そして、そういう「地域作りをする」

というポジションに着くための研修です。


受講生の皆さま、

腹を括ってください!


今後、受講される方・使用と思っている方、

そのおつもりで申し込みをお願いいたします。

2016年6月4日土曜日

面接ができなきゃ、、、発声ができない歌みたい。


今日は、

西神戸混声合唱団の練習日。

夜の18時から20時半まで歌うのですが、

本日、なぜかソプラノのピッチが下がってきます。

おそらくカラダでの支えがしっかりできていないことによるようです。

発声するときに身体でしっかりと支えができないと

楽に声が出ませんし、いい声も出ません。

ということは、

「ここは、こう歌おう」「あそこはこんな感じで歌おう」と

理解しても実践できません。


昼間は、兵庫県介護支援専門員協会の総会でした。

来賓で日本協会の鷲見会長が来られていました。

久しぶりにお会いしてご挨拶して少しお話ししたのですが、


このたびの一連のケアマネジャーに対する研修カリキュラム変更について、

国がケアマネジャーや今後の地域包括ケアに向けての

研修で学んで欲しい内容は見て取れるのですが、

実務研修から、主任ケアマネジャーの更新研修に至るまで

面接に関する部分は実務の4時間だけです。

4時間といえば、コミュニケーションの基本的な考え方と演習で終わると思います。


ケアマネジャーがコミュニケーションの基本的な学びをせずに、、、

当然、応用力としての面接はできないでしょう。

ということは、

「家族の支援」や「認知症ケア」「ターミナルケア」・・・

前向きに取り組もう思っても、面接ができなければ、、、

無理でしょう。


きっちり発声の勉強をしないと、歌えないように、

きっちり面接の勉強をしないと、ケアマネジメントはできません。

しかも、どちらの場合でも知識を学ぶだけではダメで、

トレーニングが必要なんです。

そこんとこを見逃しているように感じるのは私だけでしょうか?

2016年6月3日金曜日

“惚れる”“惚ける”?!


今日は、ちょっとした記念日で

夫婦で奈良に遠足。

いつもなら国立博物館とか、

東大寺(大仏さま)から若草山・春日大社方面ですが、

本日は、奈良公園で鹿の赤ちゃんを見て、

鹿せんべいを買って鹿に囲まれ、

興福寺にいって国宝館で何年かぶりに阿修羅像に逢いました。

昼食の後、

初めて元興寺にお参りし、

奈良町をぶらぶらして帰ってきました。


様々な仏像を観て、古い建物や品々を眺め、

色々感じた1日となりましたが。

後半で、前を通っただけのお寺の

掲示板みたいなところで見つけた歌。

「惚(コツ)」という字は、

「気をとられてぼーっとする。うっとりとする」

という意味があります。

確かに、人に「惚れる」というのはそういう状態のように感じます。


認知症の方が「周辺症状」といわれる言動をするのも

「何かに、気をとられて(ボーッとするだけではないけれど)

そのことで心が動くのだから、根底ではつながる部分もあるように感じてしまったのです。

何らかの「心を奪われること(気になる原因)」があればこそ

惚れるし、惚けるんです。

2016年6月2日木曜日

この素晴らしき世界


毎朝、散歩をしています。
紫陽花がそろそろいろ好き始めました。

園芸は、していませんが、

散歩の途中で、よそのお庭や植え込みを愛でて楽しみます。









洗濯物を干すときに、

青い空、白い雲を眺めて

安らぎます。


What a wonderful world!


2016年6月1日水曜日

主任ケアマネジャーの“アセスメント”の一つの視点


今日は午前午後と、

兵庫県主任介護支援専門員研修Aコース7日目でした。

科目としては「対人援助者監督指導法」の一コマです。

要はスーパービジョンのところで、

本日のテーマは“アセスメント”です。


ケアマネジャーが利用者の支援をするときに

アセスメントは欠かせないプロセスです。

利用者の困りごとがどのような状況で生じているのかだけでなく、

その困りごとをどのように捉えているのか。感じているのか。

その利用者が人的・物的に、どのような環境の中にあるのか。

等々、多面的な情報が必要ですし、

それらの情報を統合しながら分析が必要です。


主任ケアマネジャーが、

周囲のケアマネジャーの支援(事例の相談に乗る)するときに、

「そのケアマネジャーが利用者をどのようにアセスメントしたか」

という視点で再度アセスメントを試みなければなりません。

それは、支援者としてのケアマネジャーを理解することにもつながります。

そう支援者であるケアマネジャーのアセスメントともいえます。

そこまで丁寧に再アセスメントをする意味は何かというと、

「支援者支援」もまた、「支援」だということです。


ケアマネジャーは主任ケアマネジャーから支援を受けることで

見守られる安心の中で成長(行動変容)しやすくなるのです。


主任ケアマネジャーとは、

そういうポジションの支援者であることを、

肝に銘じて研修を受講してくださいね!!