2016年6月30日木曜日

会話の中で「受容」することがクッション材になる。


本日は、丹波路は篠山市で「傾聴ボランティア養成講座」

1回目です。

全部で4回、今日は「傾聴について」次回は「高齢者について、高齢者施設について」

3回目は特別養護老人ホームにて実践。最後は実践の振り返り。


昨今の色々なボランティア養成講座の中でも

「傾聴」は人気のようです。

ただ、本日の講座には、実践されている方もおられ

養成+ブラッシュアップのようです。


ですから最後の質問で、おそらくご自身の実践の中から、

「話し相手が、世間的な価値観からは外れたような内容を話されたときに、

『なぜ、そのように思われるのか?』訪ねることはダメですか?」

という質問をされました。

そのわけは、私が講義の中で

「受容・共感」についてその受容性を語り、

プラスして「非審判的な態度」について加えたからだと思います。


もちろん「なぜ、そう思うのか」を訪ねることは構いません。

が、その際の非言語表現に留意すること。

どんな表情で、どのような距離感で、どのような口調で、など

意識することは重要です。

そして、「なぜ」と訊くまえに、

一旦は「受容」することはあった方がいいと感じています。

「あなたは〇〇〇という風にお感じなんですね」

それから、

「どうしてそのようにお感じになられるのですか?」

という感じで訊かれる方がソフトに思います。

「受容」がクッション材のようになると感じています。


2016年6月29日水曜日

いいところを見せようと思わない。


今日は晩方から、芦屋の居宅事業所さんでの月1回の事例検討会。

何と遠方(東京・徳島・熊本)から3名のゲスト見学の方が、、、

嬉しい限りです。


だからなのか、張り切りすぎたのか、

質問のテンポが速い。

おそらく

「ゲストの方が折角来られているので、

少しでもイイ事例検討会を見ていただこうと思い」

そのことが影響していたのかもしれません。


そうだとしたら、気をつけた方がよいかもしれません。

「人が見ているから、イイものにしよう」

その思いは、気負いが混じり、純粋ではなくなるからです。

ロジャーズのカウンセリングの3原則でいうところの

「純粋性」にも通じるところかもしれません。


上手なところを見せよう、いい物を見せようと思わずに、

丁寧に行おうということだと思います。

2016年6月28日火曜日

「モニタリング」という「アセスメント」


火曜日は大学の日。

前期15回の「ケアマネジメント論」

本日は12日目、お題は「モニタリング」です。


シラバスの前半は、定義や歴史的なこと、目的や意義、機能、介護保険とのこと、支援の対象等々

に加えて、ざっとプロセスの話もします。

そして後半に、プロセスそれぞれの詳細を説明し、

最終的に事例を見ながら学ぶといった構成です。


「モニタリング」:「監視」と訳せますが、

日本語ではイメージがきついので「確認・評価」といった言葉を使っています。

要するに、計画通りのサービス提供やサポートがされているかの確認作業(監視)

支援の効果の有無に関する確認・評価。

クライアントの生活に変化が生じていないかの確認。

といったことを行う過程です。

そして、その結果、再アセスメントに戻り、プロセスは円環で継続する。

という風に説明されます。


さて「アセスメント」は「インテーク」から始まっていると言われます。

確かにその通りです。

「インテーク面接」を特出しするのは、

契約のための、スクリーニングや援助関係形成(心理的サポートによる)部分が必要だからです。

もちろん援助関係づくりはすべてのプロセスで必要ですが、、、


では「モニタリング」はどうでしょうか?

私は「モニタリング」もまた「アセスメント」に含まれると感じていいます。


なぜなら「モニタリング」とは、開始された支援が一定期間経過したポイントでの

クライアント本人、人的・物的環境等の再評価であるからです。

詳しくいえば「支援を受けたことで、本人の身体的・心理的・社会的要因がどのように変化したのか?

計画通りに好転したのか?または、リスク面が表面化したのか?

環境面はどうなのか? 家族は?」といった情報の評価は、

すなわち支援を掲示区する上でのアセスメントに他ならないと考えるのです。


「モニタリング」で、単に「できたか」「できなかったか」を見るのではなく、

支援の結果、もしくは支援を行ってきた時間の中で、

どのような状況が起こっているのか?

