2011年11月23日水曜日

鍛錬するということ。

10月の岡山吉備路に旅行に行ったとき、
長船町で「備前おさふね刀剣の里」の博物館に行きました。
その時に、砂鉄等から刀ができるまでの工程をDVDで見学しました。
砂鉄などを溶かして固めた“玉鋼”という鉄の塊を、
叩いて(というより槌で打ちつける感じ)、伸ばして、二つに折り、一塊にし、
それをまた叩いて、そう、打ち延ばして、二つに折り、一塊にする。
この工程を10~15回繰り返す。
それを一旦、棒状に打ち延ばして形成し、
その棒状になった鉄を幾つかに切り分け、
それを、ちょうどゲームのジェンカのように交互に積み重ね、
それを叩いて一塊にし、
打ち延ばして、二つに折り、一塊にする。
その作業工程を、再び10~15回繰り返す。
それからやっと、刀の形に打ち延ばしていく。
“鍛える”ということだそうです。
その作業は、単純なことの繰り返しですが、
非常に根気がいる工程で、
しかも集中力も必要です。
でも、当たり前のように繰り返されていきます。

対人援助職も、
“傾聴する”“クライアントの視点で理解しようとする”“クライアントの自己決定を促進する”等々の
当たり前のように感じることを、丁寧に繰り返すうちに鍛えられるのではないでしょうか?
「当たり前のことを当たり前にできる人は強い。
それを継続できる人は、さらに強い。」ということだと思いました。

0 件のコメント: