2016年8月19日金曜日

一見、受動的な支援も有効な時はある


昨晩は宍粟市の一宮にそのまま泊まり、

今日は、午前中10時から高砂の地域福祉リーダー養成研修のお仕事。

午後は、神戸市社さんで検討会の事例選定作業でした。

4時半に帰ってから、自治会の夏祭り(明日の晩)の準備をお手伝い。


ところが、

明日は合唱団のリーダー会・役員会・練習。

その後、奈良に移動して泊。

日曜日は終日、奈良県の主任ケアマネジャー更新研修の演習指導。


そうなんです。

自治会の夏祭りの準備もちょっとしかお手伝いしていないのに、

本番や後片付けも参加できません。


今朝方の、高砂の研修で

「地域でなじみの関係づくりがまず大切です」

って、喋ってきたのに

自分自身は地域行事に関われていなかったりします。

自治会の他の役員さんは、

「無理しなくていいよ」とおっしゃってくださいますが、

何となく申し訳ない感じがします。


仕事と自治会活動の狭間でジレンマを抱えてしまうのです。


やっぱり、自治会でもお役をいただいていると

役に立ちたいという欲求はそれなりにありますし、

そこに参画できないとすると

負い目みたいなのも感じてしまうのですよ。


稲松のこんな小さなジレンマや負い目と比べたら怒られてしまうのですが、

オリンピックで、本人も周囲も、当然金メダルと思っていた、、、

それがかなわなかったときの申し訳なさは、

計り知れないものがあると思います。


自分自身が担いたいと思っていることを担えなかったら、

やはり苦しさは大小の差はあれ存在すると思うのです。

そんなときには、慰めの言葉や承認も嬉しいのですが、

ソッとしておいてもらいたい気持ちもどこかにありますよね。

距離を置いて

「寄り添う」という支援。

「見守る」という支援。

一見、受動的にみえるこれらの支援(サポート)も

意外ですが必要であると感じています。

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