試合後のインタビューを聞いていると、
あんなにしんどい、きつい練習・・・というか修行をしていて、
「もう、一休みしたらよかろう」と感じるのに、
「4年後に向けて、精進します」とか
「課題も見えたので、もっと頑張ります」とか
答えています。
まるで、自分で選んだのではなく、
そもそも柔道が、テニスが、体操が、、、、、
自分を選んだかのような発言とも思えるのです。
今日、鹿児島協会の礼拝に出席して
尾崎先生のメッセージで、
「『信仰』とは、自分が信じるのではなく、キリストの中にもともと存在するもの。
人が信じるのではなく、『信仰』の方が人を見いだすのです」
というような内容であったと思います。
もしかしたら、信仰や天職といったものは、
自己決定しているようで、
大きな力の中に、定められているのかもしれません。
だからこそ、苦しい修行を当たり前のような発言がなされたり、
笑顔で、次の第一歩を語れるのかもしれません。
様々なことがあったとしても、
そのことに自分が選ばれているとしたら、
新しい朝に、陽が昇ってくることを受け止めるように
自分自身の歩みを受け入れられるのかもしれません。
「前を向くと言うことは、そういうことかもしれない」
と感じたのです。
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