2016年4月21日木曜日

生の空気感

今日は午後から京都市立美術館に「モネ展」を観に行ってきました。

気に入った幾つかの作品

「霧のヴィトゥイユ」妻を亡くした年の作品で、霧の中にぼんやりとしたヴィトゥイユの街が描かれているのですが、そのぼんやりとした感じが妻を失った空虚感と感情を超えた心象を伝えている様に思えました。

「日本の橋」モネの家の睡蓮の池に架けられた日本風の太鼓橋。その橋の上に藤棚が作られて、ぼんやりと二重の橋が架かっている様なモチーフはハッキリと捉えられない晩年の作品。既に見えている客観的な事象はモネの中でオーラとなって、再びキャンバスに像となって甦えったかの様な感じがしました。まるでユングの無意識の層のようでした。

全てを観賞して、お土産ショップに寄って、、、絵はがきやレプリカを手にするのですが、なんか違うんですよ。こっちに伝わってこないというのか、、、
結局、何も買えませんでした。

生の空気感は違うんですね。

トレーニングとして事例検討をするにしても、模擬事例は形を学ぶだけで、本来ならあるはずの事例の危うさというか、生き生きとした援助者のオーラが感じられないのと同じかもしれません。

電車から雨に煙る須磨の海を眺めながらそんなことを考えてました。

0 件のコメント: