2013年5月4日土曜日

かならず上手くいく、“魔弾”?!

 

昨日は、
橘茂のひとりオペラ“魔弾の射手”に行ってきました。
むちゃむちゃ楽しく、素敵な時間を過ごしました。
橘先生のステージは本当に楽しくて、
「音楽って、楽しいものなんだ!」ということを
いつも思い起こさせていただけます。

今回の作品“魔弾の射手”ですが、
ウェーバーというドイツの作曲家のもので
狩人のマックスという主人公が
望んだ的に必ず的中する“魔弾”を手に入れて
射撃大会にのぞむという話しです。
(本当は、恋人アガーテや狩人のカスパール、魔王ザミエル、森林官クーのなどと色々な関係の中で物語は進むのですが、、、)
ただし、7発ある魔弾ですが、最後の一発は魔王の意図するものに当たります。
また、魔弾を手に入れた者は、代償として3年後命を差し出します。3年の間に新しい魔弾の契約者を見つければ代償から逃れられます。

望んだ的に必ず的中させる、それも魔弾の力を借りて。
表面的にはかなり魅力的な話です。
しかし、そこには恐ろしい代償が伴います。
クライアントの生活を、支援者の思い通りに作っていければ、、、
何の努力もなしに。これまた一見魅力的かもしれません。
要するに、自己決定も、利用者主体も、尊厳も無視して、ってことになります。
そこには、クライアントの生活をのっとってしまう代償が伴います。
本当なら、のっとってしまったクライアントの生活をしょい込む義務が出てきますが、
この義務を放棄してしまうと、抜け殻となったクライアントが置き去りにされます。
そう、代償の付けをクライアントがしょい込むことになります。

「かならず上手くいくこと」
なんて、そうあるわけではありません。
人と人が向き合うのですから、
対話し、意見を擦りあわせることで少しずつ前に進むことができるのです。
“魔弾”なんてものは滅多に出会えませんし、
出会ったとしても使うことが本当の幸せにつながるかは考え物です。
対人援助の倫理とは、この弱い心の囁きに対峙していく気持ちなのかもしれません。

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