2014年4月30日水曜日

自分の話を聴いて欲しいときは、まず相手の話を聴く


人(相手)が自分の話を聴いてくれない。

と、云って嘆く人がいます。

そういった場合、

大抵その人の話を聴いていない。

ってことが多いようです。


ケアマネジャーのような仕事をしていると

クライアントに対して自分の説明を聴いて欲しい。

質問に対して答えて欲しいと思います。

悪気はもちろんありません。

そのようなときに、クライアントが昔話を一方的に喋りだすと

うんざりの気分で、「今日の面接はあきらめた方がいいかも、、、」

なんて思うんですよね。


実は、急がば回れで、

こちらの話を聴いて欲しいときには

礼儀として相手の話を先ずしっかり聴くことが必要です。

相手が同じ話を繰り返しするような場合には、

そのことを聴いて欲しいからなことが多いのです。


相手の聴いて欲しいことを適当にきいといて、

あるいは一生懸命に聴きもせずに、

こちら側の話を聴いてもらおうというのは、

少々虫が良いのかもしれません。


面接は、対話なのです。


2014年4月29日火曜日

東播磨カウンセリング研究会の講座やワークショップのお知らせ


平成26年度
東播磨カウンセリング研究会の
講座やワークショップのお知らせです。

総会は
4月20日に終了してしまいました。

講座「ロールプレイングⅠ」
平成26年6月~平成27年3月(全12回)
①6月29日 ②7月27日 ③8月24日 ④9月28日
⑤10月19日 ⑥11月2日 ⑦11月23日 ⑧12月7日
⑨1月18日 ⑩2月1日 ⑪2月15日 ⑫3月1日
いずれも日曜日 13:30~16:30
加古郡播磨町「野添コミュニティセンター」
受講料:¥25,000-

夏季ワークショップ
平成26年7月19日(土)~21日(月祝)
岡山県和気郡日生町鹿久居島「ペンションみかんの郷」
(原則、全日程宿泊参加とします)
参加費用¥40,000-(研修費:¥19,000-生活費:¥21,000-)

1日研修会(箱庭研修)
平成26年9月7日(日)10:00~16:00
播磨町中央公民館
参加費:¥1,000-(非会員¥1,500-)

月例会「同作法 -ほっとの会-
原則月1回 開催日に直を決定
主として播磨町中央公民館
参加費:1家族につき¥1,000-
講師:三好敏之先生

いずれのプログラムについても詳細は
東播磨カウンセリング研究会H.P.にて
5月半ばにはアップされます。
http://sites.google.com/site/higashiharimack/

色々な視点で考える


今日は「昭和の日」ということで祝日。

でしたが、流通科学大学は通常の授業日ということで

「ケアマネジメント論」の講義に1時限から行ってきました。

今日で4回目でしたが、平均すると12~3名の出席のところ、

世間が休日なためか、朝から結構な雨が降っていたためか、

7名の出席でした。


世間が休日なのか、天候のせいなのか。これも二つの視点ですが、

7名しか来なかったもか、7名も来てくれたのか。これも二つの視点と云えます。

人数が少ないことはさみしいですが、なんとなくいつもより濃い授業な感じでした。


「雨降って、地固まる」ということがありますが、

雨が降るのは鬱陶しですが、

雨が降ることで地面が締められて固まり、

しっかりとした土台ができるというような意味でしょうか?

このことも視点を変えてみると。というようなことが含まれています。


地面が固くなると土台としてはしっかりとしていいのですが、

農耕地としてはあまり良いことばかりでなく、

耕す苦労も生まれます。


生活していく中で起こる様々な事柄は、

どうやら一方的に良い、とか悪いとは言えないようです。

色々な視点でものを見る癖を身に付けた方が

気楽に生きてけるのかもしれません。

2014年4月28日月曜日

悔やんでも、あせっても仕方がない。


対人援助の仕事をしていて、

事例を振り返ると、

「何でこんな対応をしたんやろう?」

とか、

「もっとこんな風にしたら良かった」

っていうことはよくあります。

事例と向き合っていて、

上手く行きそうにないときに

あせってしまって、かえって上手く行かなかったりもしちゃいます。

そんなときは、なんか悲しくなってしまいます。


私はよく、研修の最期で

 「結果よりプロセス、上手にではなく丁寧に、

  あせらない、あわてない、あきらめない。」

とお伝えします。


NHKのEテレ(昔の教育テレビ)で

「フックブックロー」という番組があります。

その主題歌?に「青空しんこきゅう」という歌があります。

**************************
「青空しんこきゅう」  作詞:山川慶介、作曲:服部隆之

はしっても あるいても
ちきゅうのスピードは おなじです
あせっても のんびりでも
ちゃんとあしたは くるんです
いそぐときほど くちぶえふこう
かなしいときほど にっこりえがお
フック ブック ロー
しあわせはいつも うしろから
フック ブック ロー
おいついてくるよ
だからここらで そよかぜを あおぞらを
ちょっとしんこきゅう

*************************
大好きな歌です。

この間まで桜が咲いていましたが、

散ってしまって葉桜となってしまいました。

でも、今は藤の花が満開で

心を和ませてくれます。

あせっても のんびりでも

季節はちゃんと移ろっていきます。

人も自然の一部なので、

あせってみてもしょうがないと思いませんか?

