直撃は免れたものの、風雨はすごいのだろうと思い、
朝方、鹿児島の母に電話を入れました。
僕「風とか雨はどない?」
母「雨は、降ってるよ」
僕「被害とかはなさそうやね!」
母「温室の扉とかは閉めといたから」
僕「これから風とかきつくなるかもしれんから、気ぃつけてね」
母「エエ風が吹いてる!」
僕(心の声)「あっ、そ」
大丈夫そうでした。
うちの母は、受入れることの達人です。
それは、おそらくクリスチャンとして、
全てのことは
「神様、イエス・キリストの導きであり、ご計画」
ということがベースにあるようです。
自分でやることをやったので、
後は、神様に任せている。といった感じです。
今までも、
結構な大けがをしても
他者に心配をかけたことを申し訳ないと思い。
高校時分の息子(私)が友達との諍いでけがをして帰ってきたときも
相手のけがを心配し。
他者のことは案じるけれど、
自分に起きることは受入れてきたのです。
おそらく
自分が死に向かうときも受け容れるように思います。
まず、そのところが安らかな死を迎える心構えなのだろうと
感じさせる母なのです。
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