という視点が求められると感じています。


2016年6月27日月曜日

「朝イチ」での延命治療をみて感じたこと


今日は決まった予定がなく、

午前中は自治会の用事で担当班内をウロウロしたものの、

のんびりと過ごせました。で、「とと姉ちゃん」からの続きで

NHK「朝イチ」を見ました。

テーマは「延命治療」

政見放送のため9時までの短縮バージョンでしたが、

内容としては非常に濃いものでした。

内容から感じたことを2つ。


まず、胃瘻造設=延命治療ではないことを押さえる。

ご高齢で、寝たきり、これ以上治療を施しても解放の見立てが難しい、

このようなケースで本人の意に反して胃瘻を増設した場合は延命かもしれません。

しかし、病状から一時的に経口摂取が難しく、

その間、栄養を確保するために胃瘻を増設することは、

治療の一環であり、延命治療とは根本的に違います。


もう一つは、

人生の物語の最終場面は、

やはり主役である本人がシナリオを決定するのがいいということです。

「自分の最期をどのように迎えるか?」

このことを自分で決めるのは非常にしんどい作業です。

しかし、残される家族が決定するのも、

もしかしたら本人以上にしんどい作業かもしれません。

ビデオで出演されていた樋口恵子先生が、

あらゆるところに「痛みの緩和以外の医療行(延命治療)は行わない」

ということを文字にして伝えることをされていました。


社会福祉援助の大切な原則でもある「自己決定」は、

最後の最期まで、実践する努力が必要だと感じました。

テレビを見ながら、2月の研修の折に聴いた

東近江診療所の花戸先生の言葉

「悩みながら考える。それがお別れの時間」

「病気と元気の大きさは相対的」

が、私の中にスーッとよみがえってきました。



2016年6月26日日曜日

「どうするか?」の前に、「どうなっているのか?」を探ること


今日は午前中に一つ、午後から一つ面接でした。

利用者さんとご家族の考えが違うときにどのように支援するか?

難しい問題です。

俗に言う「こちらを立てれば、あちらが立たず」です。


一瞬、「どうすればいいんだ???」

「何ともできないぞ」

と感じます。


こういうときに人は「どうすればいいか」と考えます。

そして、自分が「どうすればいいか」を考えます。

でも、その前にもう一度考える必要があります。


「どうすればいいか」よりも先に、

「どうなっているのか」を丁寧に明らかにすることです。

事態がどのようになっているのか分らないのに、

いくら解決策を考えても出ては来ません。

奇跡的に、思いついた行動が解決に結びつくことはあっても、

奇跡、まぐれ、超ラッキー、、、、でしょう?!


そう、もう一度ちゃんとアセスメントすることです。

その際に、もう一つ気をつけるのは、

今までのかかわりで基本的なことができていたかです。

例えば、ケースを一般化していなかったか?

解決を思うあまりに時期尚早に策を押しつけようとしなかったか?

安易に相手の意見を承認しなかったか?

等々です。


そのあたりも含めて、

ケースがどのようになっているのかを丁寧にチェックすることです。

それが、まずやることになると思います。

2016年6月25日土曜日

相手と、思いや考えが異なることを恐れない


昨日の夕方と今日の午前中、

兵庫県北部、但馬地方の養父市大屋にある

障害者支援施設「琴弾の丘」さんで研修でした。

テーマは「対人援助の基本的な部分」で、

目標やポジショニング、価値・倫理、原則についてのお話しです。


稲松の研修を受けたご経験のある方は、

「受講生を次々に当てて、質問するスタイル」

と想像されるでしょう。

今回もその通り、当たりです。


今回も「正解はありませんので、稲松の質問に対して、

ご自身で考えて言語化された物はすべて回答ですよ、それでいいですよ」

と伝えるのですが、

皆さん真面目に「稲松の求めている答えをいわなければ」と思われているようです。

「相手の求めていることに答える」ことは、

対人援助職者にとって重要な資質かもしれません。

が、

「質問された内容について、自分がどのように思うのか」ということは、

もっと重要です。

そして、その内容を自身の言葉で言語化することもとても大切です。

もしそれが、稲松が求めていた物と異なっていても構わないのです。

そこからコミュニケーションをとって、

お互いの考えを理解し合えばいいのですから。


考えや、思いが異なることを恐れない。

これって、人間関係を築いて居行くときに結構大切なことですよ。

2016年6月23日木曜日

事例検討会はグループワーク、みんなの力で!


今日は主任介護支援専門員研修の演習指導でした。

事例検討会を実際に行ってもらいました。


初めて経験する方も居られる上に、

観察者が付くのですから

「緊張しないでね」っていっても無理なことですよね。


本日のグループに参加された方は、

「気づきの事例検討会」のルールを守り、

再アセスメントを意識して、

事例提供者も司会、検討者も丁寧に取り組んで居られました。


事例提供者が、自身の事例を説明し終わった後に

ペットボトルのお茶を口にされました。

緊張もするし、ずっとお話しされていたので当然です。

そこで司会の方が、提供者に向かって

「大丈夫ですか?」と優しく言葉をかけられました。

司会の方も初めての経験だそうです。が、

個々までの配慮ができるのは素晴らしい物です。


ただ、検討会が終了してからのコメントで、

「司会だから、皆さんに迷惑をかけないように、ちゃんとしなければ」

と、かなりのプレッシャーを感じておられたようでした。

このことも、当たり前のことですし、

端から、「適当にやっちゃえ」と思われたら困ります。


でも、司会一人で背負い込むことはありません。

事例検討会は、いわばグループワークですから、

グループの力を信じることも必要です。

提供者も、検討者も、司会者も、

みんなで力を合わせて進めていく意識は大切です。


そして、

地域で展開していく場合には、

そういった関係性を作り上げていくことも

意識していただければと感じました。

「気づきの事例検討会」では、実践力の向上を目指すのですが、

それだけではなく多くの期待できる要素を含んでいます。

その一つに、信頼でき、前向きな仲間作りもその要素の一つだと考えています。