2014年4月27日日曜日

事業所の内部研修で、、、


25日、26日と

神戸の幸せにある障がいを持つ子どもの施設と

尼崎にある医療生協さんでない分研修に呼んでいただきました。

テーマは「対人援助の基本的なお話し」「コミュニケーション」等について。


受講される皆さんにとって私は、

外部講師ということになります。

研修が始まる前は、

「どんな講師なんやろう???」と

若干緊張してはります。

というか、構えてはる感じが伝わってきます。


私の講義を受けたことがおありの方は、

ざっくばらんな研修なので、気楽に座ってはるのですが、

(当てられるので近著王している人もいますが、、、)


私は、かねがね申し上げていますが、

研修は肩の力を抜いて望んでほしいと思っています。

そして、質問や意見は積極的に発言してもいいと思っています。

何故かというと、研修は学ぶ場だからです。

学ぶというのは、ただ聴いて帰るだけではなく、

聴いて考える必要があります。

聴いたことを自分の中で考える作業をしないと、

研修で話を聴いた後、家に帰る頃には残っていません。


今、云うたことはどういうこっちゃ?

解らんかったら、質問する。

感じたことがあったら、言語化する。

特に稲松の場合は質問しますので、

そのことについて考えて答えて欲しいと思います。

特に内部研修では、ええかっこせずに。

内部研修で発言できないということは、

日常の中でも風通しが悪いのかもしれませんよ。(笑)

