2016年6月30日木曜日

会話の中で「受容」することがクッション材になる。


本日は、丹波路は篠山市で「傾聴ボランティア養成講座」

1回目です。

全部で4回、今日は「傾聴について」次回は「高齢者について、高齢者施設について」

3回目は特別養護老人ホームにて実践。最後は実践の振り返り。


昨今の色々なボランティア養成講座の中でも

「傾聴」は人気のようです。

ただ、本日の講座には、実践されている方もおられ

養成+ブラッシュアップのようです。


ですから最後の質問で、おそらくご自身の実践の中から、

「話し相手が、世間的な価値観からは外れたような内容を話されたときに、

『なぜ、そのように思われるのか?』訪ねることはダメですか?」

という質問をされました。

そのわけは、私が講義の中で

「受容・共感」についてその受容性を語り、

プラスして「非審判的な態度」について加えたからだと思います。


もちろん「なぜ、そう思うのか」を訪ねることは構いません。

が、その際の非言語表現に留意すること。

どんな表情で、どのような距離感で、どのような口調で、など

意識することは重要です。

そして、「なぜ」と訊くまえに、

一旦は「受容」することはあった方がいいと感じています。

「あなたは〇〇〇という風にお感じなんですね」

それから、

「どうしてそのようにお感じになられるのですか?」

という感じで訊かれる方がソフトに思います。

「受容」がクッション材のようになると感じています。


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