2016年4月30日土曜日

自然体の難しさ


今日は土曜日、

西神戸混声合唱団の練習日です。

先週は、藤村先生のヴォイストレーニング。

いかに、肩や首、口の周りの力を抜いて声を出すか。

分かっているけれど、

意識すれば、

その意識で、

また力が入ってしまいます。


そうそう、

座禅をするときに

無意識、、、何も考えないように、、、

そう思うと

「何も考えないように」と意識する。

それににた感じです。


対人援助面接の時にも

面接の流れや言葉の意味に意識をしますと

相手の表情や自分の表情を見落としていたり、

相手の感情に気持ちを寄せていると

客観的に言葉を整理できなかったり、

意識しながら、自然体でやることは結構難しいものです。


そういうときは、

やはり他者の力を借りることがいいようです。


先週の練習でも、

藤村先生のお腹や肩や触らせていただき、

(藤村先生は男性です(笑)

自分の体を藤村先生が触れて確認し、

カラダに覚えさせていく。


面接なら、なかなか生の面接を観てもらうことはできないので

ロールプレイ等を観察してもらいフィードバックをもらう。

自然体を意識する。

難しいのですがトレーニングしかないようです。


さぁ、そろそろ練習に出かけるとしましょう!!

2016年4月29日金曜日

イメージの世界


今日は、

鉛筆画を描いているお友達が個展をされているので、

甲子園の"かふぇ&ぎゃらりーCafeココカラ∞”に行ってきました。

鉛筆だけで書かれているのですが、

奥行きや動き感がすごい!!

"イメージの世界”というのは、

作者である美崎さんの内部のイメージとともに

観る者のイメージ、

そういったイメージの世界なんだと感じました。




対人援助職の人とお話しをしていて、

「クライアントの困りごとをイメージすることができないと支援は難しいだろうなぁ」

って、感じることがよくあります。

イメージ力とでもいうのでしょうか?


人間関係において、

相手の客観的な状況を見て

「この状況からどのような困りごとが起こりえるのだろう」とイメージする

見立てです。

「この状況でこの人はどんな気持ちなんだろう」とイメージする

共感の準備です。

(感情の反射を行う場合に必要になってくると思います)


イメージする力を養うためには、

実践での面接とかだけではなく、

音楽を聴いたり、絵を観たりすることも有効だと思います。

ぜひ、時間があれば覗いてみてください。

5月1日までです。


途中、甲子園球場の歴史館にも寄りまして、

バックスクリーンからダイヤモンドを眺めて

今宵のタイガースの勝利をイメージしてみましたが、

結果やいかに?!


2016年4月28日木曜日

初心に返るということ


今日は、某高齢者施設での虐待防止の研修でした。

稲松が、このテーマでお話しするときには、

前段は、対人援助における基本的なお話、

目標やポジショニング、価値や倫理のお話をします。


今日もそうでしたが、研修の終了後に、

「お話を聞かせていただいて、初心に返りました」

という感想をいただくことが結構あります。

嬉しいことなのですが、、、、


「初心に返る」ということが、

「入り口の基本的なことを思い出しました」

というところから、

「明日から意識して実践します」

なのか、

「思い出した」ということだけなのか、

そこが大きな違いなんです。


「初心に返る」ということは、

「日々の実践の中でおざなりにされてきたことを

 振り返って、
 
 意識して実践を正します」

ということであってほしいと思いました。

2016年4月27日水曜日

思い込みに、気をつけろ!


引き継ぎケース等では、

以前の担当者や事業所から事前に情報をもらいます。


ここでクライアントのいい情報ばっかりで、

難儀な情報を申し送りしてもらえないと(隠されてしまうと)、

実際に担当してから、「騙された」みたいな感じになります。

正直に、前任者が苦労された部分も申し送ってほしいものです。


逆に、苦労したことばかり申し送られると、

会う前から「頑固な人やぞ!」とか、

「きつい人なんや!」「わがままな人なんや」

という具合に、先入観を持ってしまい、

客観的なアセスメントができなくなってしまいます。


その辺のことは、百も承知で意識して向き合おうとしますが、

なかなか一旦インプットされた情報は変更が困難です。

そう思い込んでしまうと修正が利かなくなります。


事前情報から、推測をして仮説を立てたり、

共感するのに波長あわせをしたりすることは重要ですが、

思い込みになってしまっていないか、

常にチェックすることは大切ですよ。

2016年4月26日火曜日

命の大切さを育む視点とクライアント支援


先日の、東播磨カウンセリング研究会総会の記念講演のテーマ

「いのちの教育をどう進めるか」

新見公立大学の住本先生のお話の中から。


「命の大切さ」実感させる教育プログラムの視点について
 
 1.自尊感情を育む

 2.体験活動を充実させる

 3.情報社会の影の部分に対応する

 4.命をまもるためにの知恵と態度を育成する

 5.教員自身が命の意味を問いかける

 以上の5点を上げられ、


 特に、自尊感情をどう育むかという点についてのお話で、

 梶田先生の言葉を引用され、


 自己肯定感について

 1.自分が好きだ

 ということは大切だけれど、それだけではなく

 2.他者との関係性

 3.未来指向型

この3つともが重要だといわれてました。


 このお話は、

 ケアマネジメントを行う際に

 クライアントと向き合って、

 クライアントがポジティブに生活を考えることを支援する際にも

 求められる視点ではないでしょうか?