2014年4月24日木曜日

“稲松塾”スタートしました。


今日は、

17時から兵庫県但馬の地は朝来市の竹田、

神戸聖隷福祉事業団の障がい者施設 真生園の会議室で

いよいよ“稲松塾”がスタートしました。


そもそもは昨年の秋に

神戸聖隷の課長職研修で

グループスーパービジョンの考え方での

事例検討会を行いました。

そう「気づきの事例検討会」を

朝から夕方までで考え方やルールを学び

とりあえず事例の振り返りを行う。

かなりハードの内容でした。


研修終了後、数名の方が

「自職場に戻って、学びを続けたい。」

「部下にも伝えていきたい。」

というお声を聴かせてくださいました。


私の答えとしては大歓迎なのですが、

「本当に取り組んでいくのなら、

再度、基礎的な学びからじっくりと取り組んでいかれた方がいい。」

と、お伝えしたところ。

「是非、取り組んでみたい。」ということで、

1回あたり2時間半~3時間、

年間、7回シリーズで基本的なことを学ぶことと相成りました。


受講生の希望でスタートしましたので、

熱心です。

対人援助のことに本気で向き合いたい人の学びです。

フリーランサーとなってやりたかったことの一つです。

皆さんと大切に育んでいきたいと思います。

2014年4月23日水曜日

人との関わりで心が動く


今朝のNHK“あさいち”で

東北の仮設住宅での困りごとについて特集していました。


その中で、仮設住宅は収納スペースがあんまりないので、

荷物が増えてくると、部屋の中が荷物で一杯になってしまい、

散らかり放題のようになってしまう。という一人住まい?の女性の悩み。


そこに収納の達人、スーパー主婦という方が、

色々な知恵を使って、とても安価に

限られた収納スペースを区切りながら、

雑然と積みあがっていた荷物を

綺麗に、しかも取り出しやすく片付けていき、

しかも新たな収納スペースまで確保していく状況が放送されていました。


それはそれは見事にきれいな部屋に生まれ変わったのですが、

家主の女性が感極まって涙を流すシーンが映されました。


もちろん綺麗に片付いた部屋にも感動したのでしょうが、

自分のために、一生懸命に知恵を絞って、

本当に自分のことを考えて、

関わってくれる人がいることに感動されている様子でした。


上手にやっていやろう。ではなくて、

相手のことを想って、

丁寧に関わる。

そのことが人の琴線に触れるのだ。と、

改めて感じました。

2014年4月22日火曜日

訳の解らないことを云うクライアント


ケアマネジャーさんのケース相談で

「訳の解らんことを云う人なんです。」

というケースに時々で会います。


「訳の解らないこと」

これを言い換えると

「辻褄の合わないこと」


Cl:「自分の息子が戸棚の醤油を盗んだ。」

CM:「戸棚に醤油の便ありますよ!」

Cl:「中身だけ盗んでいきよるねん!」

とか、

Cl:「隣の人が、電波を送ってきて寝られへん!」

とか、

Cl:「夜中になったら、壁の中で子どもらが騒ぎだすの。」

とか、とか、とか、、、、


こういったことを総称して「訳の解らんこと」と表現しているのです。


これをもう少し丁寧にいうと、

「世間や、私の考えでは辻褄の合わないこと」

要するに、相手の中では辻褄が合っているのかもしれません。

例え、病的な原因があったとしても

クライアントが表現していえることは真実です。

意図的に見え透いた嘘をついている場合にでも、

そうする理由(根拠)があると言えます。

ただ、無意識的にそうなっている場合もあるので、

根拠をも含めて理解することは困難極まりなく、

ある意味不可能かもしれません。


でも、向き合い方は基本的に同じです。

特別な方法を、始めから考える必要はありません。


先ずは、批判非難せずに聴くこと。

そして、とりあえず受容すること。

できれば、共感すること。


言うときますね、

これらの三つのことは、

意識してトレーニングしないと、なかなか難しいですよ!


自分の枠の中に納まらないからといって、

単純に「訳の解らないことをいう人」

と分類するのはやめた方がいいかもしれません。


2014年4月21日月曜日

言葉ををかける勇気、かけない勇気


先日、大阪に行ったとき、

帰りの電車で座っていたら、

パッと見た感じ80前後の女性が乗ってこられた。

私が「お掛けになられますか?」と尋ねると、

「ありがとうございます」とおっしゃったので席を譲りました。


私の隣には明らかに私より若い男性が座っていたのですが、

少しばつが悪そうに、私に会釈されました。


おそらく、席を譲ることを考えたけれど

言葉をかける勇気がなかったんです。

って感じでした。


確かに、こういうシチュエーションでは

言葉をかけるのに少し勇気がいるかもしれません。


これとは逆に、

クライアントやご家族、友人でもいいのですが、

落ち込んでいる時には、

少しでも慰めたり、

勇気づけたりしたいと思って、

言葉をかけたくなります。


ところが、言葉をかけることが逆効果の場合もあります。

本当に落ち込んでしまって、小さくなっていしまい。

できれば他の人に見られたくないようなときは誰しも経験があると思います。

そういうときは「そっとしておいて欲しい。」と思いませんか?


状況判断がいるのですが、

声をかけずに放っておく勇気というのもあるように思います。

(本当は、放っておくのではなく、見守っておくというのが正解なんでしょうが)

そういったときに勇気を出して言葉かけをして

かえって相手を傷つける場合もあるようです。

決して悪意ではないのですが、

そのことでこちらも落ち込んでしまうこともあり得ます。


対人援助の仕事をしていると

立場上、放っておけないと感じて

「何か気の利いた言葉かけでもしなければ。」

と思ってしまうのですが、

言葉かけをする勇気もあれば、

言葉をかけずにおく勇気もあることを知っておく必要があると感じています。

2014年4月20日日曜日

面接を振り返る


スーパービジョンの中で

面接を振り返ることがあります。


バイジーさんが自身の面接の逐語録を持って来られ

流れを追いながら、一つ一つの台詞を考えていきます。


そうやって振り返ってみると

クライアントの発言に対して

「どうしてこういう返答をしているのか?」

ということを考えます。


クライアントの発言の意味や

その時の感情等を吟味してみます。


すると面接している時とは違う理解や感じ方が浮かんできます。

すると、実際とは異なった面接の展開が想像されます。

既に過去のものとなった面接なので

「~たら」「~れば」の話をしても始まらないのですが、

今後の面接で意識することができます。

継続ケースであれば、

次回の面接で立て直しができます。


こういう振り返りを重ねることで

面接の中でも立て直しを図ることがしやすくなると考えています。

2014年4月19日土曜日

「次に繋げる」ということ


今日は、

兵庫県介護支援専門員協会の理事会に主席しました。

今年度、第1回目の理事会です。


今年度は役員改選の年です。

会長並びに執行部は留任されると思いますが、

全権理事や地域理事の方は退任されて

新しい片にバトンタッチすることもあるようです。


前年度までの事業や予算をきっちり報告して、

次に繋げるということはとても大切なことです。

しかも

今までの活動を糧にして前に進めるようにつなぐ。

結構難しいことかもしれませんが、

そうやって前に進みたいものです。


夜は、西神戸混声合唱団の練習でした。

実は、楽曲を仕上げていくときにも「繋ぐ」ということは重要です。

一つの音から次の音につなげていくときにメロディができます。

メロディの流れがフレーズを作り、次に次にと流れていきます。

楽曲というのは、いったん始まると終わるまで流れていきます。


そして、組曲などは、

一つの曲から、次の曲にイメージが繋がれていきます。


クライアントの生活も

昨日から今日、今日から明日へと繋がっています。

生きてきた時間から、生きている時間、

そして生きていく時間へと繋がっています。


次につなげていくという流れを感じることは大切なことだと思います。

2014年4月18日金曜日

ボーっとするのは難しい。


今日は、

大阪市住吉区の居宅介護支援事業者部会

主任ケアマネのつどいに呼んでいただきまして、

2時間ほどストレスマネジメントのお話しをしてまいりました。


ストレスは、ストレッサー(刺激)によって引き起こされる

「心身のひずみ」と考えてもらえればよいのですが、

違う言い方をすれば、

刺激に対応しようとしてエネルギーが偏ってバランスを失った状態

もしくは、エネルギーが枯渇してきた状態とも言えます。

ここで起訴付けたいことは、

「心身」というように心にも身体にも表れるという点です。


また、引き起こす刺激には物理的なもの心理的なものとがあって、

物理的なものは気温や湿度、騒音や臭いといった

環境に起因するものが多く、個人のスキルだけでは対応困難なことが多いです。


心理的な場合は、通常、

刺激 → 評価 → 反応 

という具合にストレスが発生してきます。

評価とはストレッサーに対してどのような評価をするか。

つまり、自分で対応可能かどうか、どれくらいの脅威となるのか。

といった評価です。


ストレスの流れが反応、すなわちストレスをすでに感じている。

もしくはダメージを受けている場合、

リラクゼーションやストレッチ等は結構効き目があります。


ストレッチは体操のようなものですから取り組みやすいのですが、

リラックスする、、、どうするの、、、要するにボーっとできるかです。

これがなかなか難しい。


ボーっとしようとすると、

「ボーっとしなければ」って考えてしまい、

結局ストレッサーに捉われてしまうことが多いからです。

では、どうするのか、、、そんな時は、

ボーっとすることを考えるより、

自分の好きなことに熱中するとか、

好きなことを考える方が有効だと思います。 

ストレッサーに向き合って集中しているエネルギーを

違う方向に向けてバランスが取れるからです。


ただし、ダメージを受けすぎてエネルギーが枯渇してきたときには

休息しか手立てがないことも知っておいてください。




2014年4月17日木曜日

コミュニケーションを学ぶのはなぜ?!


本日は、

神戸聖隷福祉事業団の新規採用職員研修

打合せに行ってまいりました。


スケジュール表を見せていただくと、

私が担当させていただく時間は2時間。

テーマは「コミュニケーション(対人関係)」と書いてあります。


研修担当の施設長さん方といろいろとお話しをしながら、

対人援助技術というと面接技術的な部分に結び付いて、

コミュニケーションについて学ぶという流れになります。


プラス、仕事の根底にある考え方やチームワークのようなところにも、、、

とても欲張りなリクエストです。


コミュニケーションの力は、

利用者さんともスタッフ間でも必要になります。

カンファレンスやミーティングでも必要です。


ではコミュニケーションを用いて何を行うのでしょうか?


その目的や目標は何でしょうか?


コミュニケーションというのは道具です。

その道具をうまく使って、

目指しているのはどこなのでしょうか?


コミュニケーションの前に

「尊厳の保持」「利用者主体」「自己決定」「自立支援」・・・

といった基本的な視点をしっかり押さえておかなければ

コミュニケーションを学んでも

仕事のうえでは何の役にも立ちません。


その辺りのことを、限られた時間ではありますが

丁寧にお伝えしたいと思います。

2014年4月16日水曜日

ストップザ無縁社会・・・孤立からの脱却


NHKのドラマ「サイレント・プア」(火曜夜10時)が始まっています。

社会福祉協議会のCSW(コミュニティソーシャルワーカー)が主人公。

社会福祉協議会スタッフの方々は注目しているドラマです。


一人住まいの方でも、

日中、地域の活動の顔を出したり、

友だちが訪ねてきてお茶を飲んだり、

そういう暮らしをしている人を

私は“ひとり暮らし”とは呼びません。

なぜなら暮らしの中で一人ではなく

他者とのかかわりがあるからです。


一人住まいで、

関わる人もなく、

ごみを捨てるのも億劫になり、

そのうち食べることすら億劫になる。

孤独だけではなく孤立してしまう。


そのような人を作りださない。

そうなった人に関わりを持って、

一人暮らしでなくする。

「ストップザ無縁社会」


もっと気づきにくい孤立は、

家族と一緒に住んでいても

心を閉ざしていて、関わりがなく、

自分の殻の中だけで暮らしている人。

家でも、学校でも、会社でも、、、


人は人と関わることで人であることを忘れてはいけません。

2014年4月15日火曜日

小湊鉄道


今回は、千葉県市原旅行のおまけ話し。

千葉県の五井というところから上総中野というところまでの、

とてもレトロなローカル線。

もちろん単線。

私は全然知りませんでしたが、

鉄道好きの人は知っているみたいで、

「今の季節は菜の花の中を列車が走るんですよ!」

なんて教えてくれました。
昔の阪神電車の特急みたいなツートンカラー。
JRの内房線の五井駅と引っ付いています。出発点。
途中の駅では対向車の通過待ちで止まります。

お芝居を観たのは、執着の上総中野(かずさなかの)の2つ手前の上総大久保。

その上総大久保と上総中野の間の駅が養老渓谷。

養老の滝があるところです。(居酒屋と違いますよ)

片道1時間ほどのローカル線の旅は、

気のせいか、時間がゆっくり流れているように感じました。

非日常で時間を過ごすのも大切なことだと思います。


2014年4月14日月曜日

「オバケノガッコウニキテクダサイ」


13日の日曜日、千葉県の市原市に娘の出演する劇を観に行ってきました。
今日のタイトルが劇のタイトルです。

廃校になった小学校に住むお化けと
耳の聞こえない少女と
とても素晴らしい村人たちと
村を壊そうとする悪魔が出てきます。

悪魔は、村人たちからコミュニケーションを奪うという方法で破壊を試みます。
が、耳の聞こえない少女が、コミュニケーションを取り返し、村を守ります。

ミヒャエル・エンデの「モモ」のような感じでした。
新鮮で、笑わされて、泣かされて、考えさせられて、
とっても素敵で、よかったです。
(娘が出てるからではないですよ!!)
以下は、脚本家の方にあてたお便りから、

中房総国際芸術祭 いちはらアート×ミックス  
2014.04.13.Sun.13:00~14:05
「オバケノガッコウニキテクダサイ」
観劇したことで心に湧いたつぶやき

言葉が異なるということ
国が異なれば言葉も違います。
それでも、理(わ)解(か)り合いたいと思うと、言葉の壁は低くなり、通じ合うこともできると思っています。
問題は、言葉が異なるという事よりも、理解り合いたいと思わないことだと感じています。

言葉が異ならなくても、相手を理解りたいと思わなければ、
言葉は通じないのだと考えています。
だって、人はそれぞれ別個の人間ですから。

人と人が出会い、知り合い、理解り合う。
その手段としての道具の一つが言葉なのですが、ごくごく僅かのものです。

言葉が通じると便利であることは間違いありません。
しかし、そのことが全てではないということを、よ~く知っておく必要があります。

対人援助の仕事をしていても、
まず、クライアントのことを理解しようとしなければ、いい支援はできません。
理解したいと思うからこそ、相手の言葉が理解り、こちらの言葉が通じるのです。

言葉が使えないということ : 悪い魔女の策略で言葉を奪われた村人たち
言葉に頼ってきた人たちは、
言葉を奪われると成す術を失い通じ合わなくなってしまいました。

悪い魔女の言葉だけが一方的に侵入して、
その言葉に翻弄されます。

力を持った者が言葉を使うと、
それも片道切符で使うと、言葉の僅かな力にも人は動かされてしまいます。
言葉の意味を考え、話し合う事ができないからです。
一方通行のコミュニケーションの恐ろしいところです。

対人援助者がしてはいけないことの一つが、
援助者側の価値観をクライアントに押し付けてはならないことです。
クライアントに対して、笛を吹き、ヘッドホンをつけさせて指示を出すのではなく、
クライアントのことを理解して、その困りごとを解決できるように支持するのが援助者です。

言葉が聞こえないということ : “みどり”という少女
言葉を聞く事ができない少女みどりは、
感じる力を持っています。

“ひみつのはこ”に入っている、色々なものに宿る物語。
言葉ではなく、人と人とのつながりや

そこから紡がれる物語、その中で言葉は力を持ちます。
そしてお化けとなった父の言葉を聴きます。

言葉が聞こえないからこそ、言葉だけに惑わされずにすむからこそ、
心に宿る言葉が聴こえるのです。

対人援助者は、言葉に耳を傾けます。
と同時に、クライアントの心の声や関係性にも耳を傾けねばなりません。
表面的な言葉の意味だけを理解するのではなく、
そういう言葉を使うクライアントの思いを理解りたいと思うのです。

