2017年1月11日水曜日

「普通」は人の数だけある?かも!


昨晩は、仕事始めを無事に終え帰宅。

疲れてはいたけれど、体調的には落ち着いていてホッとしました。

ご飯を食べながらテレビ「ちゃちゃいれマンデー」を観てました。

関西(大阪中心に)と他のエリアの色々なことを比べてましたが、


広島のお好み焼きと関西(大阪)のお好み焼きと・・・

どっちも譲るはずがない!

稲松的には、スタンダードはやはり関西風。

でも、広島風も好きなので自宅で広島風も焼くときはあります。
(この辺は、広島の方より広島風を愛してるかも)

どっちも好きです。


熱烈な地元合いの面々は、許せないと思います。

なぜなら、関西圏の人にとってお好み焼きといえば、

細かく刻んだキャベツを生地と混ぜて、その上に具材を並べて焼く。

これがスタンダード。いわゆる「普通」なんです。

広島の人にとっては、

先ず薄い生地を引き、その上にソバ・キャベツ・もやし・豚肉等を乗せていき

返して焼く。これが「普通」なんです。

人は、自分にとっての「普通」は、すなわち価値観なので譲りません。

「関西VS広島」ってやってましたが、

大阪の中でも、

お好み焼きの豚を生地の上にのせて焼く人と

生地の間に挟んで焼く人とがいます。

これまた、それぞれが「普通」を主張します。


そうなんです。

ひとのかずだけ「普通」があると言っても過言ではありません。



本日、昨日に引き続いて介護支援専門員専門研修Ⅱの演習指導に出務しておりました。

事例を振り返るときに、クライアントのこだわりに振り回されて、

家族もケアマネジャーも他の支援者もへろへろになっている様なケースがあります。

これって、

クライアント本人の「普通」とそれぞれの人の「普通」が違うということです。


こういう場合は、基本に立ち返って

「なぜ、この人にとっての『普通』はこれなんやろう?」

というところから理解する努力が必要です。

慎むべきは、こちら側の「普通」を押しつけることです。

対人援助職者の基本姿勢から外れます。

「『普通』は人の数だけある」ということを肝に銘じておきたいものです。

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