2013年4月21日日曜日

 “まなざし”と視線


昨日は、
西神戸混声の定期練習日でした。
目下、6月16日の定期演奏会に向けてラストスパートに入りかけております。

川崎洋という詩人の作品に、新実徳英という人が作曲した「やさしい魚」という合唱曲集をしています。

そのなかに「天使」というのがあるのですが、
冒頭で“まなざし”という言葉が出てきます。

 “まなざし
 だけ が
 みえる

 め の
 かたち
 でなく”

という2連ではじまる。

私流にいうと
“まなざし”は視線とは別です。


視線は「見る方向」がメインです。
もちろん「きつさ」や「つよさ」はともなうのですが、
“まなざし”には
温度感や質感もともないます。
「温かいまなざし」や「柔らかなまなざし」といったものです。

援助職者が面接するとき
非言語表現としての目の働きは重要ですが、
ただ単に、視線やアイコンタクトといわれる部分は、
“まなざし”というところまで意識しないと
深い部分にまで到達できないように感じています。

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