コミュニケーションということ : 悪い魔女はコミュニケーションが鬱陶しい、、、
相手のことをわかるためには、
双方向でやり取りできる言葉が必要になります。

その言葉のやりとりで、関係性が生まれ
それぞれの人の物語も生まれます。

しかし双方向で言葉をやり取りし、
理解を深めていく作業は、まどろっこしいものです。

最初に語られたように
人はそれぞれ別のものですから、
出会った人の数だけ、
新しい双方向の言葉のやりとりを行わなければなりません。

似たような人だからといって、
コミュニケーションを省いてわかった気分になってはいけないのです。

対人援助者がいうところの「個別化の原則」です。
一人一人のクライアントには、
常に新鮮に向き合う心構えが必要です。
悪い魔女の笛は、そういった人の怠惰な心なのかもしれません。

物語ということ : 主役がいて、共演者がいて、それらの関係が物語を紡ぎだす
村人ひとり一人に、その人が主人公の物語があります。

社会とは、
その子となった人が主人公の物語が絡み合ってできあがっています。

それぞれの物語は、
共演者である家族、友人、知り合い、が必要です。

みどりは、言葉の紡ぎだす村人ひとり一人の物語を
“ひみつのはこ”を開けることで蘇らせました。

それも、要約された物語ではなく、
会話としての言葉のやりとりで、ライブ感たっぷりに。

それは悪い魔女が最も苦手とする関係性のあり方、
鬱陶しいもの。

ひとり一人の物語が存在することを可能にしているのが、
実は、お化け。

そのお化けは、個々の物語の交通整理をしながら、
ひとり一人が主人公でいられるように調整している者なのでしょう。

人は目に見えるものだけを信じるのではないように、
耳に聞こえるものだけに頼ってはいけません。

そう、お化けが私たちのために語っている声が聞こえてきます。
ほーほー、ちっちっちっ、う~う~、しゅ~~~、ポンポンポロン、、、、、、
解りたいと願って聴いていると、
お化けたちの言葉だって心地よく理解る時が来るのかもしれません。

対人援助者は、
クライアント一人一人がその人生において主役であり続けられるように支援します。
そのためには、その人が共演者とともに紡いできた日々を、
そして、演じ(生き)ている今を、
それから、その延長線上にある、演じ(生き)ていく未来の物語を紡いでいくことを、
裏から支持していくことなのです。

2014年4月13日日曜日

失敗するのは辛い

我が家の愛犬ピース。今年の6月が来ると13歳、ラブラドルレトリバーとしては結構なお歳です。

最近、少しお腹の調子が悪くなったとき、室内で粗相をしてしまいました。
基本的には、お散歩の時に用を足すのですが、調子が悪いのでどうしようもなかったのでしょう。
そういう時のピースは、とても申し訳なさそうにカウンターのしたで丸まっています。

ピースは、排泄の失敗が辛いようです。

どうしようもなくなったとき、リビングの見渡せる場所ではしません。
廊下の方へ行ったり、和室に行ったりします。
ピースなりに気を遣ってくれているのです。

こういうときに我が家では、「辛かったなぁ、怒ってないから、こっちにおいで」と言って撫でてやります。
そしてワンちゃん用のシートを準備すると、そこでしようとします。
その時は、褒めて「ありがとう」って言います。

失敗して辛がっている相手を責めることはしません。

日中は寝ている時間が多くなってきました。寝顔を見ていると、その名の通り平和そのものです。


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2014年4月12日土曜日

モニタリングという責任


介護支援専門員の実務研修・更新Bの後期3日目。

最期のコーナー、モニタリングについての講義・演習をメインで担当しました。


モニタリングは、

ケアマネジメントプロセスで「終了」を除くと、

色々なテキストでも最後に出てきます。

各プロセスを「インテーク」から順番に解説すると

最期の方に登場します。

ところが、ケアマネジメントサイクルといわれるように、

モニタリングは再アセスメントにつながる部分であるために

ぐるぐると回っていくサイクルの起点となります。


一つのサイクルを見てみると

「アセスメント」によってニーズを明確にし、

目標を立てて、「ケアプラン作成」し、

チームで共有して「実行」していきます。

そして、

「モニタリング」でそのケアの実行状況をチェックします。

そう、ケアが計画通りに提供されているのか監視し、

ケアによってクライアントの生活が目標に見ているのか評価・確認し、

計画通りに進んでいないとき、状況に変化が見られた時に

ケアの方針や計画を修正する意味合いがあります。

言い換えると、実践してきたケアに対する責任です。


一つのサイクルの確認をする責任と、

支援を前に進めて継続していく責任の両方の意味が

「モニタリング」であると考えています。

2014年4月9日水曜日

「伝える」と「伝わる」


今日は、

介護支援専門員更新B・再研修の

後期2日目の演習でした。

実習の宿題で皆さんケアプランを立ててこられたのですが、

そのプランをアセスメント情報をもとに

グループで検討しました。


グループワークの感想では、

「自分しか知らないケースのことを

他者に伝えるのは難しかった。」

というのが多数ありました。


自分の敷いていることを「伝える」という行為は簡単にできます。

自分が持っている情報を出せばよいのですから、

ただし、「伝わる」というのは相手方が、

こちらが意図したように理解してくれるかということになります。


「伝える」主体はこちら側ですが、

「伝わる」の主体はあちら側なのです。

コミュニケーションの根幹の部分ですが、

そのこと自体が「難しいことなのだ」と気づいていただければ、

研修も無駄ではなかったと思います。


が、その気付きによって実践が変化しないと

研修の目的としてはアウトなのかもしれませんが!

2014年4月8日火曜日

地域包括ケアに欠かせない力、丁寧に伝えよう!


今年度も、今日から大学の授業が始まりました。

流通科学大学の「ケアマネジメント論」前期15回。

まだ、正式に何名の学生が履修しているかはわからないのですが、

教務課に確認していただいたところ、現時点では20名履修届を出しているそうです。


実際に教室では、遅刻した学生も含めて10名。

1/2か、、、

そのうち、福祉方面に進む感じの人は3名。

1/3か、、、


今日のところはオリエンテーション的なお話し。

どんな感じで授業を進めていき、

レポートを出すか。

採点基準はこういう風に考えてください、とか。

ちなみに大学が出しているシラバスを見て履修した人は1名。

1/10か、、、


でも、いつも調子でインタビューで当てていきます。

「何でこの教科、履修したの?」

とか訊いていくと

それなりに応えてくれます。


福祉の道に進もうという人はもちろん、

そうでない人にも対人援助の考え方が伝われば

それこそ地域での力となる可能性があるわけだから、

ここはひとつ丁寧に伝えていかなければ!!

楽しくなりそうです。

2014年4月7日月曜日

繋がるということは


東日本大震災と大津波で寸断されていた

三陸鉄道が全線繋がりました。

各テレビ局も情報バラエティなどで特集コーナーを作り、

地域の人の声を拾ったり、復興への足跡を追ってみたり、

嬉しいニュースなのでついつい見ていました。


鉄道が復旧するということは、

人や物が動くだけではなく、

コミュニケーションが生まれ

そのことで関係性が復活したり、新たに生まれたりします。


日頃当たり前に思っていることが、

取り上げられてしまうと本当につらくて、

当たり前に半紙ができていたことが、

とても尊く感じられます。


今、繋がっている関係があるとしたら

感謝しなければならないし、

繋がっていない関係があるのなら

繋がる努力をしなければ勿体ないのかもしれません。


そう、繋がりができるということは、

関係性ができるということ。

2014年4月6日日曜日

ブレが大きいと付き合いづらい


この3日間ほど寒さが戻っていて、

東北の方では、雪になっているようです。

播磨町も朝晩だけでなく、

日中もかなり寒さを感じます。


その前の3~4日が妙に温かく、

このまま春本番になだれ込むのかしら

と思うような陽気だったので、

なおさらこの度の冷え込みが堪えるようです。


気温のブレに対応するのがきついように、

対人関係においてもブレが強いと付き合いづらいものです。

いつもだったらニコニコとして済ませてくれるように思っていたのが、

今日に限っては、急に機嫌が悪くなったり、黙り込んだり、

その人に向き合う側にとっては、

できる限り平静な方が付き合いやすいものです。


といっても人間ですから、

気分のいい時もあれば、そうでないときもあります。

相手に力があるときは甘えてもいいのかもしれませんが、

そうではないとき、(クライアントと向き合うようなとき)

自分の中にある色々な感情のブレは感じておいて

なるべく出さないように努力がいるのかもしれません。


この部分が「統制された情緒的関与」につながるのでしょう。

2014年4月5日土曜日

基本、イメージすること


今日は西神戸混声合唱団の練習日でした。

ヴォイストレーニングので、

神戸市混声合唱団の谷口先生をお迎えして

色々とご指導していただきました。


谷口先生は若手のテノール歌手ですが、

大阪出身らしくユーモアも交えながら

解りやすくお伝えいただき、

短時間の間に声が随分変わるのを体験しました。


先生がおっしゃったことは

呼吸のことや、息の長し方、

フレーズのこと。

それらのことを順番をつけて、


先ずしっかり呼吸できていること。

その呼吸に母音が響いていること。

その響いた母音に子音が乗っかること。「¥

それらのことをできるために

準備すること。


基本をトレーニングしたら、

後は、イメージすることを大切にしているとのこと。


基本、そしてトレーニング、

そのうえにイメージすることが重要だということ。

なるほど、、、

2014年4月4日金曜日

更新するということ


今日、運転免許証の更新に行ってきました。

一応、2回連続のゴールド免許です。


今年の3月には、介護支援専門員の更新手続きをしました。

こちらの方は、ケアマネジャーとしてはペーパードライバーです。


いずれの場合でも、

日頃の生活の中で、

あまり意識していない部分を見直す機会になります。


そう、更新という制度は

見つめ直すには、いい機会です。

ただ、そう考えている人がどのくらいいるのでしょうか?


