13日の日曜日、千葉県の市原市に娘の出演する劇を観に行ってきました。
今日のタイトルが劇のタイトルです。
廃校になった小学校に住むお化けと
耳の聞こえない少女と
とても素晴らしい村人たちと
村を壊そうとする悪魔が出てきます。
悪魔は、村人たちからコミュニケーションを奪うという方法で破壊を試みます。
が、耳の聞こえない少女が、コミュニケーションを取り返し、村を守ります。
ミヒャエル・エンデの「モモ」のような感じでした。
新鮮で、笑わされて、泣かされて、考えさせられて、
とっても素敵で、よかったです。
(娘が出てるからではないですよ!!)
以下は、脚本家の方にあてたお便りから、
中房総国際芸術祭 いちはらアート×ミックス
2014.04.13.Sun.13:00~14:05
「オバケノガッコウニキテクダサイ」
観劇したことで心に湧いたつぶやき
言葉が異なるということ
国が異なれば言葉も違います。
それでも、理(わ)解(か)り合いたいと思うと、言葉の壁は低くなり、通じ合うこともできると思っています。
問題は、言葉が異なるという事よりも、理解り合いたいと思わないことだと感じています。
言葉が異ならなくても、相手を理解りたいと思わなければ、
言葉は通じないのだと考えています。
だって、人はそれぞれ別個の人間ですから。
人と人が出会い、知り合い、理解り合う。
その手段としての道具の一つが言葉なのですが、ごくごく僅かのものです。
言葉が通じると便利であることは間違いありません。
しかし、そのことが全てではないということを、よ~く知っておく必要があります。
対人援助の仕事をしていても、
まず、クライアントのことを理解しようとしなければ、いい支援はできません。
理解したいと思うからこそ、相手の言葉が理解り、こちらの言葉が通じるのです。
言葉が使えないということ : 悪い魔女の策略で言葉を奪われた村人たち
言葉に頼ってきた人たちは、
言葉を奪われると成す術を失い通じ合わなくなってしまいました。
悪い魔女の言葉だけが一方的に侵入して、
その言葉に翻弄されます。
力を持った者が言葉を使うと、
それも片道切符で使うと、言葉の僅かな力にも人は動かされてしまいます。
言葉の意味を考え、話し合う事ができないからです。
一方通行のコミュニケーションの恐ろしいところです。
対人援助者がしてはいけないことの一つが、
援助者側の価値観をクライアントに押し付けてはならないことです。
クライアントに対して、笛を吹き、ヘッドホンをつけさせて指示を出すのではなく、
クライアントのことを理解して、その困りごとを解決できるように支持するのが援助者です。
言葉が聞こえないということ : “みどり”という少女
言葉を聞く事ができない少女みどりは、
感じる力を持っています。
“ひみつのはこ”に入っている、色々なものに宿る物語。
言葉ではなく、人と人とのつながりや
そこから紡がれる物語、その中で言葉は力を持ちます。
そしてお化けとなった父の言葉を聴きます。
言葉が聞こえないからこそ、言葉だけに惑わされずにすむからこそ、
心に宿る言葉が聴こえるのです。
対人援助者は、言葉に耳を傾けます。
と同時に、クライアントの心の声や関係性にも耳を傾けねばなりません。
表面的な言葉の意味だけを理解するのではなく、
そういう言葉を使うクライアントの思いを理解りたいと思うのです。
コミュニケーションということ : 悪い魔女はコミュニケーションが鬱陶しい、、、
相手のことをわかるためには、
双方向でやり取りできる言葉が必要になります。
その言葉のやりとりで、関係性が生まれ
それぞれの人の物語も生まれます。
しかし双方向で言葉をやり取りし、
理解を深めていく作業は、まどろっこしいものです。
最初に語られたように
人はそれぞれ別のものですから、
出会った人の数だけ、
新しい双方向の言葉のやりとりを行わなければなりません。
似たような人だからといって、
コミュニケーションを省いてわかった気分になってはいけないのです。
対人援助者がいうところの「個別化の原則」です。
一人一人のクライアントには、
常に新鮮に向き合う心構えが必要です。
悪い魔女の笛は、そういった人の怠惰な心なのかもしれません。
物語ということ : 主役がいて、共演者がいて、それらの関係が物語を紡ぎだす
村人ひとり一人に、その人が主人公の物語があります。
社会とは、
その子となった人が主人公の物語が絡み合ってできあがっています。
それぞれの物語は、
共演者である家族、友人、知り合い、が必要です。
みどりは、言葉の紡ぎだす村人ひとり一人の物語を
“ひみつのはこ”を開けることで蘇らせました。
それも、要約された物語ではなく、
会話としての言葉のやりとりで、ライブ感たっぷりに。
それは悪い魔女が最も苦手とする関係性のあり方、
鬱陶しいもの。
ひとり一人の物語が存在することを可能にしているのが、
実は、お化け。
そのお化けは、個々の物語の交通整理をしながら、
ひとり一人が主人公でいられるように調整している者なのでしょう。
人は目に見えるものだけを信じるのではないように、
耳に聞こえるものだけに頼ってはいけません。
そう、お化けが私たちのために語っている声が聞こえてきます。
ほーほー、ちっちっちっ、う~う~、しゅ~~~、ポンポンポロン、、、、、、
解りたいと願って聴いていると、
お化けたちの言葉だって心地よく理解る時が来るのかもしれません。
対人援助者は、
クライアント一人一人がその人生において主役であり続けられるように支援します。
そのためには、その人が共演者とともに紡いできた日々を、
そして、演じ(生き)ている今を、
それから、その延長線上にある、演じ(生き)ていく未来の物語を紡いでいくことを、
裏から支持していくことなのです。