クライアント自身が、自分自身の存在を肯定的にとらえることへの支援。

そのことが周囲との関係性の中で感じられること。

そのことによって未来に展望が持てること。



支援的に人と向き合う視点は

教育・カウンセリング・社会福祉援助

根底のところで共通するように感じました。



2016年4月25日月曜日

「できること」を見つけ、伝える支援


私は車に乗っているとき

ABCラジオを聴いていることが多いのですが、

ウィークデイの15時から「武田和歌子のぴたっと」という番組があります。

3月の末からメインパーソナリティの和歌子さんが体調不良でお休みでした。

が、本日から復帰されました。


若いお母さんアナウンサーで、

元気いっぱいのお喋りは、こちらも元気がもらえるのです。

本当におめでとうございます。


腰椎?ヘルニアのひどい状態で

我慢できないくらいの激痛だけでなく、

足首から先が麻痺の状態までなっているそうです。

本日の放送の中で、

「この私が食事ができなかったり、

 夜、眠れなかったりするほど、不安を抱えて、

 もう2度と子どもたちと"鬼ごっこ”はできないのだろうか。

 台所に立ってお料理ができるのだろうか、

 本当に、職場復帰できるのだろうか、、、」

 自分ができなくなってしまっていることに落ち込まれていたそうです。

面会ができるようになって

子どもさんがお見舞いに来てくれたとき

「な~んや、お母さん喋れるやん!」

「車いす上手になったなぁ!」

「歩けるやん!!」

と、できていることを次々と投げかけられたとき

気持ちが前向きになられたことをお話しになっていました。


もちろん、子どもさんからのメッセージというのも大きいと思いますが、

モチベーションを支える上で、

ケアマネジャーを含む対人援助職者の基本はここにもあると思いながら聴いていました。

2016年4月24日日曜日

心のエネルギーが減ってきたら


今日は、

東播磨カウンセリング研究会の

平成28年度 総会・記念講演・お食事会でした。


記念講演の講師は、

新見公立大学の幼児教育学科長の住本克美先生。

不登校や学級経営、俗に言う「荒れた学校」の支援等々

教育現場への関わりから実践での経験談を含め

すてきなお話が散りばめられていました。


少し紹介。


心のエネルギーがたまるためには、

1.受け止めてくれる人が居る。

2.好きなことに没頭できる。

3.そもそも人生とは思い通りにはならないのだから、絶えず軌道修正する。

だそうです。


クライアントの支援をするときの

ヒントにできるのではないでしょうか?

2016年4月23日土曜日

質問をする意味


人と喋っていて、

質問をします。


食事に行こうとなったら、

「どんな食べ物が好き?」

「好き嫌いはある?」

「お酒は飲める?」


この手の質問は、

相手のことを知るためですよね。



対人援助面接においては、

相手を知るという理由だけでは無くて、

相手に考えてもらうための質問があります。


例えば、利用者さんに

「自宅に戻られると、どんなことにお困りになると思われますか?」

「娘さんにお願いすれば、買い物をしていただけると思われますか?」


これらの質問は、利用者さんに自分で考えていただくための質問です。

こういった質問をすることで、

実は、利用者さんが主体であることにもつながっていきます。


同じように、ケースの相談を受けた主任ケアマネジャーさんも、

相談に来られたケアマネジャーさんに質問をするとき、

こちらが答えを用意して伝えるのでは無く、

相手に考えてもらうような質問をすることが大切な場面が結構あります。


過去の支援を振り返り、

「なぜ、そのような行動をとったのか?」

「そのときには、どのような思いがあったのか?」

「どのようにすれば、どんな展開が期待できたのか?」

など、相手に考えてもらう質問をし、

そして、一緒に考える姿勢が必要だと感じています。

2016年4月22日金曜日

譲ってはならないこと


NHKの朝の連ドラが「とと姉ちゃん」というのになって3週目に入っています。

父である竹蔵が亡くなって、舞台も既に浜松から東京の深川に移っています。

母の君子の実家は、深川の木場の老舗材木商で、

君子の母、主人公の祖母に当たる滝子(大地真央さん)が店を取り仕切る女将です。


今朝のドラマの中でのエピソード、

客からの注文は“木曽の檜”だが、手違いで“青森のヒバ”が来てしまう。

職人は素人の客には分からないから誤魔化そうとする。

そうしないと大損するからである。

その事に気付いた滝子は烈火の如くに叱って、

直ぐに木曽の檜にやりかえるように指示する。


老舗の暖簾を守るということは、こういう事。

客を裏切る事は絶対にあり得ない。

譲ってはならないことなのだ。


対人援助職はどうなのだろう?