運転免許証にしろ、ケアマネジャーにしろ、

形だけの更新だと思っている人が多いのではないでしょうか。

更新を意味あるものにするのは、

更新を受けるその人自身の意識の問題もあります。

初心に帰って、再度見つめ直す。

そういう思いがある人は、

おそらく更新制度がなくても

そうしていると思います。


私の勝手なイメージとしては、

後進する感じは、

新たな歩みという感じがして

今の季節には良く合っていると感じるのです。

2014年4月3日木曜日

その人の力を見る


NHKの朝の連ドラが、

「ごちそうさんん」から「花子とアン」に変わりました。

「赤毛のアン」の翻訳をした村岡花子さんの物語です。

ドラマではまだ子ども時代の花子、舞台は山梨県甲府。


貧しい小作農のうちに生まれた花子。

学校にも行けずに、野良仕事や子守りをする働き者の少女。

ただ、父親が買ってきた絵本を見て

字も読めないのに目を輝かせる花子。

その様子を見て父親は、

花子に学ぶことに対する意欲とセンスがあることに気づき、

学校に通わせます。


その人の力を見出す。

ストレングスを見つけ、引き出す。

そう、エンパワメント。


クライアントの力を見つけようとするならば、

その人独自の部分を見なければなりません。

そこには「個別化の原則」の重要性が潜んでいます。

世界に一人しかいないその人の良さに気づくこと、

これがエンパワメントの初めの一歩です。


「世界に一つだけの花」という歌がありますが、

人だってそうだと思いませんか?

云い小懸命に生きていこうとする部分に

寄り添い、サポートしていこうとするときに、

その人の力をしっかりとみて、支えることをしなければならないと感じています。

2014年4月2日水曜日

死を日常のものとして受け止める


3月の大阪での近畿介護支援専門員研究大会で

武田先生からご紹介いただいた本を手に入れました。

「恋(れん)ちゃん はじめての 看取り」写真・分:國森康弘、農文協

小学5年の恋ちゃんが、

92歳のおおばあちゃんを自宅で家族とともに看取る

ドキュメンタリーの写真集です。


死を特別の者としてみるのではなく、

自然の中に位置づけてある。

特別ではないけれど、決して軽くなく。

だからといって重くもない。

生き切った人への敬意、ねぎらい。


感動的な本です。

だるまさんがころんだ。


昨日は、

新しい年度の始まり。

理事をしている法人の辞令交付式に出席してきました。

11名の新規採用者。

7名の昇任者。

5名の発展的異動の方。

それぞれに事例が交付されました。


初めの第一歩(もしくは、初めのいーっぽ)って遊びがあります。

鬼役の人が目隠しで数を数えている間に

他の人は少しずつ鬼に近づいて行って鬼にタッチする。

でも、鬼が数え終わって振り向いたとき動いていた人は

鬼に捕まってしまいます。

この遊びの名前を別名「だるまさんがころんだ」と云います。

1から10まで数える代わりに

鬼が「だるまさんがころんだ」と数えるからです。

(正直に言うと、私は「ぼんさんがへをこおいた」と数えてましたが、、、)


早くタッチしたいと大胆に動くと

鬼が振り向いたときに止まれないで捕まってしまいます。

少しずつでも、着実に前に進むことがいいようです。


新しく採用されて「初めの第一歩」を踏み出すみなさん、

どうか仕事をあせらないでください。

利用者さんとの関係、職場の仲間との関係、あわてないでください。

「だるまさんがころんだ」みたいに

少しずつ、少しずつ丁寧に、着実に前に進んでください。

その歩みが積み重なって経験となります。

あせらない、あわてない、あきらめない。

2014年4月1日火曜日

ブログも4年目に突入。


昨日が、3月31日

本日から新年度。

ということで、ブログを書き始めて

調度3年が経過しました。

毎日とは言えないのですが、

それでも、ほぼ、毎日、つれづれなるままに、、、

こないだ神戸の若いケアマネジャーさんから

「稲松さん、最近のブログ、誤字脱字、誤変換、、、多いっすよね!(笑)」

って言われました。

昔から多かったようにも思いますが、

確かに。。。

それでも、フィードバックいただけるということは、

こまめに見ていただけているのだなぁ、と思って嬉しかったです。

講演等に出かけても、

時折、受講生さんから

「ブログ拝見してます。」

なんて言われると、

やっぱり嬉しいです。

フィードバックって大切やねんなぁ。と改めて感じました。

ということで、今後ともよろしくお願いします。