2014年5月10日土曜日

「受容」というゆとりが和を生む


研修会などでグループワークをすると

ときに侃々諤々と意見を戦わせることもありますが、

基本的には、和やかに話し合いが進みます。

自職場でのミーティングなどでは、

侃々諤々はほど遠く、無言で座っているメンバーがいたり、

それなのにムードは重苦しい。


なぜ、そんなことが起こるのだろう???


一つは、同一職場なので「(利害)関係性が継続する」という遠慮。

二つ目は、「どうせ何も変わらない」というあきらめ。

三つ目は、「自分の発言を誰も聴いてくれない」という疎外感。

この辺りが原因ではないでしょうか?


研修などでは、相手を気遣って、、、というか、

最低限相手の話を聴いて理解する(受容する)

という意識があり、努力がなされていると思います。

コミュニケーションをとる際の最低限の礼儀でもあります。


自職場だって同じです。

相手の発言は、とりあえず聴かなければなりません。

「聴く」ということは、相手の言葉を目と耳と心で聴くのです。

相手の話を聞きながら、「今度はこう言ってやろう」と考えながらではできません。

先ずはしっかりと聴いて、受止めて(理解して)、

それから自分の発言をする。

こんな簡単なことですが、ゆとりがないとできないと思うでしょ?

逆転の発想で、聴いて、受容するとゆとりが生まれるのです。

嘘だと思うなら、

とりあえず、1カ月心がけて実践してみてください。

2 件のコメント:

mo-chan さんのコメント...

いつも答えを準備して相手の話を聞く癖が付いているような気がします。1か月心がけてみましょう。いつも気づかされることがあり、読むのを楽しみにしております。
但馬も春を迎え田植えが忙しい季節となりました。
竹田城も全国区になってしまい、今では以前の様に気軽に登ることもできなくなりました。

macoto さんのコメント...

もうやん、コメントありがとう。
山笑う、、、みどりが一番きれいな季節ですね。昨日今日と三田・篠山に行ってましたが、田植え終わっているところもありました。今月は、30日に関ノ宮の中野穣さんのとこと、晩に竹田の真生園に行きます。