クライアントを裏切る事はあってはならないこと。


これが価値であり、倫理なんだろうと思います。

その思いをつないでいかなければ、

老舗の暖簾というような伝統は育まれないのではないでしょう。


そのあたりを肝に銘じないと、

近いうちにケアマネジャーという仕事は消えて無くなるのでしょう。

2016年4月21日木曜日

生の空気感

今日は午後から京都市立美術館に「モネ展」を観に行ってきました。

気に入った幾つかの作品

「霧のヴィトゥイユ」妻を亡くした年の作品で、霧の中にぼんやりとしたヴィトゥイユの街が描かれているのですが、そのぼんやりとした感じが妻を失った空虚感と感情を超えた心象を伝えている様に思えました。

「日本の橋」モネの家の睡蓮の池に架けられた日本風の太鼓橋。その橋の上に藤棚が作られて、ぼんやりと二重の橋が架かっている様なモチーフはハッキリと捉えられない晩年の作品。既に見えている客観的な事象はモネの中でオーラとなって、再びキャンバスに像となって甦えったかの様な感じがしました。まるでユングの無意識の層のようでした。

全てを観賞して、お土産ショップに寄って、、、絵はがきやレプリカを手にするのですが、なんか違うんですよ。こっちに伝わってこないというのか、、、
結局、何も買えませんでした。

生の空気感は違うんですね。

トレーニングとして事例検討をするにしても、模擬事例は形を学ぶだけで、本来ならあるはずの事例の危うさというか、生き生きとした援助者のオーラが感じられないのと同じかもしれません。

電車から雨に煙る須磨の海を眺めながらそんなことを考えてました。

2016年4月20日水曜日

何のために、何を、どこまで学ぶか


最初に、今日のは愚痴かも、、、


今年度から、

ケアマネジャーの研修が一新されます。

現在行われている実務研修は、

昨年度合格者ということで既存のプログラムです。


更新のためにも必要な

専門研修Ⅰ、専門研修Ⅱ、主任ケアマネジャー研修に主任の更新研修

主任は少しですが、

それ以外はカリキュラムがかなり変わります。


内容的には、ガイドラインを見るとそれらしいことが書いてあるのですが、

求められることをきっちり押さえようとすると

時間尺があまりにも短い。


今日は、兵庫県の専門研修の新カリキュラム教材の作成ワーキングでした。

なかなか、難しく、進まないのは、、、

「限られた時間で、どこの部分に重きを置くか」で委員間で思いの調整が必要だからです。

委員会参加の講師陣も、受講生の方々に少しでも学んでいただけるように顔晴りますので、

ぜひ、研修受講されるときには

「何のために、何を、どこまで学ぶのか」ということを

しっかりと、意識してご参加ください。

2016年4月19日火曜日

環境が進化しても、人が進化しないとアカン時もある


最近の自動車の進化はすさまじいですね。

テレビのコマーシャル等で、

大物ロックスターやドラマではマッサンの妻をしていた方が、

ハンドルを握らずに運転をしながら

「やっちゃえ、〇〇!」とつぶやいてはります。

違うコマーシャルでは、

運転手が「ボーッ」としてて壁や他の車に追突しそうになると

自動的にブレーキが掛かり止まってくれます。


ふと、高齢者の運転免許返納のことを思う。

確かに、高齢になると判断力や運動神経も落ちてくるので、

運転するときのリスクは高くなる。

だから「歳をとったら運転はあきらめて免許証を返しましょう」となるのです。

が、田舎で買い物に出かけるには車が必須、

高齢者のみ夫婦(実際、私の両親も父が他界する手前の時はそうでしたが)の場合、

運転しないと買い物に行けない、通院もできない、

実際に生活が行き詰まってしまう。


テレビコマーシャルで宣伝していることが実用化されてくると、

このあたりの事情も、少なからず解消されるかもしれない。


てなことを考えながら、

昨日、新しい相棒となったパソコンでレジュメ作り。

ソフトは、機能が進化しており以前よりも色々できるようになっているはずだが、

使っている私が進化していないので、

以前使っていたときよりも、作業は劣化しているようです。


環境が進化して、人の衰えをカバーすることもあれば、

環境の進化に、人の進化がついて行かなければアカンこともあるのよね!

と、感じ、ため息をついている稲松なのです。



2016年4月18日月曜日

新しいパソコン、、、戯言です。


この半年ほど、

パソコンのバッテリーが弱ってしまって、

おまけにアダプターと本体をつなぐジャックが接触不良で、

たびたび予期せずにシャットダウンすることがあった。

その度に「ありがとう、愛してる」と唱えながら

使用していたのだが、、、

今朝方、ついにバッテリーマークに赤いバツ印が点灯。

連れ合いに背中を押されて家電量販店へ。

不意に新しいパソコンを買うことになりました。


ウィンドウズ7だったのが、

当たり前ですが10になりまして、

当たり前ですがセットアップしなければなりません。

ところが、帰宅後すぐに古いパソコンを立ち上げて、

職能団体の相談窓口の回答書を作成、

メールで発送。

その間1時間ちょっと!

その後、ようやく新しいパソコンの梱包を解き始める私。


連れ合いが、横にやってきて

「やっと開けた。いつになったらするんかと思うた」

連れ合いは、文具やOA機器に詳しいし、

新しい道具が来たらワクワクする人です。

が、私は基本アナログな人なので、

セットアップすることにわくわく感を感じないのです。


セットアップが完了するまで、

横で連れ合いがアドバイスしてくれながらの作業。

結局、2時間ちょっとかかって、

当面困らない状態までこぎ着けました。感謝です。


19時から電話で面接が一本入って、

やっとこさ、この時間に新しいパソコンでブログを書いてます。

なれない画面に苦慮しながらも、

「馴れんとしょうない!」とつぶやき、ぼやきながら、、、でも、ちょっと嬉しい。

2016年4月17日日曜日

苦手意識


色んな方(ケアマネジャーさん)と事例振り返りをしていて、

「苦手な利用者さん」とか「苦手なご家族」というのが度々登場します。


「苦手」とはなんなんでしょうか?

「苦手な利用者さん」とはどのような利用者さんなんでしょうか?

「苦手なご家族」って?


自分の思うとおりに動いてくれない利用者さんやご家族?

そこまでは云わなくとも、、、

自分の思っていることを理解してくれない利用者さんやご家族?


話しを聞こうとしないクライアント?

意見がころころ変わるクライアント?

感情的に大きな声を出すクライアント?


なぜ、苦手と感じるんでしょうか?

おそらく、自分の理解を超えているからではないでしょうか?

どうすれば、いいのでしょう。


例えばプロ野球の選手、

苦手なピッチャーがいるとすれば、

なぜ苦手なんだろう?

落差の大きなカーブを投げてくるから。

緩急の差が大きくひっかかってしまうから。


だから打てない。

しかたない、、、、あきらめるのでしょうか?

そんなプロ野球選手はいないでしょう。


どうすれば落差の大きな変化球を打てるようになるのか?

緩急の差をどのように読み取って、対応するのか?

考えて、トレーニングして、試しますよね。


ケアマネジャーさんも、

クライアントの言動のなぜを考え、

自分自身が何故、その言動が苦手なのかを考えて、

次の面接でどのようにするか試さなければ関係性は進みませんよね。


苦手意識とは「意識」ですかから、

その意識を変えようとしなければ克服できません。

そのチャレンジをせずに繰り返していると、

アセスメントをせずに、事前情報だけで苦手意識をしっかりと作りあげてインテークに向かいます。

避けたいですよね!


まず、苦手意識をちょっと脇へ置いておいて、

真っ新な状態で向き合う意識を持ちましょう。

そして、クライアントを多面的に理解する意識を持ちましょう。

そこから、どのように宣していくかを考えましょう。


2016年4月16日土曜日

震災報道


被災者の方々の大変さ。

そうですよね。

ライフラインが絶たれてしまい、

屋根のあるところでは過ごせない。

雨は降ってくる。


でも、


報道の内容は変わらないですね。


繰り返される余震の報道。

危険回避の呼びかけ、

亡くなった方の報告、

専門家と云われる人の地震のメカニズムの解説。

崩れたお城、壊れて倒れた家屋、土砂が崩れて削り取られた山肌等々の映像


被災された方のためというより、

我々に情報を提供しているような気がします。


難しいけど、

ヘリコプターが空を飛びまわると

すごい音が出るでしょう。

すると瓦礫の中から微かに聞こえてくる声はかき消されてしまうんです。

阪神淡路のときも、新潟のときも、東日本のときも云われてきたこと、、、


救命の邪魔になってはいかんよね。

難しいことやけど、、、

2016年4月15日金曜日

「祈り」という支援


昨晩は本当にびっくりしました。


夕食を摂りながらテレビを見ていたところに、

熊本での地震のニュースが飛び込んできました。

九州全土にわたって結構な震度が表示されていて、

とりあえず鹿児島の母親に電話をして無事を確認しました。


そうなると、九州方面の友人や知人のことが気にかかります。

SNS等で連絡を取り無事を確認しては安堵しました。


ただ、以前私の勤めていた施設が震災復興住宅の中にあり、

クライアントのほとんどが阪神淡路大震災の被災者で、

ちょっとした地震でも多少なりフラッシュバックが起こり

様々な地方で地震がありニュース映像になると

トラウマを刺激されていたことを思い出します。


今後、今回の被災地にも次々と救援の手が入り、

順次ボランティア等も駆けつけられることと思います。

活動できる方は、ぜひそうしてあげてください。


ただ、無理は禁物です。

行きたくても行けない方もたくさんおられると思います。

そういう方は祈りましょう。


無念にも亡くなられた方の魂のために、

残された遺族のために、

被災され、不安なときを過ごされている方のために、

また、ニュース映像等を見て

阪神淡路で、新潟で、当方苦闘東日本で、

つらい記憶が呼び戻されて不安になっている方のために、


安寧が訪れますように祈りましょう。


祈るという行為、「祈り」という支援があると私は信じて言います。

2016年4月14日木曜日

相手に合わせる視点でストレスは少し減る?


今日は、

とてもいいお天気で気温も上昇したみたいで

神戸の最高気温は24℃まで行ったみたいです。

今日は、外的な予定はなかったのでお家仕事でした。

リビングでパソコン開けて仕事してたら、

ポカポカと暖かいのを通り越して暑いくらい。

おまけに日差しが強くて、画面が見づらい。


だんだん腹が立ってくる「暑い!!」


この間まで、間の戻りで寒かった日には、

ホットカーペットつけて「早う暖かくならへんかなぁ・・・」って呟いて

タイマーで知らんうちにカーペットきれてたら

「寒いやんか!!」とカーペットに当たる。


なんと小さい人間なんやろうと

落ち込む。(笑)


ストレス反応とは、刺激に対するもので反応(順応)によって起こります。

気温が低いのも暑いのも「環境」の変化で、

これも刺激「ストレッサー」になります。

暖かくするとか、服を薄着にするとかして

気温に合わせて対応すればよいのですが、

急に変化が起こると対応を怠るので相手に対して文句言うんですわ。

相手が季節・気温・カーペット、、、

喧嘩になりませんので、愚痴や文句ですみますけど。。。


動物やったら、、、逆に襲われる、、、

人間やったら、、、喧嘩になる、、、


生き物と付き合うにも、

自分目線だけでなく相手目線が必要です。


自分にとって季節の変化による気温は「環境」です。

自分にとって他人は「環境」とも言えます。

他人という「環境」は変えようとしても変わらんので、

他人にとっての「環境」である自分を変える視点を持つと

ストレスが軽減されんかなぁ。と

考えてみたりしたんですわ。

2016年4月13日水曜日

バカばっか云わにゃぁ 長生きできん!

baka

NHK月曜日夜の「鶴瓶の家族に乾杯」という番組が好きで、

録画してでも見ています。


今週の11日の放送を見ていて、

瀬戸内海、広島の島に俳優の柄本明さんといった買いを見ていて、

終盤に、郵便局で出会ったおじいちゃん(けんごさん)が言った一言。


「バカばっか云わにゃぁ 長生きできん!」


名言やなぁ、って思いました。


河合隼雄先生は著書の中で、

「真面目も休み休み言え」

というようなことをおっしゃってました。


真面目なことばっかり言うとったら長生きできないのですよ。

なんでか、笑顔が減るからです。

笑顔は健康にいいことは証明されているわけですから、

笑顔になるためにもバカは云った方がいいのです。


バカばっかりでいいのか?

我々若輩者は、玉には真面目にもならんといけませんが、

けんごさんくらいの年齢になられた方は、

いわば達人ですから許されるのではないでしょうか?

2016年4月12日火曜日

誕生日


本日は、

私の誕生日。

SNS(FB)で、たくさんの方々からお祝いメッセージをいただきました。

ありがたいことです。


おめでたいのか、どうかはわかりませんが、

「感謝する日」という感じはします。


生み、育ててくれた両親に、

育ちに関わってくれた兄に、そして親戚に、

幼きときから現在に至るまで付き合ってくれている友に、

仕事でのかかわりの中、教え、導いてくれた先生に、先輩方、

私を鍛えてくれる後輩の皆さんに

気づけば今までの人生の半分以上を支えてくれている連れ合いに、

そして自分たちのやりたいことに取り組んでいる息子と娘に、

それらのものをすべて包み込む宇宙に、神に、御仏に、


生まれて、そしてこれまで生きてくることができたことに

感謝の念を持つ日なんだろうと。


でも、感謝は日々することであり、

一年に一日だけするものではないはず。

「日々、感謝なのだ」ということを思い出させてくれる日。

といった方が正解かもしれません。


自分が一日一日生きていることを当たり前と思わず、

有り難きことと思い、感謝することを意識する日なんでしょうね。

と、不思議の国のアリスのお茶会を思い出しました。

「何でもない日に、乾杯」

2016年4月11日月曜日

「マンネリ」も大切!?


「マンネリ」と聞くと

あいも変わらずに同じことばっかし繰り返してて、

飽きてくるし、面白味もなくなってくる。

そもそも、イイお仕事をするためには、

いかにマンネリから脱却するかであって、

「マンネリ」も大切って、どういうこと?

って、声が聞こえてきます。


確かに、

いつもやってきたことを何も考えずに

ただただ漫然と繰り返していくのはよくないかもしれません。

進化がないからです。

じゃぁ、何故このようなタイトルで書いたかというと、、、



マンネリの語源はどうなっているかというと

マンネリズム(mannerism)であって、

礼儀・作法や芸術の型・形式と云われるマナー(manner)と同じなんです。

マンネリズムとは、その形式や型を破らない、

「かたくなに守る」という意味合いを含んでいるそうです。


何をするにしても基本や型は大切です。

よく言われるように、型破りな芸はしっかりとした型が身についてりゃあこそです。

その基本ができていないのに破ろうとすれば形無しということになります。


対人援助面接でも「傾聴」であるとか「受容」「共感的理解」であるとか、

また、「否定しない」などは基本中の基本と云えます。

同じことを繰り返すというのではなく、

基本的なスタイルを意識して・考えながら徹底するという姿勢は必要ではないでしょうか?


そういったことを意識もせずに、

「面接するの鬱陶しいなぁ、難儀やなぁ、、、」って感じながら仕事してたら、

それこそ世間で使われているマンネリ化した仕事になってしまうんでしょうね!!

2016年4月10日日曜日

”実践は理論を超える”~浅野仁先生を偲んで~


すごい言葉だと思い、

かっこいいなぁ。って感じ、

在りし日の先生を思い出します。


今日は、昨秋天に召された故浅野仁先生を偲ぶ会が

関西学院大学であり、参列しました。


私と先生の接点は、

神戸市ケアマネジャー連絡会の設立の折

記念講演をしていただき。

そのご縁で、先生が担当されていた高齢福祉の授業で

ゲストスピーカーとして3回か4回ほどお話しする機会をいただきました。


その当時は、まだ高齢者施設の副施設長で

連絡会の代表であり、現役のケアマネジャーでした。

先生は私に、

「現場での実践のお話し、『実際はこういう風な感じで

こんな問題を抱えている』みたいな話を学生にして欲しい。

学者の話より通じると思う。」

というようなことをおっしゃいました。


今日の様々な教え子の皆さんの送る言葉の中にも

「実践を大切にする人」ということばが聞かれました。

常に、より良い実践の先にはクライアントがあることを肝に銘じ、

支援者育成・支援においても、その先にクライアントと向き合う実践があることを

忘れないで歩みを進めたいと思いました。

最期になりましたが、先生のご冥福を心よりお祈りいたします。
浅野先生の記念樹 ヤマモモ

2016年4月9日土曜日

ピッカピカの1年生は自立のチャンス


新入学のシーズン

FB等でも、

子どもさんやお孫さんの入学式の記事が次々アップされます。

どの写真も笑顔の写真です。


新しい環境に歩みを進めていくのですから

期待一杯です。

ということは、不安も抱えているわけです。

ワクワクを後押ししながら、

ドキドキをしっかり受け止めてあげたいものです。


新しい体験をする人に対して、

期待や不安に共感しながら、

しっかりと期待を伝え、

どのように進んで行くか考えるチャンスをあげましょう。

新しい門出は、

自立に向かうチャンスです。


自己決定を積み重ねていくチャンスです。

それを繰り返すと

ピッカピカの1年生は

ピッカピカの6年生に向かっていくし、

その先も輝けるように感じています。

2016年4月8日金曜日

「聴く」のつづき


聴覚だけでなく、それ以外の感覚も総動員される、、、

非言語の部分で相手にどのくらい聴く態度が伝わるかということです。


非言語を意識しづらいレベルですので

援助職者としては、より意識してコントロールする必要があります。


言語の部分は頭で考える部分なので

いわば知識の部分で対応可能な場合もありますが

非言語の部分は、感性の部分が相当影響してくるので

そこの部分を研ぎ澄まさんとダメなのではないかと感じています。


私たちは「聴く」という行為を「理解」するという点につなげすぎているのではないかと感じるのです。

もっと、もっと、「感じる」という部分にもシフトした方が良いと思います。


その意識がないと「共感」とか「意図的な感情表出」とかは困難だと思います。

意識して聴かなければならないし、意識しすぎると感性の部分が弱まってくる。

「聴く」という行為は至難の業だと感じているのです。


よう解らんくなってきました。(笑)

2016年4月7日木曜日

「聴く」


コミュニケーションの研修等をすると

当然、言語コミュニケーション、

準言語コミュニケーション、

非言語コミュニケーションについてお話しすることになります。


メラビアンではないけれど

この3つはそれぞれに重要ですが、

非言語が結構威力を持っているのです。


「聴く」という行為は

聴覚を使って音声言語を捉えるように思うのですが、

実は、視覚を使って相手の非言語を視、観、察する必要があります。


相談面接のとき、カンファレンスに参加するとき

「聴く」という場面で

耳だけではなく、眼も使うことを意識した方が良いと思います。


そして

自分自身が相手の表情に合わせた表情を

返せているかということも意識する必要があります。

続きはまた明日。

2016年4月6日水曜日

NHK朝の連ドラの夫・父親像に思うこと


「あさが来た」が終わって、

「とと姉ちゃん」が始まりました。

連ドラファンにとっては寂しい気持ちとワクワクする期待感が混在する季節です。


新旧の連ドラの中で主人公の夫であったり父親であったりするポジションの男性が、

なかなかのもんやなぁと感じているのです。


「あさが来た」のあさの夫、千代の父親である新次郎さん(玉木さん)の考え方。

「とと姉ちゃん」の竹蔵(西嶋さん)の夫・父としての振る舞い。

共通するところは、自分が一番ではなく利他であることではないでしょうか。


新次郎さんは、あさや千代の幸せを想い、自分の価値観を押し付けず、

完璧なまでの配慮をしながらも、お仕着せをしない。

新次郎さんの「そうだすなぁ~」の台詞に需要の極意を見る。

それから相手の言葉を繰り返すことで共感を感じさせる。


竹蔵は、娘たちの失敗を責めずに、

その後をどのようにフォローしようとしたかの努力を褒める。


この二人に共通するキャラクターが視聴者の共感を呼んでいるのではないでしょうか?

いや待てよ、これって対人援助者に求められている

基本的なところとかぶさるなぁ。

そんなこと感じながら、楽しんでます。


2016年4月5日火曜日

花より団子…何かしなければならない症候群


本日から大学が始まりました。

前期15回:火曜日1限は「ケアマネジメント論」

もうすぐなくなる福祉コース故、

年々、履修する学生が少ない。

でも、昨年より2人多い。素直に嬉しい。


大学の話は関係なく、午後から明石の体育館の所に桜を見に行ってきました。

平日ですが、

家族連れや高齢者施設のお花見で結構な人出でした。

レジャーシートを広げて、お弁当の時間は終わってましたが、

おやつを広げて楽しそうです。

桜の花を見るよりも、

1~2歳児、3歳児くらいまでの子どもがちょこまかと走り回っているのを見る方が幸せなる稲松に対して、

一緒に行っていた連れ合いから「花より子ども」と云われてしまいました。



「花より団子」

そもそも本来の目的ではないことに目的がが移ってしまっていることをのたとえた諺です。

また、本らの花をめでるよりも、そこで食べるだんごが主になっている。

他の言い回しでは、「酒なくて何の己が桜かな」って云うのもあります。


車いすで輪になっている、どこかのデイサービスのお花見。

飲み物を飲みながら、「よう咲いとるねぇ」「ホンマに綺麗やねぇ」と語り合う利用者さん方。

スタッフの一人が「さぁ、歌でも歌いましょか!」といいながら歌詞カードを配り、

いきなり「さんはいっ!」・・・

はーるがきーた、はーるがきーた、どーこーにーきたー、、、、

歌い終わると、カードを回収して、次の歌の歌詞カードを配る。

別に、悪いこともなんともないのですが、

その所作が、事務的な感じがしたのです。

歌っている利用者さんも、それほど楽しいそうでもない感じで、、、

準備した歌詞カードが尽きて、

好きな人が「黒田節」を歌いだしたとき、

自然に手拍子が起こり、聴いている利用者も先程より楽しそうに見えました。


「花より団子」「酒、なくて・・・・」ですが、

団子や酒は楽しいのですよ!

「楽しむことより、プログラム」

プログラムが楽しければいいですが、、、

無理やり、何かをするよりも

ただただ満開の桜を眺める方が楽しいこともある。

何かしなければならない症候群から離れた方がいいなぁと感じたのでした。

「私も、施設に勤めていた時はあんな感じやったやろうか?」



2016年4月4日月曜日

人は変わることができる


「あの人は、ああいう人やから変えることはできない」

これは、ある意味正しいけど、

ある意味正しくないと思います。


正しいと思うのは、「他者を変えることはできない」という視点です。

よくいわれる

「他人と過去は変えられない」

ということです。


正しくないかもしれないと思うのは、

「その人は変わることはできない」という思い込みです。

頑固だと言われる爺さんを見て、

「絶対変わらへんよ!」という思い込み。

そういう風に感じているとしたら正しくないと思います。


逆に、人は変われずにいられるのでしょうか?

色々な環境の変化によって人は変化していかないでしょうか?

新年度に入って、異動等があって周囲の状況(字って気にも物的にも)が変わると

その変化に応じて多少なりとも変わらないでしょうか。

そうです。人間は周囲の変化に順応する力を持っています。


家族、友だち同士、職場内の上司部下、同僚等々、、、

そしてクライアント。

変えることはできないですが、変わる可能性は秘めています。

対人関係において、

相手を変えることはできなくても、

相手にとっての環境である自分は変えることができます。

自分を変えることに成功すれば、

相手はその変化に順応しようとして変化する可能性があります。

「自分と未来は変えられる」というやつです。

そう、人は変わることができます。


対人援助においての大前提は、

「人は変わることができる」ということを信じことだと感じています。

2016年4月3日日曜日

「伝える」よりも、まず「聴く」


ケアマネジャーさんとの学びの機会に

事例を一緒に振り返る作業を行っていて、

「なかなか思いが伝わらない」

という台詞を耳にします。


ケアマネジャーとしてクライアントさんに

「こういう風にすれば転倒が減りますよ」

「デイサービスに行けば安心して入浴できますよ」

って、正直に、素直に、クライアントさんのことを想って

提案(アドヴァイス)するのですが、

「いやぁ、もうちょっと考えてみますわ、、、」

「今は何とかなってるさかいに、、、」

という具合に二の足を踏むんです。。。


この時に、ふと思うことは、

「自分は『相手の伝えたいこと』に耳を傾けようとしているのか」

ということ。

「なかなか話してくれないんです」とあきらめてないだろうか?

「なぜはなしてくれないんだろう?」{どうしたら話してくれるんだろう?」

という視点を持たずに、あきらめていないだろうか?

クライアントと関係性を作ろうとしているのだろうか?


実は、関係性は双方向なので、

「伝わらない」ということも双方向なんです。

「自分の思いが伝わらない」の反対側に

「相手からの思いが伝わらない」が存在します。

そう、相手からしてみれば、

「自分の思いが伝わっていない」が起こっています。


まずは「聴く」という体制を整えて、

相手の伝えたいこと、

具体的に何が起こったかだけではなく、

どのような気持ち(どのように感じているか)も

聴こうとする姿勢があるかを検証することが必要だと思います。

「伝える」よりもまず「聴く」ことを意識してみてはいかがでしょうか?

2016年4月2日土曜日

受容と共感の心


NHKの朝の連続ドラマ「朝が来た」が本日おわりました。

少し、“朝が来たロス”です。


最終回の中で、主人公の 白岡あさ が

人差し指で自分のおつむ(頭)を指さし、

次に胸に手を当て、

「大事なんは、こことここだす」

「人の気持ちを慮る頭脳と、柔らかい心」


と云ってました。


私は、涙を流しながらその台詞を聴いていて

「『人を理解する』という試みは

こういうことなんや」と思いました。

相手の気持ちをおもんばかって、

受け入れる柔らかい心を持つ。

これこそ「受容」と「共感」に通じる。


私たち対人援助職者は、

常にこのことを胸に泊めて

クライアントに向き合うのだと思った瞬間でした。

2016年4月1日金曜日

ご無沙汰しております。m(_ _)m 


ほぼ1年間、ブログをお休みしておりました。

特に、これといった理由はないのですが、

一昨年の秋に愛犬ピースを亡くし、

昨年の1月に父が逝って、

何となく、疎遠になっていった感じです。

それから、

フェイスブックに毎日の動向と麺類をアップするようになったことも関係あるのかなぁ?

また、ボチボチ書けるときにアップします。

リスタート?かな。。


3月29日から今朝方まで鹿児島に行っておりました。

特段用事があるわけでなく、

父がなくなって一人住まいとなった母の顔を見に。


「腰が痛い」と云いながら

天気が良いときは、午前午後と庭の草引きをし、

「テレビの晩をしている」というが、

月に一度は、自治会費を集金に回る。

「最近、ボケてきた」と云いながら、

父がいなくなってから1年と少し、

コープさんで宅配をし、

日記をつけ、

困ったときには連絡をくれる。


母親なりに自立しているように思う。


ただ、クライアントではないので

ついつい口を出さないように、

努力したいと意識している自分がいます。


腰が曲がって小さくなった母を見て、

「感謝」と思う弾丸帰省でした。