2016年5月11日水曜日

ペットの介護


今朝のNHK「あさイチ」で

「どうする?ペットの高齢化」「驚きの老犬ケア排せつ介護」

という特集をしていた。

もちろん看取りも取り上げられていました。


人間が高齢化して要介護状態になった場合も

その家族の心身の負担は大変なものです。

このことは、

「家族の構成員それぞれで

家族という社会が担う役割を

分担して対応する」というシステムを考えて見ると、

「構成員の一人が要介護状態になることで、

その人が担ってきた役割を他のメンバーが担い、

プラス介護という新しい役割が求められる」

という構図が見えてくるからです。


どうやらペットの場合も似たようなことが起こるようです。

そもそも、、、例えば「犬は家族か?」という場合、

最近の家族の概念からすれば、多くの場合「家族」になると思います。

「家族同一性(ファミリーアイデンティティ)」について上野は、

「自分を取り巻く人間関係のどこまでを自分の家族と考えるのか、

家族であるか否かの判断は、個々人に備わっている」(上野,1991.1994)

としている。人間関係と書かれているが、

従前からの定義の一つ、

「(前略)成因相互の深い感情的包絡で結ばれた、

第一時的な福祉追求の手段である」(森岡・望月,1983)

と併せて解釈すれば、そう考える方が当然と思えます。


番組の中では、

愛犬の介護のために仕事(教員)を辞めた例もレポートされていました。

こうなってくると、どこかの総理大臣が言っている

「介護離職0」の範疇はさらに広がってきそうです。


ペットがいよいよ弱ってきたときに

点滴をして、少しでも命を永らえるのか、

それとも寿命として受け入れるのか、

このあたりのことも、不謹慎と言われるかもしれませんが、

人の看取りの際に迫られる決断とほぼ変わりないようです。


私のところの愛犬ピースは一昨年の秋に召されました。

最後の約1ヶ月は立つこともままならず、

嫌な、嫌なおむつを当てられて在宅療養でした。

私も連合いも泊まりの仕事があったために

主治医である獣医さんのところに預けて

仕事から戻り、すぐに向かいに行くとかなり弱っていて

見るからに最後が近づいているのが分りました。

家に連れて帰って30分くらいしたとき

呼吸が下顎呼吸となり、

私の腕の中で、すーっと息を引き取りました。

いろいろな思いが今でもよみがえりますが、

これはこれで、良かったのではないかと感じています。


生命が誕生し、老いて、病を煩い、死んでいく。

この必然は、命あるものすべての定めです。

その営みを自然のものとして受け止めていく作業は、

人もペットも何ら変わりないということだと感じました。

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