今日は、
午前中に兵庫区社協さんの
「認知症ボランティア養成講座」で
~認知症を理解しよう~
というテーマでお話ししました。
認知症という病気の基本的なお話と
お付き合いするときの基本的な留意点をお話ししたのですが、
家族でも友達でも、
一緒に時間を過ごす相手が病気だったら
その病気に合わせて心遣いしますよね。
疲れてたら、荷物持ってあげたり。
その病気が「認知症」だったら、、、
認知症という病気のことを知らないと心遣いしづらいでしょう。
午後からは、
看護協会さんの尼崎訪問看護ステーション20周年記念の
シンポジウムに行ってきました。
石飛幸三先生のお話を聴きに!
「平穏死」という造語を用いてより自然な最期を迎えることを説いておられました。
講演の中で、今までの医療の反省という意味合いで
「生物学的生命のみを延ばそうとして、人間としてのいのちを見ようとしない。」
ということをおっしゃっておられ、うなづいたところですが、
私は、前半の話の中で
「どういう人に、何をしているのか?」
ということをおっしゃっておられたのが心に残っています。
要するに、人生の最後に向けて人の体が準備をしている時、
飛行機にたとえられて、到達点に着陸しようとしているところに、
胃瘻や中心静脈栄養でガソリンを無理やり入れることをしていないか?
という問いかけでした。
医療的なキュアにしろ、福祉的なケアにしろ
まず最初にすべきことは
対象者が「どういう人か」
そのことを知らずに支援を試みることは無謀だということです。
石飛先生は医師という立場でそのことを語られていました。
その後、長尾先生もお話しされ
「死は他人ごとではない」と話されていました。
そう、
自分のことのように対象者を理解しようとしているか?
(先生のお話の意図はこれとは違っていたように思いますが、
私的には、この方がすーっと入ってくるので、、先生ごめんなさい)
そういえば、
午前中の講演で、
「認知症を他人事だと思ってませんか?」って私も言ってたっけ・・・
相手のことをわがことのように感じ、
理解しようと思うことが支援の第一歩だと思います。